衆議院議員吉井英勝 君 提出 陵墓に治定されている古墳の祭祀に関する質問に対する答弁書

平成22年8月20日受領
答弁第38号

  内閣衆質175第38号
  平成22年8月20日
内閣総理大臣 菅 直人

       衆議院議長 横路孝弘 殿
衆議院議員吉井英勝君提出陵墓に治定されている古墳の祭祀に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員吉井英勝君提出陵墓に治定されている古墳の祭祀に関する質問に対する答弁書

(一)について
 お尋ねの「古墳時代の陵墓」とは、古代高塚式の陵墓及び陵墓参考地を指すと考えられるが、これらの陵墓等は、江戸時代の元禄年間(千六百88年から千七百四年までの期間をいう。以下同じ。)から昭和にかけて治定されたものであり、「諸陵寮誌」等の文献にみられるように、治定以降現在に至るまで皇室による祭祀が継続して行われているところである。
 なお、古くは奈良時代に成立した「養老令」に、陵における祭祀をつかさどる諸陵司を設置することが記載されているほか、平安時代に成立した「延喜式」にも、祭祀の対象となる陵墓の一覧が記載されているところである。

(二)について
 「日本書紀」には、御指摘の「箸墓古墳」の築造年次や倭迹迹日百襲姫命の薨去年次に関する記述は認められない。
 なお、御指摘の「箸墓古墳」の築造時期について、三世紀の中頃から後半という見解があることは承知している。

(三)について
 陵墓等については、天皇及び皇族を葬る所として、祭祀が現に継続して行われ、皇室と国民の追慕尊崇の対象となっていることから、静安と尊厳の保持が最も重要であると考えている。

(四)について
 陵墓等は、「日本書紀」、「古事記」、「延喜式」等の古記録の陵に関する記載、口碑伝承等に基づき現地踏査が行われ、元禄年間から昭和にかけて治定されたものである。

(五)について
 古代高塚式の陵墓等の名称、考古学上の名称、被葬者名、所在地及び治定の時期については次のとおりである。
 畝傍山東北陵 四条ミサンザイ古墳 神武天皇 奈良県橿原市 文久年間(千八百61年から千八百64年までの期間をいう。以下同じ。)
 桃花鳥田丘上陵 四条塚山古墳 綏靖天皇 奈良県橿原市 千八百78年2月二18日
 畝傍山西南御陰井上陵 不詳 安寧天皇 奈良県橿原市 文久年間
 畝傍山南繊沙渓上陵 不詳 懿徳天皇 奈良県橿原市 文久年間
 掖上博多山上陵 不詳 孝昭天皇 奈良県御所市 元禄年間
 玉手丘上陵 不詳 孝安天皇 奈良県御所市 文久年間
 片丘馬坂陵 不詳 孝霊天皇 奈良県王寺町 元禄年間
 剣池嶋上陵 中山塚一号墳、二号墳及び三号墳 孝元天皇 奈良県橿原市 元禄年間
 春日率川坂上陵 念仏寺山古墳 開化天皇 奈良県奈良市 元禄年間
 山辺道勾岡上陵 行燈山古墳 崇神天皇 奈良県天理市 文久年間
 菅原伏見東陵 宝来山古墳 垂仁天皇 奈良県奈良市 元禄年間
 山辺道上陵 渋谷向山古墳 景行天皇 奈良県天理市 文久年間
 狭城盾列池後陵 佐紀石塚山古墳 成務天皇 奈良県奈良市 元禄年間
 恵我長野西陵 岡ミサンザイ古墳 仲哀天皇 大阪府藤井寺市 文久年間
 恵我藻伏崗陵 誉田御廟山古墳 応神天皇 大阪府羽曳野市 元禄年間
 百舌鳥耳原中陵 大仙古墳 仁徳天皇 大阪府堺市 元禄年間
 百舌鳥耳原南陵 石津丘古墳 履中天皇 大阪府堺市 元禄年間
 百舌鳥耳原北陵 田出井山古墳 反正天皇 大阪府堺市 元禄年間
 恵我長野北陵 市野山古墳 允恭天皇 大阪府藤井寺市 文久年間
 菅原伏見西陵 不詳 安康天皇 奈良県奈良市 文久年間
 丹比高鷲原陵 高鷲丸山古墳 雄略天皇 大阪府羽曳野市 元禄年間
 河内坂門原陵 白髪山古墳 清寧天皇 大阪府羽曳野市 元禄年間
 傍丘磐坏丘南陵 不詳 顕宗天皇 奈良県香芝市 千八百89年6月1日
 埴生坂本陵 野中ボケ山古墳 仁賢天皇 大阪府藤井寺市 文久年間
 三嶋藍野陵 太田茶臼山古墳 継体天皇 大阪府茨木市 享保年間(千七百16年から千七百36年までの期間をいう。)
 古市高屋丘陵 高屋築山古墳 安閑天皇 大阪府羽曳野市 元禄年間
 身狭桃花鳥坂上陵 鳥屋ミサンザイ古墳 宣化天皇 奈良県橿原市 元禄年間
 桧隈坂合陵 平田梅山古墳 欽明天皇 奈良県明日香村 文久年間
 河内磯長中尾陵 太子西山古墳 敏達天皇 大阪府太子町 元禄年間
 河内磯長原陵 春日向山古墳 用明天皇 大阪府太子町 元禄年間
 磯長山田陵 山田高塚古墳 推古天皇 大阪府太子町 元禄年間
 押坂内陵 段ノ塚古墳 舒明天皇 奈良県桜井市 元禄年間
 大阪磯長陵 山田上ノ山古墳 孝徳天皇 大阪府太子町 元禄年間
 越智崗上陵 車木ケンノウ古墳 斉明天皇 奈良県高取町 文久年間
 山科陵 御廟野古墳 天智天皇 京都府京都市山科区 元禄年間
 長等山前陵 亀塚古墳 弘文天皇 滋賀県大津市 千八百77年6月15日
 桧隈大内陵 野口王墓古墳 天武天皇及び持統天皇 奈良県明日香村 千八百81年2月15日
 桧隈安古岡上陵 栗原塚穴古墳 文武天皇 奈良県明日香村 千八百81年2月15日
 佐保山南陵 法蓮北畑古墳 聖武天皇 奈良県奈良市 元禄年間
 高野陵 佐紀高塚古墳 称徳天皇 奈良県奈良市 文久年間
 田原東陵 田原塚ノ本古墳 光仁天皇 奈良県奈良市 元禄年間
 楊梅陵 市庭古墳 平城天皇 奈良県奈良市 文久年間
 狭木之寺間陵 佐紀陵山古墳 垂仁天皇皇后日葉酢媛命 奈良県奈良市 千八百75年11月二18日
 日岡陵 日岡山一号墳 景行天皇皇后播磨稲日大郎姫命 兵庫県加古川市 千八百83年4月14日
 狭城盾列池上陵 五社神古墳 仲哀天皇皇后神功皇后 奈良県奈良市 文久年間
 仲津山陵 仲津山古墳 応神天皇皇后仲姫命 大阪府藤井寺市 千八百75年11月二18日
 平城坂上陵 ヒシアゲ古墳 仁徳天皇皇后磐之媛命 奈良県奈良市 千八百75年11月二18日
 衾田陵 西殿塚古墳 継体天皇皇后手白香皇女 奈良県天理市 千八百76年9月14日
 古市高屋陵 高屋八幡山古墳 安閑天皇皇后春日山田皇女 大阪府羽曳野市 千八百75年11月二18日
 佐保山東陵 不詳 聖武天皇皇后光明子 奈良県奈良市 千八百79年2月8日
 宇智陵 不詳 光仁天皇皇后井上内親王 奈良県五条市 千八百77年4月
 大枝陵 不詳 光仁天皇夫人新笠 京都府京都市西京区 千八百80年12月
 高畠陵 伝高畠陵古墳 桓武天皇皇后乙牟漏 京都府向日市 千八百79年10月13日
 宇波多陵 不詳 桓武天皇夫人旅子(読み不詳) 京都府京都市西京区 千八百80年12月
 高屋山上陵 不詳 天津日高彦火火出見尊 鹿児島県霧島市 千八百74年7月
 埴口丘陵 北花内大塚古墳 履中天皇皇孫女飯豊天皇 奈良県葛城市 文久年間
 田原西陵 田原西山古墳 天智天皇皇子追尊天皇春日宮天皇 奈良県奈良市 文久年間
 吉隠陵 不詳 天智天皇皇子妃贈皇太后橡姫 奈良県宇陀市 千八百79年2月8日
 真弓丘陵 不詳 天武天皇皇子追尊天皇岡宮天皇 奈良県高取町 文久年間
 竈山墓 竃山神社古墳 彦五瀬命 和歌山県和歌山市 千八百76年1月二12日
 大吉備津彦命墓 中山茶臼山古墳 孝霊天皇皇子大吉備津彦命 岡山県岡山市 千八百74年12月2日
 大市墓 箸墓古墳 孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命 奈良県桜井市 文久年間
 身狭桃花鳥坂墓 桝山古墳 崇神天皇皇子倭彦命 奈良県橿原市 千八百77年4月
 大入杵命墓 小田中親王塚古墳 崇神天皇皇子大入杵命 石川県中能登町 千八百75年12月二17日
 八坂入彦命墓 大萱古墳 崇神天皇皇子八坂入彦命 岐阜県可児市 千八百75年12月17日
 宇度墓 淡輪ニサンザイ古墳 垂仁天皇皇子五十瓊敷入彦命 大阪府岬町 千八百80年12月二18日
 息速別命墓 阿保親王墓古墳 垂仁天皇皇子息速別命 三重県伊賀市 千八百76年2月4日
 磐衝別命墓 羽咋御陵山古墳 垂仁天皇皇子磐衝別命 石川県羽咋市 千九百17年9月二17日
 磐城別王墓 羽咋大谷塚古墳 垂仁天皇皇孫磐城別王 石川県羽咋市 千九百17年9月二17日
 大碓命墓 不詳 景行天皇皇子大碓命 愛知県豊田市 千八百75年12月二17日
 能褒野墓 能褒野王塚古墳 景行天皇皇子日本武尊 三重県亀山市 千八百79年10月三11日
 五十狭城入彦皇子墓 西本郷和志山古墳 景行天皇皇子五十狭城入彦皇子 愛知県岡崎市 千九百41年4月18日
 那羅山墓 不詳 応神天皇皇子大山守命 奈良県奈良市 千八百77年4月
 宇治墓 菟道丸山古墳 応神天皇皇太子菟道稚郎子尊 京都府宇治市 千八百89年6月1日
 都紀女加王墓 上のびゅう塚古墳 応神天皇皇曽孫都紀女加王 佐賀県上峰町 千九百43年8月5日
 磐坂市辺押磐皇子墓 不詳 履中天皇皇子磐坂市辺押磐皇子 滋賀県東近江市 千八百75年8月7日
 坂合黒彦皇子墓 不詳 允恭天皇皇子坂合黒彦皇子 奈良県大淀町 千八百76年9月14日
 押坂内墓 不詳 欽明天皇皇女大伴皇女 奈良県桜井市 千八百76年10月二16日
 桧隈墓 不詳 敏達天皇皇孫妃吉備姫王 奈良県明日香村 文久年間
 磯長墓 叡福寺北古墳 用明天皇皇子聖徳太子 大阪府太子町 千八百75年3月8日
 埴生崗上墓 埴生野塚穴古墳 用明天皇皇子来目皇子 大阪府羽曳野市 千八百75年3月8日
 越智崗上墓 不詳 天武天皇妃大田皇女 奈良県高取町 文久年間
 二上山墓 不詳 天武天皇皇子大津皇子 奈良県葛城市 千八百76年9月14日
 長屋王墓 梨本南二号墳 天武天皇皇孫長屋王 奈良県平群町 千九百一年2月二16日
 吉備内親王墓 不詳 天武天皇皇孫長屋王妃吉備内親王 奈良県平群町 千九百一年2月二16日
 那富山墓 大黒ヶ芝古墳 聖武天皇皇子皇太子(御名不詳) 奈良県奈良市 千八百79年10月13日
 和束墓 不詳 聖武天皇皇子安積親王 京都府和束町 千八百79年1月11日
 他戸親王墓 不詳 光仁天皇皇子皇太子他戸親王 奈良県五条市 千八百83年10月二16日
 巨幡墓 遠山黄金塚二号墳 桓武天皇皇子伊豫親王 京都府京都市伏見区 千八百84年1月三11日
 高畠墓 垂箕山古墳 桓武天皇皇子仲野親王 京都府京都市右京区 千八百75年11月二18日
 阿保親王墓 打出親王塚古墳 平城天皇皇子阿保親王 兵庫県芦屋市 千八百75年8月19日
 白鳥陵 軽里大塚古墳 景行天皇皇子日本武尊 大阪府羽曳野市 千八百80年12月二18日
 白鳥陵 不詳 景行天皇皇子日本武尊 奈良県御所市 千八百76年5月12日
 大塚陵墓参考地 河内大塚山古墳 不詳 大阪府羽曳野市及び松原市 千九百25年9月二11日
 藤井寺陵墓参考地 津堂城山古墳 不詳 大阪府藤井寺市 千九百16年10月14日
 東百舌鳥陵墓参考地 土師ニサンザイ古墳 不詳 大阪府堺市 千九百九年10月二11日
 百舌鳥陵墓参考地 百舌鳥御廟山古墳 不詳 大阪府堺市 千九百一年12月9日
 畝傍陵墓参考地 見瀬丸山古墳 不詳 奈良県橿原市 千八百97年9月15日
 宇和奈辺陵墓参考地 ウワナベ古墳 不詳 奈良県奈良市 千八百85年4月6日
 小奈辺陵墓参考地 コナベ古墳 不詳 奈良県奈良市 千八百85年4月6日
 郡山陵墓参考地 郡山新木山古墳 不詳 奈良県大和郡山市 千八百97年9月15日
 磐園陵墓参考地 城山築山古墳 不詳 奈良県大和高田市 千八百87年5月二14日
 陵西陵墓参考地 狐井塚古墳 不詳 奈良県大和高田市 千八百97年9月15日
 三吉陵墓参考地 三吉新木山古墳 不詳 奈良県広陵町 千八百86年6月8日
 大塚陵墓参考地 新山古墳 不詳 奈良県広陵町 千八百86年12月13日
 黄金塚陵墓参考地 田中黄金塚古墳 不詳 奈良県奈良市 千八百91年9月19日
 富郷陵墓参考地 岡原古墳 不詳 奈良県斑鳩町 千八百97年9月15日
 円山陵墓参考地 丸山古墳 不詳 京都府京都市右京区 千八百99年12月二17日
 入道塚陵墓参考地 入道塚古墳 不詳 京都府京都市右京区 千八百99年12月二17日
 下坂本陵墓参考地 木岡陵古墳 不詳 滋賀県大津市 千八百92年12月二15日
 安曇陵墓参考地 田中大塚古墳 不詳 滋賀県高島市 千九百五年7月二11日
 宇治山田陵墓参考地 尾部古墳 不詳 三重県伊勢市 千九百八年
 玉津陵墓参考地 吉田王塚古墳 不詳 兵庫県神戸市 千九百年5月4日
 雲部陵墓参考地 雲部車塚古墳 不詳 兵庫県篠山市 千八百99年7月6日
 岩坂陵墓参考地 不詳 不詳 島根県松江市 千九百年4月20日
 妻鳥陵墓参考地 東宮山古墳 不詳 愛媛県四国中央市 千八百95年12月4日
 勾金陵墓参考地 不詳 不詳 福岡県香春町 千八百95年12月4日
 花園陵墓参考地 晩免古墳 不詳 熊本県宇土市 千八百88年12月二16日
 北川陵墓参考地 可愛山古墳 不詳 宮崎県延岡市 千八百95年12月4日
 男狭穂塚女狭穂塚陵墓参考地 男狭穂塚古墳 不詳 宮崎県西都市 千八百95年12月4日
 男狭穂塚女狭穂塚陵墓参考地 女狭穂塚古墳 不詳 宮崎県西都市 千八百95年12月4日

(六)について
 宮内庁としては、陵墓等については、現に皇室において祭祀が継続して行われ、皇室と国民の追慕尊崇の対象となっていることから、静安と尊厳の保持が最も重要であると考えている。このため、部外者を陵墓等に立ち入らせたりすることは、厳に慎むべきことと考えているが、学術研究上の要請にこたえるため、陵墓等の本義に支障を及ぼさない限りにおいて、保全工事に伴う調査の際の見学の実施や調査結果の公表等に努めているところである。

(七)及び(八)について
 宮内庁は、先の答弁書(平成22年6月11日内閣衆質一七四第535号)(三)及び(四)についてでお答えしたとおり、陵墓等の管理を行っており、陵墓等の管理に携わる宮内庁職員は、その職務として、陵墓等の管理上必要に応じて墳丘最下段テラスより上に登ることもある。その際、祭祀に当たる行為は行っていない。

(九)について
 先の答弁書(平成21年7月17日内閣衆質一七一第657号)(六)についてでお答えしたとおりである。

(十)、(十一)及び(十七)から(十九)までについて
 先の答弁書(平成22年6月11日内閣衆質一七四第535号)(六)及び(八)から(十二)までについてでお答えしたとおりである。

(十二)について
 御指摘の「拝所」も陵墓等の一部であり、国有財産法(昭和23年法律第73号)第3条第二項第3号に規定する皇室用財産として宮内庁が管理している。

(十三)について
 お尋ねの「等」は、職務上陵墓とかかわりのある国家公務員を「陵墓の管理等に携わる者」と総称するために用いたものである。

(十四)及び(十五)について
 お尋ねの趣旨が必ずしも明らかではないが、「反正天皇山陵千六百年式年祭」及び「応神天皇山陵千七百年式年祭」に宮内庁職員等の国家公務員が参列したことについては、参列の目的等にかんがみ、先の答弁書(平成22年6月22日内閣衆質一七四第585号)(六)についてにおいて、憲法上の問題があるとは考えていないとお答えしたものである。

(十六)について
 「反正天皇山陵千六百年式年祭」及び「応神天皇山陵千七百年式年祭」への地方公務員の参列については、各地方公共団体の公務員の行為に関することであるから、政府としてお答えする立場にない。

衆議院議員吉井英勝 君 提出 学術文化遺産の戦後処理問題解決に関する再質問に対する答弁書

平成22年6月22日受領
答弁第586号

  内閣衆質174第586号
  平成22年6月22日
内閣総理大臣 菅 直人

       衆議院議長 横路孝弘 殿
衆議院議員吉井英勝君提出学術文化遺産の戦後処理問題解決に関する再質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員吉井英勝君提出学術文化遺産の戦後処理問題解決に関する再質問に対する答弁書

(一)について
 お尋ねの「文化的遺産」が何を指すのかが明らかではないため、お答えすることは困難である。

(二)について
 国立大学法人東京大学(以下単に「東京大学」という。)に確認したところ、「楽浪土城址」から出土した瓦等を所蔵しているとのことである。また、国立大学法人京都大学(以下単に「京都大学」という。)に確認したところ、「慶尚南道東莱郡多大浦貝塚」から出土した土器片等を所蔵しているとのことである。

(三)及び(八)について
 東京大学、京都大学及び独立行政法人国立文化財機構(以下「機構」という。)に確認したところ、東京大学、京都大学及び東京国立博物館が所蔵する朝鮮半島に由来する文化財については、いずれも合法かつ適切に入手されたものとのことである。なお、大韓民国に由来するものについては、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(昭和40年条約第27号)及び文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(昭和40年条約第29号)により、完全かつ最終的に解決されているものと認識している。

(四)について
 お尋ねの「遺跡等の調査」が何を指すのかが明らかではないため、お答えすることは困難である。

(五)について
 機構に確認したところ、御指摘の資料については、昭和13年に朝鮮総督府から東京帝室博物館に移管されたものとのことである。

(六)について
 機構に確認したところ、財団法人小倉コレクション保存会から東京国立博物館に寄贈された資料の中にはお尋ねの資料に該当するものがあると考えられるが、それ以外は把握していないとのことである。

(七)について
 御指摘の「朝鮮総督府が関わったこれらの資料」の範囲が必ずしも明らかではないため、資料の公開についてのお尋ねにお答えすることは困難である。なお、独立行政法人国立文化財機構法(平成11年法律第百七十八号)第12条第一項第2号は、機構の業務として「有形文化財を収集し、保管して公衆の観覧に供すること。」を掲げているが、機構は、有形文化財の公開の方法、期間等について自ら決定することができるものと考えている。

(九)について
 東京大学に確認したところ、御指摘の「朝鮮王朝実録」は、大正二年に朝鮮総督府から東京帝国大学に移管され、その後、関東大震災で焼け残った七十四冊のうち二十七冊については、昭和7年に同大学から京城帝国大学に移管され、残る四十七冊については、学術交流の推進等を図るため、平成18年に東京大学からソウル大学校に寄贈されたとのことである。

(十)及び(十一)について
 御指摘の「朝鮮王室儀軌」については、宮内省が大正六年に業者から購入したものと、宮内省が執務資料として大正11年に朝鮮総督府から移管を受けたものがある。
 宮内庁は、これらを国の物品として引き継ぎ所蔵しているものである。

(十二)について
 宮内庁が所蔵する書籍のうち、現時点で朝鮮総督府から移管されたことが確認できているものは九十三部二百七十三冊であり、その内訳は次のとおりである。これらについては、閲覧の申込みがあれば、これに応じている。
 通文館志一部五冊、辛壬紀年提要一部七冊、李忠武公全書一部八冊、退渓先生言行録一部三冊、東史補遺一部四冊、麗史提綱一部十四冊、彙纂麗史一部二十二冊、羹牆録一部四冊、弘文館志一部一冊、林忠愍公実記一部三冊、謨訓輯要一部三冊、芝峰類説一部十冊、国朝宝鑑一部二十六冊、(哲宗大王)※(注)廟都監儀軌一部一冊、(哲宗大王)殯殿魂殿都監儀軌一部三冊、(哲宗大王)国葬都監儀軌一部四冊、睿陵山陵都監儀軌一部二冊、(哲仁王后)睿陵山陵都監儀軌一部二冊、(哲仁王后)※(注)廟都監儀軌一部一冊、(哲仁王后)国葬都監儀軌一部四冊、(哲仁王后)殯殿魂殿都監儀軌一部三冊、王世子嘉礼都監儀軌一部二冊、王世子冊礼都監儀軌一部一冊、嘉礼都監儀軌一部二冊、皇太子嘉礼都監儀軌一部二冊、(神貞王后)国葬都監儀軌一部四冊、綏陵山陵都監儀軌一部二冊、綏陵陵上莎草改修都監儀軌一部一冊、(神貞王后)殯殿魂殿都監儀軌一部三冊、(神貞王后)※(注)廟都監儀軌一部一冊、(明成皇后)国葬都監儀軌一部四冊、洪陵山陵都監儀軌一部二冊、洪陵石儀重修都監儀軌一部一冊、(明成皇后)殯殿魂殿都監儀軌一部三冊、影幀※(注)写都監補完儀軌一部一冊、影幀※(注)写都監儀軌(光武五写)一部一冊、影幀※(注)写都監儀軌(光武四写)一部一冊、国朝宝鑑監印所儀軌一部一冊、宝印所都監儀軌一部一冊、増建都監儀軌一部一冊、※(注)源譜略修正儀軌(光武八写)一部一冊、※(注)源譜略修正儀軌(光武十一写)一部一冊、日記庁儀軌一部一冊、元子阿只氏蔵胎儀軌一部一冊、裕康園園所都監儀軌一部二冊、(純明妃)殯殿魂殿都監都庁儀軌一部五冊、(純明妃)国葬都監儀軌一部四冊、景陵山陵都監儀軌一部二冊、(孝定王后)殯殿魂殿都監都庁儀軌一部一冊、(孝定王后)※(注)廟都監儀軌一部一冊、肇慶壇濬慶墓永慶墓営建庁儀軌一部二冊、廟号都監儀軌一部一冊、進封皇貴妃儀軌一部一冊、(淳妃)冊封儀軌一部一冊、追封皇后進封皇后儀軌一部一冊、追封冊封儀軌一部一冊、(義王英王)冊封儀軌一部一冊、慶運宮重建都監儀軌一部二冊、中和殿営建都監儀軌一部一冊、昌慶宮営建都監儀軌一部一冊、永禧殿営建都監儀軌一部一冊、真殿重建都監儀軌一部一冊、上号都監儀軌(翼宗大王同王妃)一部一冊、上尊号都監儀軌一部一冊、上号都監儀軌(翼宗大王同妃追上、洪大妃加上、李太王同妃加上)一部一冊、上号都監儀軌(翼宗大王同妃、憲宗大王同妃、哲宗大王同妃)一部一冊、上号都監儀軌(光武六写)一部一冊、上号都監儀軌(光武四写)一部一冊、加上尊号都監儀軌一部一冊、加上尊号都監儀軌(神貞皇后)一部一冊、尊崇都監儀軌一部一冊、追上尊号都監儀軌一部一冊、追尊儀軌(隆熙二写)一部一冊、追尊儀軌(光武五写)一部一冊、尊封都監儀軌一部一冊、大礼儀軌一部一冊、(孝定王后)国葬都監儀軌一部四冊、(孝定王后)殯殿魂殿都監儀軌一部四冊、進饌儀軌(神貞王后七旬賀宴)一部四冊、進饌儀軌(神貞王后八旬宴賀)一部四冊、進饌儀軌(李太王望五宴賀)一部四冊、進饌儀軌(明憲太后望八宴賀)一部四冊、進宴儀軌(李太王五旬宴賀)一部四冊、進宴儀軌(李太王入耆杜宴賀)一部四冊、進宴儀軌(李太王望六賀宴)一部四冊、宮園儀一部二冊、華城城役儀軌一部九冊、整理儀軌一部八冊、永興本宮儀式一部一冊、咸興本宮儀式一部一冊、皇壇従享儀軌一部一冊、皇壇儀一部二冊、皇壇増修儀一部二冊である。

(十三)について
 宮内庁は、明成皇后の国葬を記録した「(明成皇后)国葬都監儀軌」と題する書籍を所蔵している。

(十四)について
 お尋ねの趣旨が必ずしも明らかではないため、お答えすることは困難である。

(十五)から(十八)までについて
 李王職は、李王職官制(明治43年皇室令第34号)により「宮内大臣ノ管理ニ属シ王族及公族ノ家務ヲ掌ル」組織として千九百11年(明治44年)2月1日に設置され、千九百46年(昭和21年)1月三11日に廃止されたものであるが、その具体的な職務内容その他のお尋ねについては、宮内庁において確認した範囲では、これらを確認できる資料が見つからなかったため、お答えすることは困難である。

(十九)について
 お尋ねの「李王職に関する文書」が何を指すかが明らかではないため、お答えすることは困難である。

衆議院議員吉井英勝 君 提出 宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する再質問に対する答弁書

平成22年6月22日受領
答弁第585号

  内閣衆質174第585号
  平成22年6月22日
内閣総理大臣 菅 直人

       衆議院議長 横路孝弘 殿
衆議院議員吉井英勝君提出宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する再質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員吉井英勝君提出宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する再質問に対する答弁書

(一)について
 お尋ねの「静安と尊厳の保持」とは、陵墓等の環境の静安と被葬者の尊厳の保持という趣旨を端的に述べたものである。

(二)について
 大和大塚陵墓参考地は千八百86年(明治19年)に御陵墓伝説地に、藤井寺陵墓参考地は千九百16年(大正五年)に御陵墓参考地に治定され、いずれも千九百26年(大正15年)に陵墓参考地として整理されている。また、河内大塚陵墓参考地については、千九百25年(大正14年)に陵墓参考地に治定されている。
 これらの陵墓参考地の治定前の状況については、承知していない。

(三)について
 御指摘の太政官達は既に効力を有していないが、現在では、御指摘の看板は、国有財産法(昭和23年法律第73号)第9条の五の規定に基づく陵墓等の管理の一環として、宮内庁により設置されている。

(四)について
 御指摘のような事情を踏まえたとしても、陵墓等の調査については、先の答弁書(平成21年7月6日内閣衆質一七一第611号)(一)及び(二)についてでお答えしたとおりである。

(五)について
 式年祭は、皇室の行事として行われているものであることから、政府としては、その詳細についてのお答えを差し控えたものである。

(六)について
 御指摘の国家公務員による参列は、陵墓において皇室が祖先を弔う目的で行う行事に際し、平素から陵墓の管理等に携わる者が儀礼的に行ったものであり、憲法上の問題があるとは考えていない。
 なお、地方公務員による参列については、お答えする立場にない。

(七)及び(八)について
 陵墓参考地における祭祀は、皇室の行事として、その伝統に基づき行われており、毎年、春又は秋の適当な日を選ぶなどして行われているものと承知している。

(九)について
 片丘馬坂陵は、丘陵上に位置する長径約九十メートルの山形の陵である。また、「日本書紀」には、その築造年次に関する記述は認められない。

(十)について
 「日本書紀」に記述された「孝元天皇六年」は、紀元前二百九年に相当するとされている。

(十一)について
 大正15年に皇室陵墓令施行規則(大正15年宮内省令第8号)が施行され、それまでの御陵墓伝説地は陵墓参考地として整理された。
 現在、陵墓参考地については、国有財産法第3条第二項第3号に規定する皇室用財産として管理している。

(十二)について
 三吉陵墓参考地については、その周辺に所在する前方後円墳と比しても有数の規模であることから、将来の考証に備え、明治19年に御陵墓伝説地とされたものである。また、その被葬者については、現在考証中である。

(十三)について
 仮定の御質問にお答えすることは差し控えたい。

(十四)について
 大塚陵墓参考地から出土した銅鏡等は副葬品と考えられるが、同陵墓参考地の被葬者が特定されるまでは、当該副葬品については、皇室の私有財産ではなく国の物品として、宮内庁が管理している。

(十五)について
 宮内庁が管理する大塚陵墓参考地からの出土品は、直弧文鏡二点、素文縁直弧文鏡一点、三角縁二神二獣鏡一点、三角縁三仏三獣鏡一点、三角縁三神三獣鏡四点、三角縁四神四獣鏡三点、画文帯縁環状乳四神四獣鏡二点、画文帯縁重列式四神四獣鏡一点、だ龍鏡一点、変形方格規矩四神鏡四点、内行花文鏡十四点、帯金具※(注)具二点、帯金具※(注)板十一点、帯金具止金具一点、碧玉管玉十七点、砂岩管玉二点、緑色片岩大管玉一点、凝灰岩筒形石製品二点、同残欠五点、石釧一点、車輪石二点、同残欠一点、石製鏃六点、同残欠一点、石製刀子柄一点、椅子形石製品一点、台座形石製品二点である。

(十六)について
 御陵墓伝説地や陵墓参考地の治定に当たっては、副葬品のみならず、墳丘の規模や地元の口碑伝承等についても調査の上、総合的に判断されたものと考えている。また、大塚陵墓参考地の被葬者については、現在考証中である。

(十七)及び(十八)について
 お尋ねについては、一般的に、文化財保護法(昭和25年法律第二百十四号)にのっとり、地元教育委員会において、開発行為に伴う事前の発掘調査等を実施し、その結果を踏まえて、適切な措置が採られているものと考えている。

(十九)について
 お尋ねについては、文化財保護の観点から地方公共団体により適切な措置が採られるものと考えている。

(二十)について
 文化庁としては、御指摘の「応神天皇陵」については、御指摘の「②」に該当するものと認識している。その他については、史跡に指定されておらず、現況を把握していないため、お答えすることは困難である。

(二十一)について
 活断層の長期評価を実施している文部科学省の地震調査研究推進本部は、御指摘の「誉田御廟山古墳」を通過する活断層については既に同古墳の調査結果が活用されていること、また、御指摘の「大山古墳」については地上に現れている活断層が同古墳を通過しておらず調査の必要性が必ずしも高いとは言えないことから、これらの古墳について現時点で新たに実地調査を行う必要はないとしている。このことを踏まえ、内閣府及び消防庁としては、宮内庁に対して実地調査の要請を行うことは考えていない。

(二十二)について
 お尋ねについては、未定であると聞いている。

衆議院議員吉井英勝 君 提出 宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する質問に対する答弁書

平成22年6月11日受領
答弁第535号

  内閣衆質174第535号
  平成22年6月11日
内閣総理大臣 菅 直人

       衆議院議長 横路孝弘 殿
衆議院議員吉井英勝君提出宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員吉井英勝君提出宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する質問に対する答弁書

(一)について
 御指摘の「見解」については、昭和52年3月22日の衆議院内閣委員会において野本宮内庁書陵部長(当時)が「陵墓として静安を保ち尊厳を維持するということに第一に重点を置いて管理している」と答弁しているほか、同趣旨の答弁を累次行っている。また、御指摘の「生きた墓」とは、陵墓等のことを、現に祭祀が継続して行われているという趣旨で比喩的に述べたものである。

(二)について
 お尋ねについては、陵墓等への立入り等を禁じる旨の看板を陵墓等に掲示することを命じた明治六年11月2日の太政官達以降、設置している。

(三)及び(四)について
 国有財産法(昭和23年法律第73号)第9条の五においては、「各省各庁の長は、その所管に属する国有財産について、良好な状態での維持及び保存、用途又は目的に応じた効率的な運用その他の適正な方法による管理及び処分を行わなければならない。」と規定されている。
 宮内庁としては、その所管に属する同法第3条第二項第3号に規定する皇室用財産である陵墓等について、天皇及び皇族を葬る所であり、静安と尊厳の保持が最も重要とされるという陵墓等の本義にかんがみ、同法第9条の五の規定に基づき、適切に管理している。

(五)について
 陵墓等及び出土品の管理については、宮内庁の所掌事務の一環として、所要の予算をもって適切に行っている。
 また、祭祀は皇室が行っているものであり、その経費については、先の答弁書(平成21年7月6日内閣衆質一七一第611号)(七)についてでお答えしたとおりである。

(六)及び(八)から(十二)までについて
 式年祭は、皇室において、その伝統に基づいて、歴代天皇や皇族の方々を祭るために行われているものであり、宮内庁は宮内庁法(昭和22年法律第70号)に基づき、そのお世話を行っている。
 皇室の行事である式年祭の詳細については、お答えを差し控えたい。

(七)について
 陵墓等は、天皇及び皇族を葬る所として、国有財産法上の皇室用財産として宮内庁が管理し、これに要する経費を宮廷費から支出しているものであり、このことについて憲法上の問題があるとは考えていない。
 宮内庁が支出した陵墓等の維持管理等に必要な経費の金額は、平成17年度は約二千六百七十一万六千円、平成18年度は約二千三百二十万七千円、平成19年度は約二千二百八十六万二千円、平成20年度は約三千二百五十七万三千円、平成21年度は約二千百九十八万円である。なお、平成16年度以前については、会計書類の保存期間が経過していることから、お答えすることは困難である。

(十三)及び(十五)について
 平野内閣官房長官(当時)は、本年2月二15日の衆議院予算委員会第一分科会において、御指摘のとおりの答弁を行っている。
 宮内庁書陵部陵墓課においては、陵墓等に関する様々な学説があることも踏まえて、調査及び考証に当たっている。なお、御指摘のような内規や規程等は設けられていない。

(十四)について
 「日本書紀」には、孝霊天皇は孝元天皇六年に片丘馬坂陵に葬られた旨記述されているが、御指摘の「箸墓古墳」の築造年次や倭迹迹日百襲姫命の埋葬年次に関する記述は認められない。
 また、片丘馬坂陵は、奈良県北葛城郡王寺町本町三丁目に所在している。

(十六)について
 御指摘の「陵墓の立入りの取扱方針」においては、学術研究者を陵墓等への立入許可の対象としており、学術研究者に該当するのであれば、国会議員による立入りを排除するものではない。

(十七)について
 文化庁としては、御指摘の「誉田御廟山古墳」の被葬者については、学術的には確定していないものと承知している。

(十八)について
 御指摘の史跡の名称については、先の答弁書(二十七)についてでお答えしたとおりである。
 また、一般的に、史跡の名称を変更する必要が生じる場合としては、ある史跡に、その周辺で新たに確認された遺跡を追加指定する際に、その史跡の名称をより適切に示す必要が生じる場合などがある。

(十九)及び(二十)について
 史跡に指定されていない外濠・外堤に想定される部分については、文化財保護法(昭和25年法律第二百十四号)にのっとった措置として、大阪府教育委員会、羽曳野市教育委員会及び藤井寺市教育委員会が、開発行為に伴う事前の発掘調査等を実施しているところであり、文化庁としては、今後、これらの調査結果を踏まえて、土地所有者等の財産権に配慮しつつ、史跡への追加指定について検討すべきものと考える。
 また、既に史跡に指定されている外濠・外堤及び史跡に指定されていない外濠・外堤に想定される部分における発掘調査の件数については、当該調査を実施した大阪府教育委員会、羽曳野市教育委員会及び藤井寺市教育委員会からは、現段階で把握できたものは七十五件であると聞いている。これらのうち二十五件において外濠・外堤の遺構が検出され、そのうち現状保存されたものは十九件であると聞いている。なお、お尋ねの「配置」については、既に史跡に指定されている外濠・外堤及び史跡に指定されていない外濠・外堤に想定される部分のほぼ全域にわたるものと聞いている。

(二十一)について
 三吉陵墓参考地においては、平成23年度に外構柵整備工事を予定しており、その適切な工法を検討するに当たり、事前に遺構・遺物の確認を行うための調査を行うものである。

(二十二)について
 三吉陵墓参考地については、その墳丘の規模等により皇室関係者が埋葬されていると考えられたことから、明治19年に御陵墓伝説地となり、現在は陵墓参考地として管理している。また、その築造時期は、一般には古墳時代中期と考えられている。

(二十三)について
 三吉陵墓参考地において予定している事前調査については、地元教育委員会から同時調査の要望は受けていない。
 なお、調査の結果については、「書陵部紀要」において公表する予定である。

(二十四)について
 大塚陵墓参考地については、その副葬品等により皇室関係者が埋葬されていると考えられたことから、明治19年に御陵墓伝説地となり、現在は陵墓参考地として管理している。また、その築造時期は、一般には古墳時代前期と考えられている。

(二十五)について
 仮定の御質問にお答えすることは差し控えたい。

(二十六)について
 陵墓の副葬品については、皇室の私有財産と考えている。

(二十七)について
 宮内庁においては、陵墓の副葬品は管理していない。

(二十八)について
 御指摘の「辻畑古墳」については、沼津市教育委員会において開発行為に伴う事前の発掘調査を実施しているところであり、今後、その取扱いを判断するため、調査結果を踏まえた学術的な検討が行われると聞いている。

衆議院議員高井美穂 君 提出 皇室典範改正案の提出 に関する再質問に対する答弁書

平成18年6月22日受領
答弁第379号

  内閣衆質164第379号
  平成18年6月22日
内閣総理大臣 小泉純一郎

       衆議院議長 河野洋平 殿
衆議院議員高井美穂君提出皇室典範改正案の提出に関する再質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員高井美穂君提出皇室典範改正案の提出に関する再質問に対する答弁書

一及び二について
 皇室典範の改正についての政府の考え方は、先の答弁書(平成18年3月24日内閣衆質一六四第150号)で述べたとおりであり、皇室典範の改正案の国会提出については、今後とも、諸般の事情を総合的に勘案しながら、判断してまいりたい。

衆議院議員高井美穂 君 提出 皇室典範改正案の提出 に関する質問に対する答弁書

平成18年3月24日受領
答弁第150号

  内閣衆質164第150号
  平成18年3月24日
内閣総理大臣 小泉純一郎

       衆議院議長 河野洋平 殿
衆議院議員高井美穂君提出皇室典範改正案の提出に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員高井美穂君提出皇室典範改正案の提出に関する質問に対する答弁書

一から三までについて
 象徴天皇の制度をとる我が国にとって、皇位の継承は、国家の基本にかかわる事項であり、昨年11月に皇室典範に関する有識者会議の報告書が取りまとめられたところである。
 政府としては、安定的な皇位の継承を維持することは重要であると認識しており、皇室典範の改正について、この度の文仁親王妃紀子殿下の御懐妊という御慶事も踏まえ、取り組んでいくこととしている。

衆議院議員滝沢幸助 君 提出 大嘗祭・即位禮に關する質問に対する答弁書

平成元年6月27日受領
答弁第36号

  内閣衆質114第36号
    平成元年6月27日
内閣総理大臣 宇野宗佑

         衆議院議長 田村 元 殿
衆議院議員滝沢幸助君提出大嘗祭・即位禮に關する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員滝沢幸助君提出大嘗祭・即位禮に關する質問に対する答弁書

一から四までについて
 皇室典範(昭和22年法律第3号)第24条に定める「即位の礼」の儀式の在り方等については、大嘗祭に関する御指摘の点を含め、今後、しかるべき時期に内閣に設置される委員会において、慎重に検討すべきものと考える。

衆議院議員滝沢幸助 君 提出 皇室財産への課税等に關する質問に対する答弁書

平成元年7月4日受領
答弁第29号

  内閣衆質114第29号
    平成元年7月4日
内閣総理大臣 宇野宗佑

         衆議院議長 田村 元 殿
衆議院議員滝沢幸助君提出皇室財産への課税等に關する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員滝沢幸助君提出皇室財産への課税等に關する質問に対する答弁書

一及び七について
 天皇は、憲法上、日本国及び日本国民統合の象徴であり、また、その地位は世襲とされている点で、特別の地位を有されており、この意味で一般国民の取扱いと異なった面があることは御指摘のとおりである。
 このことから相続税の課税に当たっては、相続税法(昭和25年法律第73号)第12条第一項第1号において、「皇室経済法(昭和22年法律第4号)第7条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物」については、その特殊性にかんがみ非課税とされているところであるが、それ以外の財産、例えば有価証券、預金などについては、一般国民と同様相続税の課税の対象とされているところである。
 本件は、現行法制全体にかかわる問題であり、現在御指摘の法律改正を行うことは困難であるので、現行法制に基づいて適正に処理されるべきものである。

二について
 皇室が有する財産としては、皇室経済法第7条において皇嗣が受けることと規定されている皇位とともに伝わるべき由緒ある物及びこれ以外の財産があるが、同条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物は相続税法において非課税財産とされているので、これ以外の財産が相続税の課税対象となる。
 なお、皇居、葉山・那須御用邸などの皇室用財産は、国有財産であるところから相続税の課税対象とはならない。
 また、皇室経済法第7条に規定する「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」に該当するかどうかの判断は、必要に応じ関係機関の意見を聴いて、同法を所管する宮内庁において行う。

三について
 先例によれば、宮内庁の内廷会計主管が代理して申告することとなっている。

四について
 本件については、宮内庁において、国税庁とも相談しつつ慎重に検討の上、適正に申告されるものと考えている。

五について
 租税については、法令の定めるところにより適正に処理されるべきものであり、御指摘の相続税は、相続により取得された財産の中から納付される。

六について
 天皇は、憲法上、日本国及び日本国民統合の象徴であり、また、その地位は世襲とされている点で、特別の地位を有されており、この意味で一般国民の取扱いと異なった面があることは御指摘のとおりであるが、その他の面においては、一般国民と同様の法規の適用があると考える。

衆議院議員滝沢幸助 君 提出 大喪儀竝びに皇位繼承儀禮に関する質問に対する答弁書

平成元年2月17日受領
答弁第5号

  内閣衆質114第5号
    平成元年2月17日
内閣総理大臣 竹下 登

         衆議院議長 原 健三郎 殿
衆議院議員滝沢幸助君提出大喪儀竝びに皇位繼承儀禮に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員滝沢幸助君提出大喪儀竝びに皇位繼承儀禮に関する質問に対する答弁書

一について
 葬場殿の儀は、その形式等からして、社会通念上、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは、これを否定することができないと考える。

二について
 国が行う葬儀については、無宗教方式による事例の積み重ねがあり、御喪儀と御結婚の儀とは、同一に論ずることはできないと考える。

三及び四について
 大喪の礼については、御指摘の最高裁判所の判決の趣旨に照らし、国が日本国憲法第20条第三項の禁ずる宗教的活動を行ったとの疑いが残らないように配慮しているものである。

五について
 御指摘のいわゆる靖国神社公式参拝は、国務大臣が戦没者に対する追悼を目的として、神道儀式によることなく、追悼行為としてふさわしい方法によって追悼の意を表したものであり、これと大喪の礼とは同一に論ずることはできないと考える。

六について
 御指摘の撤去は、葬場殿の儀の終了後に、大喪の礼の準備行為としてされるものである。

七について
 御指摘の両儀式の名称は、日本国憲法の趣旨に沿い、かつ皇室の伝統等を尊重したものである。
 また、皇室典範(昭和22年法律第3号)は、即位という言葉を用いているところである。

八について
 新元号は、内閣が、元号法(昭和54年法律第43号)第一項の規定により、政令で定めたものである。

「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」に関する質問主意書

平成28年9月29日提出
質問第24号

「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」に関する質問主意書

提出者  奥野総一郎

「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」に関する質問主意書

 平成28年7月、天皇陛下が退位の御意向を示されているとの報道がなされ、同年8月には、陛下が「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」を述べられた。さらに9月には、政府において「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を開催することが決定された。
 そこで、以下質問する。

一 「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の「等」について
 1 具体的に何を示すのか。
 2 平成28年9月23日午前の記者会見において菅義偉内閣官房長官は同会議について、「退位の問題も含めて予断を持つことなく議論をしていただく」旨述べているが、「等」には「退位」が含まれるのか。
二 一の2の記者会見において官房長官が述べた「退位」の定義は何か。「譲位」とは異なるのか。
三 これまで退位を認めない理由として「天皇のそういう象徴たる地位から考えまして、御自分の発意でその地位を退かれるということは、やはりその地位と矛盾するのではないか」(林修三内閣法制局長官:昭和34年2月6日衆議院内閣委員会)との政府答弁があるが、日本国憲法第1条の解釈として「御自分の発意」による退位は認められるのか。
四 昭和46年3月10日の衆議院内閣委員会における高辻正巳内閣法制局長官(当時)の「憲法の第2条の、皇位は『国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。』という規定を受けまして皇室典範があって、これもご指摘のとおり第4条『天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する』ということで、退位の御自由がないというのが現行の憲法及び法律のたてまえであります。」との答弁に関して
 1 右答弁によれば、「退位」が現行制度上認められていない法的根拠は、皇室典範(昭和22年1月16日法律第3号)第4条の解釈によるとされている。現在も、この解釈が維持されているのか。
 2 右答弁は、皇室典範第4条を改正することで「退位」は可能となるという理解でよいか。
五 退位に関して定める法的措置の在り方について
 1 「政府は将来の退位を強くにじませた天皇陛下のお気持ち表明を受けて、いまの天皇陛下に限って生前退位を可能とする特別措置法を整備する方向で検討に入った。」との報道(朝日新聞平成28年9月7日)は事実か。
 2 「退位」は憲法第2条の「継承」のきっかけとなるものである。したがって、「退位」は憲法第2条に定める「皇室典範」の定めによらなければならないと解釈されるのではないか。憲法第2条の解釈を伺いたい。
 3 憲法第2条に定める「皇室典範」の定義は何か。現行の「皇室典範」以外に、退位に関する事項を新規の特別措置法として立法した場合、当該特別措置法を憲法第2条に定める「皇室典範」と解することは可能か。
六 皇室典範第11条第二項における皇籍離脱の規定について
 1 同条同項は、「親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。」と規定し、皇太子及び皇太孫の皇籍離脱を認めていない。この趣旨は何か。
 2 皇太子及び皇太孫が不在の場合、皇位継承順位第一位となる皇族は、同条同項の条文上は皇籍離脱でき得ることとなる。仮に同条同項の趣旨が「皇位継承順位第一位の者が皇籍離脱することを認めない」(同旨「皇室法概論」園部逸夫著)であるならば、規定の趣旨に合致しないこととなり、制度の不備ではないか。
七 「退位」が可能であるとして、「退位」された天皇の身分と呼び名、敬称はどこに定めを置くのか。現行の皇室典範をあわせて改正しておくべきではないのか。
八 「退位」については、五及び六のような規定の整備も含め、「皇室典範」(昭和22年1月16日法律第3号)の改正によるべきではないのか。
 右質問する。