衆議院議員木村太郎 君 提出 天皇陛下御在位二十周年に関する質問に対する答弁書

平成22年2月12日受領
答弁第70号

  内閣衆質174第70号
  平成22年2月12日
内閣総理大臣 鳩山由紀夫

       衆議院議長 横路孝弘 殿
衆議院議員木村太郎君提出天皇陛下御在位二十周年に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員木村太郎君提出天皇陛下御在位二十周年に関する質問に対する答弁書

一から四までについて
 政府は、天皇陛下の御在位20年を国民こぞってお祝い申し上げるのが望ましいと考え、平成21年10月6日の閣議において「天皇陛下御在位20年記念式典の挙行について」を決定した上で、同年11月12日に、国立劇場において天皇陛下御在位20年記念式典(以下「式典」という。)を挙行したところである。
 式典委員長である鳩山内閣総理大臣、式典副委員長である菅国務大臣及び平野内閣官房長官、式典委員である各国務大臣、内閣官房副長官等の政府の参列者は、式典挙行の趣旨を踏まえ、天皇陛下の御在位20年を慶祝する気持ちで式典に臨んだものである。
 また、万歳三唱の所作については、公式に定められたものがあるとは承知していない。

五について
 式典については、内閣総理大臣の式辞等や天皇皇后両陛下がお心をお寄せの分野の代表の辞、記念演奏、天皇陛下のおことば等で構成されていたが、それぞれの方の天皇陛下に対するお祝いを丁寧に表したいという気持ちなどから、全体の所要時間が予定より長くなったものであり、やむを得なかったものと考えている。

六について
 鳩山内閣としては、日本国憲法の定める象徴天皇の制度の下、天皇陛下を始めとする皇室の方々に、尊崇の念を持って対応している。
 また、我が国で、日の丸が国旗、君が代が国歌として定着していることは、多くの国民に認められているところであり、国旗及び国歌については、鳩山内閣としても敬意を持って対応すべきものと考えている。

衆議院議員吉井英勝 君 提出 宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する質問に対する答弁書

平成22年6月11日受領
答弁第535号

  内閣衆質174第535号
  平成22年6月11日
内閣総理大臣 菅 直人

       衆議院議長 横路孝弘 殿
衆議院議員吉井英勝君提出宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員吉井英勝君提出宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する質問に対する答弁書

(一)について
 御指摘の「見解」については、昭和52年3月22日の衆議院内閣委員会において野本宮内庁書陵部長(当時)が「陵墓として静安を保ち尊厳を維持するということに第一に重点を置いて管理している」と答弁しているほか、同趣旨の答弁を累次行っている。また、御指摘の「生きた墓」とは、陵墓等のことを、現に祭祀が継続して行われているという趣旨で比喩的に述べたものである。

(二)について
 お尋ねについては、陵墓等への立入り等を禁じる旨の看板を陵墓等に掲示することを命じた明治六年11月2日の太政官達以降、設置している。

(三)及び(四)について
 国有財産法(昭和23年法律第73号)第9条の五においては、「各省各庁の長は、その所管に属する国有財産について、良好な状態での維持及び保存、用途又は目的に応じた効率的な運用その他の適正な方法による管理及び処分を行わなければならない。」と規定されている。
 宮内庁としては、その所管に属する同法第3条第二項第3号に規定する皇室用財産である陵墓等について、天皇及び皇族を葬る所であり、静安と尊厳の保持が最も重要とされるという陵墓等の本義にかんがみ、同法第9条の五の規定に基づき、適切に管理している。

(五)について
 陵墓等及び出土品の管理については、宮内庁の所掌事務の一環として、所要の予算をもって適切に行っている。
 また、祭祀は皇室が行っているものであり、その経費については、先の答弁書(平成21年7月6日内閣衆質一七一第611号)(七)についてでお答えしたとおりである。

(六)及び(八)から(十二)までについて
 式年祭は、皇室において、その伝統に基づいて、歴代天皇や皇族の方々を祭るために行われているものであり、宮内庁は宮内庁法(昭和22年法律第70号)に基づき、そのお世話を行っている。
 皇室の行事である式年祭の詳細については、お答えを差し控えたい。

(七)について
 陵墓等は、天皇及び皇族を葬る所として、国有財産法上の皇室用財産として宮内庁が管理し、これに要する経費を宮廷費から支出しているものであり、このことについて憲法上の問題があるとは考えていない。
 宮内庁が支出した陵墓等の維持管理等に必要な経費の金額は、平成17年度は約二千六百七十一万六千円、平成18年度は約二千三百二十万七千円、平成19年度は約二千二百八十六万二千円、平成20年度は約三千二百五十七万三千円、平成21年度は約二千百九十八万円である。なお、平成16年度以前については、会計書類の保存期間が経過していることから、お答えすることは困難である。

(十三)及び(十五)について
 平野内閣官房長官(当時)は、本年2月二15日の衆議院予算委員会第一分科会において、御指摘のとおりの答弁を行っている。
 宮内庁書陵部陵墓課においては、陵墓等に関する様々な学説があることも踏まえて、調査及び考証に当たっている。なお、御指摘のような内規や規程等は設けられていない。

(十四)について
 「日本書紀」には、孝霊天皇は孝元天皇六年に片丘馬坂陵に葬られた旨記述されているが、御指摘の「箸墓古墳」の築造年次や倭迹迹日百襲姫命の埋葬年次に関する記述は認められない。
 また、片丘馬坂陵は、奈良県北葛城郡王寺町本町三丁目に所在している。

(十六)について
 御指摘の「陵墓の立入りの取扱方針」においては、学術研究者を陵墓等への立入許可の対象としており、学術研究者に該当するのであれば、国会議員による立入りを排除するものではない。

(十七)について
 文化庁としては、御指摘の「誉田御廟山古墳」の被葬者については、学術的には確定していないものと承知している。

(十八)について
 御指摘の史跡の名称については、先の答弁書(二十七)についてでお答えしたとおりである。
 また、一般的に、史跡の名称を変更する必要が生じる場合としては、ある史跡に、その周辺で新たに確認された遺跡を追加指定する際に、その史跡の名称をより適切に示す必要が生じる場合などがある。

(十九)及び(二十)について
 史跡に指定されていない外濠・外堤に想定される部分については、文化財保護法(昭和25年法律第二百十四号)にのっとった措置として、大阪府教育委員会、羽曳野市教育委員会及び藤井寺市教育委員会が、開発行為に伴う事前の発掘調査等を実施しているところであり、文化庁としては、今後、これらの調査結果を踏まえて、土地所有者等の財産権に配慮しつつ、史跡への追加指定について検討すべきものと考える。
 また、既に史跡に指定されている外濠・外堤及び史跡に指定されていない外濠・外堤に想定される部分における発掘調査の件数については、当該調査を実施した大阪府教育委員会、羽曳野市教育委員会及び藤井寺市教育委員会からは、現段階で把握できたものは七十五件であると聞いている。これらのうち二十五件において外濠・外堤の遺構が検出され、そのうち現状保存されたものは十九件であると聞いている。なお、お尋ねの「配置」については、既に史跡に指定されている外濠・外堤及び史跡に指定されていない外濠・外堤に想定される部分のほぼ全域にわたるものと聞いている。

(二十一)について
 三吉陵墓参考地においては、平成23年度に外構柵整備工事を予定しており、その適切な工法を検討するに当たり、事前に遺構・遺物の確認を行うための調査を行うものである。

(二十二)について
 三吉陵墓参考地については、その墳丘の規模等により皇室関係者が埋葬されていると考えられたことから、明治19年に御陵墓伝説地となり、現在は陵墓参考地として管理している。また、その築造時期は、一般には古墳時代中期と考えられている。

(二十三)について
 三吉陵墓参考地において予定している事前調査については、地元教育委員会から同時調査の要望は受けていない。
 なお、調査の結果については、「書陵部紀要」において公表する予定である。

(二十四)について
 大塚陵墓参考地については、その副葬品等により皇室関係者が埋葬されていると考えられたことから、明治19年に御陵墓伝説地となり、現在は陵墓参考地として管理している。また、その築造時期は、一般には古墳時代前期と考えられている。

(二十五)について
 仮定の御質問にお答えすることは差し控えたい。

(二十六)について
 陵墓の副葬品については、皇室の私有財産と考えている。

(二十七)について
 宮内庁においては、陵墓の副葬品は管理していない。

(二十八)について
 御指摘の「辻畑古墳」については、沼津市教育委員会において開発行為に伴う事前の発掘調査を実施しているところであり、今後、その取扱いを判断するため、調査結果を踏まえた学術的な検討が行われると聞いている。

衆議院議員吉井英勝 君 提出 宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する再質問に対する答弁書

平成22年6月22日受領
答弁第585号

  内閣衆質174第585号
  平成22年6月22日
内閣総理大臣 菅 直人

       衆議院議長 横路孝弘 殿
衆議院議員吉井英勝君提出宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する再質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員吉井英勝君提出宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する再質問に対する答弁書

(一)について
 お尋ねの「静安と尊厳の保持」とは、陵墓等の環境の静安と被葬者の尊厳の保持という趣旨を端的に述べたものである。

(二)について
 大和大塚陵墓参考地は千八百86年(明治19年)に御陵墓伝説地に、藤井寺陵墓参考地は千九百16年(大正五年)に御陵墓参考地に治定され、いずれも千九百26年(大正15年)に陵墓参考地として整理されている。また、河内大塚陵墓参考地については、千九百25年(大正14年)に陵墓参考地に治定されている。
 これらの陵墓参考地の治定前の状況については、承知していない。

(三)について
 御指摘の太政官達は既に効力を有していないが、現在では、御指摘の看板は、国有財産法(昭和23年法律第73号)第9条の五の規定に基づく陵墓等の管理の一環として、宮内庁により設置されている。

(四)について
 御指摘のような事情を踏まえたとしても、陵墓等の調査については、先の答弁書(平成21年7月6日内閣衆質一七一第611号)(一)及び(二)についてでお答えしたとおりである。

(五)について
 式年祭は、皇室の行事として行われているものであることから、政府としては、その詳細についてのお答えを差し控えたものである。

(六)について
 御指摘の国家公務員による参列は、陵墓において皇室が祖先を弔う目的で行う行事に際し、平素から陵墓の管理等に携わる者が儀礼的に行ったものであり、憲法上の問題があるとは考えていない。
 なお、地方公務員による参列については、お答えする立場にない。

(七)及び(八)について
 陵墓参考地における祭祀は、皇室の行事として、その伝統に基づき行われており、毎年、春又は秋の適当な日を選ぶなどして行われているものと承知している。

(九)について
 片丘馬坂陵は、丘陵上に位置する長径約九十メートルの山形の陵である。また、「日本書紀」には、その築造年次に関する記述は認められない。

(十)について
 「日本書紀」に記述された「孝元天皇六年」は、紀元前二百九年に相当するとされている。

(十一)について
 大正15年に皇室陵墓令施行規則(大正15年宮内省令第8号)が施行され、それまでの御陵墓伝説地は陵墓参考地として整理された。
 現在、陵墓参考地については、国有財産法第3条第二項第3号に規定する皇室用財産として管理している。

(十二)について
 三吉陵墓参考地については、その周辺に所在する前方後円墳と比しても有数の規模であることから、将来の考証に備え、明治19年に御陵墓伝説地とされたものである。また、その被葬者については、現在考証中である。

(十三)について
 仮定の御質問にお答えすることは差し控えたい。

(十四)について
 大塚陵墓参考地から出土した銅鏡等は副葬品と考えられるが、同陵墓参考地の被葬者が特定されるまでは、当該副葬品については、皇室の私有財産ではなく国の物品として、宮内庁が管理している。

(十五)について
 宮内庁が管理する大塚陵墓参考地からの出土品は、直弧文鏡二点、素文縁直弧文鏡一点、三角縁二神二獣鏡一点、三角縁三仏三獣鏡一点、三角縁三神三獣鏡四点、三角縁四神四獣鏡三点、画文帯縁環状乳四神四獣鏡二点、画文帯縁重列式四神四獣鏡一点、だ龍鏡一点、変形方格規矩四神鏡四点、内行花文鏡十四点、帯金具※(注)具二点、帯金具※(注)板十一点、帯金具止金具一点、碧玉管玉十七点、砂岩管玉二点、緑色片岩大管玉一点、凝灰岩筒形石製品二点、同残欠五点、石釧一点、車輪石二点、同残欠一点、石製鏃六点、同残欠一点、石製刀子柄一点、椅子形石製品一点、台座形石製品二点である。

(十六)について
 御陵墓伝説地や陵墓参考地の治定に当たっては、副葬品のみならず、墳丘の規模や地元の口碑伝承等についても調査の上、総合的に判断されたものと考えている。また、大塚陵墓参考地の被葬者については、現在考証中である。

(十七)及び(十八)について
 お尋ねについては、一般的に、文化財保護法(昭和25年法律第二百十四号)にのっとり、地元教育委員会において、開発行為に伴う事前の発掘調査等を実施し、その結果を踏まえて、適切な措置が採られているものと考えている。

(十九)について
 お尋ねについては、文化財保護の観点から地方公共団体により適切な措置が採られるものと考えている。

(二十)について
 文化庁としては、御指摘の「応神天皇陵」については、御指摘の「②」に該当するものと認識している。その他については、史跡に指定されておらず、現況を把握していないため、お答えすることは困難である。

(二十一)について
 活断層の長期評価を実施している文部科学省の地震調査研究推進本部は、御指摘の「誉田御廟山古墳」を通過する活断層については既に同古墳の調査結果が活用されていること、また、御指摘の「大山古墳」については地上に現れている活断層が同古墳を通過しておらず調査の必要性が必ずしも高いとは言えないことから、これらの古墳について現時点で新たに実地調査を行う必要はないとしている。このことを踏まえ、内閣府及び消防庁としては、宮内庁に対して実地調査の要請を行うことは考えていない。

(二十二)について
 お尋ねについては、未定であると聞いている。

衆議院議員吉井英勝 君 提出 学術文化遺産の戦後処理問題解決に関する再質問に対する答弁書

平成22年6月22日受領
答弁第586号

  内閣衆質174第586号
  平成22年6月22日
内閣総理大臣 菅 直人

       衆議院議長 横路孝弘 殿
衆議院議員吉井英勝君提出学術文化遺産の戦後処理問題解決に関する再質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員吉井英勝君提出学術文化遺産の戦後処理問題解決に関する再質問に対する答弁書

(一)について
 お尋ねの「文化的遺産」が何を指すのかが明らかではないため、お答えすることは困難である。

(二)について
 国立大学法人東京大学(以下単に「東京大学」という。)に確認したところ、「楽浪土城址」から出土した瓦等を所蔵しているとのことである。また、国立大学法人京都大学(以下単に「京都大学」という。)に確認したところ、「慶尚南道東莱郡多大浦貝塚」から出土した土器片等を所蔵しているとのことである。

(三)及び(八)について
 東京大学、京都大学及び独立行政法人国立文化財機構(以下「機構」という。)に確認したところ、東京大学、京都大学及び東京国立博物館が所蔵する朝鮮半島に由来する文化財については、いずれも合法かつ適切に入手されたものとのことである。なお、大韓民国に由来するものについては、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(昭和40年条約第27号)及び文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(昭和40年条約第29号)により、完全かつ最終的に解決されているものと認識している。

(四)について
 お尋ねの「遺跡等の調査」が何を指すのかが明らかではないため、お答えすることは困難である。

(五)について
 機構に確認したところ、御指摘の資料については、昭和13年に朝鮮総督府から東京帝室博物館に移管されたものとのことである。

(六)について
 機構に確認したところ、財団法人小倉コレクション保存会から東京国立博物館に寄贈された資料の中にはお尋ねの資料に該当するものがあると考えられるが、それ以外は把握していないとのことである。

(七)について
 御指摘の「朝鮮総督府が関わったこれらの資料」の範囲が必ずしも明らかではないため、資料の公開についてのお尋ねにお答えすることは困難である。なお、独立行政法人国立文化財機構法(平成11年法律第百七十八号)第12条第一項第2号は、機構の業務として「有形文化財を収集し、保管して公衆の観覧に供すること。」を掲げているが、機構は、有形文化財の公開の方法、期間等について自ら決定することができるものと考えている。

(九)について
 東京大学に確認したところ、御指摘の「朝鮮王朝実録」は、大正二年に朝鮮総督府から東京帝国大学に移管され、その後、関東大震災で焼け残った七十四冊のうち二十七冊については、昭和7年に同大学から京城帝国大学に移管され、残る四十七冊については、学術交流の推進等を図るため、平成18年に東京大学からソウル大学校に寄贈されたとのことである。

(十)及び(十一)について
 御指摘の「朝鮮王室儀軌」については、宮内省が大正六年に業者から購入したものと、宮内省が執務資料として大正11年に朝鮮総督府から移管を受けたものがある。
 宮内庁は、これらを国の物品として引き継ぎ所蔵しているものである。

(十二)について
 宮内庁が所蔵する書籍のうち、現時点で朝鮮総督府から移管されたことが確認できているものは九十三部二百七十三冊であり、その内訳は次のとおりである。これらについては、閲覧の申込みがあれば、これに応じている。
 通文館志一部五冊、辛壬紀年提要一部七冊、李忠武公全書一部八冊、退渓先生言行録一部三冊、東史補遺一部四冊、麗史提綱一部十四冊、彙纂麗史一部二十二冊、羹牆録一部四冊、弘文館志一部一冊、林忠愍公実記一部三冊、謨訓輯要一部三冊、芝峰類説一部十冊、国朝宝鑑一部二十六冊、(哲宗大王)※(注)廟都監儀軌一部一冊、(哲宗大王)殯殿魂殿都監儀軌一部三冊、(哲宗大王)国葬都監儀軌一部四冊、睿陵山陵都監儀軌一部二冊、(哲仁王后)睿陵山陵都監儀軌一部二冊、(哲仁王后)※(注)廟都監儀軌一部一冊、(哲仁王后)国葬都監儀軌一部四冊、(哲仁王后)殯殿魂殿都監儀軌一部三冊、王世子嘉礼都監儀軌一部二冊、王世子冊礼都監儀軌一部一冊、嘉礼都監儀軌一部二冊、皇太子嘉礼都監儀軌一部二冊、(神貞王后)国葬都監儀軌一部四冊、綏陵山陵都監儀軌一部二冊、綏陵陵上莎草改修都監儀軌一部一冊、(神貞王后)殯殿魂殿都監儀軌一部三冊、(神貞王后)※(注)廟都監儀軌一部一冊、(明成皇后)国葬都監儀軌一部四冊、洪陵山陵都監儀軌一部二冊、洪陵石儀重修都監儀軌一部一冊、(明成皇后)殯殿魂殿都監儀軌一部三冊、影幀※(注)写都監補完儀軌一部一冊、影幀※(注)写都監儀軌(光武五写)一部一冊、影幀※(注)写都監儀軌(光武四写)一部一冊、国朝宝鑑監印所儀軌一部一冊、宝印所都監儀軌一部一冊、増建都監儀軌一部一冊、※(注)源譜略修正儀軌(光武八写)一部一冊、※(注)源譜略修正儀軌(光武十一写)一部一冊、日記庁儀軌一部一冊、元子阿只氏蔵胎儀軌一部一冊、裕康園園所都監儀軌一部二冊、(純明妃)殯殿魂殿都監都庁儀軌一部五冊、(純明妃)国葬都監儀軌一部四冊、景陵山陵都監儀軌一部二冊、(孝定王后)殯殿魂殿都監都庁儀軌一部一冊、(孝定王后)※(注)廟都監儀軌一部一冊、肇慶壇濬慶墓永慶墓営建庁儀軌一部二冊、廟号都監儀軌一部一冊、進封皇貴妃儀軌一部一冊、(淳妃)冊封儀軌一部一冊、追封皇后進封皇后儀軌一部一冊、追封冊封儀軌一部一冊、(義王英王)冊封儀軌一部一冊、慶運宮重建都監儀軌一部二冊、中和殿営建都監儀軌一部一冊、昌慶宮営建都監儀軌一部一冊、永禧殿営建都監儀軌一部一冊、真殿重建都監儀軌一部一冊、上号都監儀軌(翼宗大王同王妃)一部一冊、上尊号都監儀軌一部一冊、上号都監儀軌(翼宗大王同妃追上、洪大妃加上、李太王同妃加上)一部一冊、上号都監儀軌(翼宗大王同妃、憲宗大王同妃、哲宗大王同妃)一部一冊、上号都監儀軌(光武六写)一部一冊、上号都監儀軌(光武四写)一部一冊、加上尊号都監儀軌一部一冊、加上尊号都監儀軌(神貞皇后)一部一冊、尊崇都監儀軌一部一冊、追上尊号都監儀軌一部一冊、追尊儀軌(隆熙二写)一部一冊、追尊儀軌(光武五写)一部一冊、尊封都監儀軌一部一冊、大礼儀軌一部一冊、(孝定王后)国葬都監儀軌一部四冊、(孝定王后)殯殿魂殿都監儀軌一部四冊、進饌儀軌(神貞王后七旬賀宴)一部四冊、進饌儀軌(神貞王后八旬宴賀)一部四冊、進饌儀軌(李太王望五宴賀)一部四冊、進饌儀軌(明憲太后望八宴賀)一部四冊、進宴儀軌(李太王五旬宴賀)一部四冊、進宴儀軌(李太王入耆杜宴賀)一部四冊、進宴儀軌(李太王望六賀宴)一部四冊、宮園儀一部二冊、華城城役儀軌一部九冊、整理儀軌一部八冊、永興本宮儀式一部一冊、咸興本宮儀式一部一冊、皇壇従享儀軌一部一冊、皇壇儀一部二冊、皇壇増修儀一部二冊である。

(十三)について
 宮内庁は、明成皇后の国葬を記録した「(明成皇后)国葬都監儀軌」と題する書籍を所蔵している。

(十四)について
 お尋ねの趣旨が必ずしも明らかではないため、お答えすることは困難である。

(十五)から(十八)までについて
 李王職は、李王職官制(明治43年皇室令第34号)により「宮内大臣ノ管理ニ属シ王族及公族ノ家務ヲ掌ル」組織として千九百11年(明治44年)2月1日に設置され、千九百46年(昭和21年)1月三11日に廃止されたものであるが、その具体的な職務内容その他のお尋ねについては、宮内庁において確認した範囲では、これらを確認できる資料が見つからなかったため、お答えすることは困難である。

(十九)について
 お尋ねの「李王職に関する文書」が何を指すかが明らかではないため、お答えすることは困難である。

衆議院議員吉井英勝 君 提出 陵墓に治定されている古墳の祭祀に関する質問に対する答弁書

平成22年8月20日受領
答弁第38号

  内閣衆質175第38号
  平成22年8月20日
内閣総理大臣 菅 直人

       衆議院議長 横路孝弘 殿
衆議院議員吉井英勝君提出陵墓に治定されている古墳の祭祀に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員吉井英勝君提出陵墓に治定されている古墳の祭祀に関する質問に対する答弁書

(一)について
 お尋ねの「古墳時代の陵墓」とは、古代高塚式の陵墓及び陵墓参考地を指すと考えられるが、これらの陵墓等は、江戸時代の元禄年間(千六百88年から千七百四年までの期間をいう。以下同じ。)から昭和にかけて治定されたものであり、「諸陵寮誌」等の文献にみられるように、治定以降現在に至るまで皇室による祭祀が継続して行われているところである。
 なお、古くは奈良時代に成立した「養老令」に、陵における祭祀をつかさどる諸陵司を設置することが記載されているほか、平安時代に成立した「延喜式」にも、祭祀の対象となる陵墓の一覧が記載されているところである。

(二)について
 「日本書紀」には、御指摘の「箸墓古墳」の築造年次や倭迹迹日百襲姫命の薨去年次に関する記述は認められない。
 なお、御指摘の「箸墓古墳」の築造時期について、三世紀の中頃から後半という見解があることは承知している。

(三)について
 陵墓等については、天皇及び皇族を葬る所として、祭祀が現に継続して行われ、皇室と国民の追慕尊崇の対象となっていることから、静安と尊厳の保持が最も重要であると考えている。

(四)について
 陵墓等は、「日本書紀」、「古事記」、「延喜式」等の古記録の陵に関する記載、口碑伝承等に基づき現地踏査が行われ、元禄年間から昭和にかけて治定されたものである。

(五)について
 古代高塚式の陵墓等の名称、考古学上の名称、被葬者名、所在地及び治定の時期については次のとおりである。
 畝傍山東北陵 四条ミサンザイ古墳 神武天皇 奈良県橿原市 文久年間(千八百61年から千八百64年までの期間をいう。以下同じ。)
 桃花鳥田丘上陵 四条塚山古墳 綏靖天皇 奈良県橿原市 千八百78年2月二18日
 畝傍山西南御陰井上陵 不詳 安寧天皇 奈良県橿原市 文久年間
 畝傍山南繊沙渓上陵 不詳 懿徳天皇 奈良県橿原市 文久年間
 掖上博多山上陵 不詳 孝昭天皇 奈良県御所市 元禄年間
 玉手丘上陵 不詳 孝安天皇 奈良県御所市 文久年間
 片丘馬坂陵 不詳 孝霊天皇 奈良県王寺町 元禄年間
 剣池嶋上陵 中山塚一号墳、二号墳及び三号墳 孝元天皇 奈良県橿原市 元禄年間
 春日率川坂上陵 念仏寺山古墳 開化天皇 奈良県奈良市 元禄年間
 山辺道勾岡上陵 行燈山古墳 崇神天皇 奈良県天理市 文久年間
 菅原伏見東陵 宝来山古墳 垂仁天皇 奈良県奈良市 元禄年間
 山辺道上陵 渋谷向山古墳 景行天皇 奈良県天理市 文久年間
 狭城盾列池後陵 佐紀石塚山古墳 成務天皇 奈良県奈良市 元禄年間
 恵我長野西陵 岡ミサンザイ古墳 仲哀天皇 大阪府藤井寺市 文久年間
 恵我藻伏崗陵 誉田御廟山古墳 応神天皇 大阪府羽曳野市 元禄年間
 百舌鳥耳原中陵 大仙古墳 仁徳天皇 大阪府堺市 元禄年間
 百舌鳥耳原南陵 石津丘古墳 履中天皇 大阪府堺市 元禄年間
 百舌鳥耳原北陵 田出井山古墳 反正天皇 大阪府堺市 元禄年間
 恵我長野北陵 市野山古墳 允恭天皇 大阪府藤井寺市 文久年間
 菅原伏見西陵 不詳 安康天皇 奈良県奈良市 文久年間
 丹比高鷲原陵 高鷲丸山古墳 雄略天皇 大阪府羽曳野市 元禄年間
 河内坂門原陵 白髪山古墳 清寧天皇 大阪府羽曳野市 元禄年間
 傍丘磐坏丘南陵 不詳 顕宗天皇 奈良県香芝市 千八百89年6月1日
 埴生坂本陵 野中ボケ山古墳 仁賢天皇 大阪府藤井寺市 文久年間
 三嶋藍野陵 太田茶臼山古墳 継体天皇 大阪府茨木市 享保年間(千七百16年から千七百36年までの期間をいう。)
 古市高屋丘陵 高屋築山古墳 安閑天皇 大阪府羽曳野市 元禄年間
 身狭桃花鳥坂上陵 鳥屋ミサンザイ古墳 宣化天皇 奈良県橿原市 元禄年間
 桧隈坂合陵 平田梅山古墳 欽明天皇 奈良県明日香村 文久年間
 河内磯長中尾陵 太子西山古墳 敏達天皇 大阪府太子町 元禄年間
 河内磯長原陵 春日向山古墳 用明天皇 大阪府太子町 元禄年間
 磯長山田陵 山田高塚古墳 推古天皇 大阪府太子町 元禄年間
 押坂内陵 段ノ塚古墳 舒明天皇 奈良県桜井市 元禄年間
 大阪磯長陵 山田上ノ山古墳 孝徳天皇 大阪府太子町 元禄年間
 越智崗上陵 車木ケンノウ古墳 斉明天皇 奈良県高取町 文久年間
 山科陵 御廟野古墳 天智天皇 京都府京都市山科区 元禄年間
 長等山前陵 亀塚古墳 弘文天皇 滋賀県大津市 千八百77年6月15日
 桧隈大内陵 野口王墓古墳 天武天皇及び持統天皇 奈良県明日香村 千八百81年2月15日
 桧隈安古岡上陵 栗原塚穴古墳 文武天皇 奈良県明日香村 千八百81年2月15日
 佐保山南陵 法蓮北畑古墳 聖武天皇 奈良県奈良市 元禄年間
 高野陵 佐紀高塚古墳 称徳天皇 奈良県奈良市 文久年間
 田原東陵 田原塚ノ本古墳 光仁天皇 奈良県奈良市 元禄年間
 楊梅陵 市庭古墳 平城天皇 奈良県奈良市 文久年間
 狭木之寺間陵 佐紀陵山古墳 垂仁天皇皇后日葉酢媛命 奈良県奈良市 千八百75年11月二18日
 日岡陵 日岡山一号墳 景行天皇皇后播磨稲日大郎姫命 兵庫県加古川市 千八百83年4月14日
 狭城盾列池上陵 五社神古墳 仲哀天皇皇后神功皇后 奈良県奈良市 文久年間
 仲津山陵 仲津山古墳 応神天皇皇后仲姫命 大阪府藤井寺市 千八百75年11月二18日
 平城坂上陵 ヒシアゲ古墳 仁徳天皇皇后磐之媛命 奈良県奈良市 千八百75年11月二18日
 衾田陵 西殿塚古墳 継体天皇皇后手白香皇女 奈良県天理市 千八百76年9月14日
 古市高屋陵 高屋八幡山古墳 安閑天皇皇后春日山田皇女 大阪府羽曳野市 千八百75年11月二18日
 佐保山東陵 不詳 聖武天皇皇后光明子 奈良県奈良市 千八百79年2月8日
 宇智陵 不詳 光仁天皇皇后井上内親王 奈良県五条市 千八百77年4月
 大枝陵 不詳 光仁天皇夫人新笠 京都府京都市西京区 千八百80年12月
 高畠陵 伝高畠陵古墳 桓武天皇皇后乙牟漏 京都府向日市 千八百79年10月13日
 宇波多陵 不詳 桓武天皇夫人旅子(読み不詳) 京都府京都市西京区 千八百80年12月
 高屋山上陵 不詳 天津日高彦火火出見尊 鹿児島県霧島市 千八百74年7月
 埴口丘陵 北花内大塚古墳 履中天皇皇孫女飯豊天皇 奈良県葛城市 文久年間
 田原西陵 田原西山古墳 天智天皇皇子追尊天皇春日宮天皇 奈良県奈良市 文久年間
 吉隠陵 不詳 天智天皇皇子妃贈皇太后橡姫 奈良県宇陀市 千八百79年2月8日
 真弓丘陵 不詳 天武天皇皇子追尊天皇岡宮天皇 奈良県高取町 文久年間
 竈山墓 竃山神社古墳 彦五瀬命 和歌山県和歌山市 千八百76年1月二12日
 大吉備津彦命墓 中山茶臼山古墳 孝霊天皇皇子大吉備津彦命 岡山県岡山市 千八百74年12月2日
 大市墓 箸墓古墳 孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命 奈良県桜井市 文久年間
 身狭桃花鳥坂墓 桝山古墳 崇神天皇皇子倭彦命 奈良県橿原市 千八百77年4月
 大入杵命墓 小田中親王塚古墳 崇神天皇皇子大入杵命 石川県中能登町 千八百75年12月二17日
 八坂入彦命墓 大萱古墳 崇神天皇皇子八坂入彦命 岐阜県可児市 千八百75年12月17日
 宇度墓 淡輪ニサンザイ古墳 垂仁天皇皇子五十瓊敷入彦命 大阪府岬町 千八百80年12月二18日
 息速別命墓 阿保親王墓古墳 垂仁天皇皇子息速別命 三重県伊賀市 千八百76年2月4日
 磐衝別命墓 羽咋御陵山古墳 垂仁天皇皇子磐衝別命 石川県羽咋市 千九百17年9月二17日
 磐城別王墓 羽咋大谷塚古墳 垂仁天皇皇孫磐城別王 石川県羽咋市 千九百17年9月二17日
 大碓命墓 不詳 景行天皇皇子大碓命 愛知県豊田市 千八百75年12月二17日
 能褒野墓 能褒野王塚古墳 景行天皇皇子日本武尊 三重県亀山市 千八百79年10月三11日
 五十狭城入彦皇子墓 西本郷和志山古墳 景行天皇皇子五十狭城入彦皇子 愛知県岡崎市 千九百41年4月18日
 那羅山墓 不詳 応神天皇皇子大山守命 奈良県奈良市 千八百77年4月
 宇治墓 菟道丸山古墳 応神天皇皇太子菟道稚郎子尊 京都府宇治市 千八百89年6月1日
 都紀女加王墓 上のびゅう塚古墳 応神天皇皇曽孫都紀女加王 佐賀県上峰町 千九百43年8月5日
 磐坂市辺押磐皇子墓 不詳 履中天皇皇子磐坂市辺押磐皇子 滋賀県東近江市 千八百75年8月7日
 坂合黒彦皇子墓 不詳 允恭天皇皇子坂合黒彦皇子 奈良県大淀町 千八百76年9月14日
 押坂内墓 不詳 欽明天皇皇女大伴皇女 奈良県桜井市 千八百76年10月二16日
 桧隈墓 不詳 敏達天皇皇孫妃吉備姫王 奈良県明日香村 文久年間
 磯長墓 叡福寺北古墳 用明天皇皇子聖徳太子 大阪府太子町 千八百75年3月8日
 埴生崗上墓 埴生野塚穴古墳 用明天皇皇子来目皇子 大阪府羽曳野市 千八百75年3月8日
 越智崗上墓 不詳 天武天皇妃大田皇女 奈良県高取町 文久年間
 二上山墓 不詳 天武天皇皇子大津皇子 奈良県葛城市 千八百76年9月14日
 長屋王墓 梨本南二号墳 天武天皇皇孫長屋王 奈良県平群町 千九百一年2月二16日
 吉備内親王墓 不詳 天武天皇皇孫長屋王妃吉備内親王 奈良県平群町 千九百一年2月二16日
 那富山墓 大黒ヶ芝古墳 聖武天皇皇子皇太子(御名不詳) 奈良県奈良市 千八百79年10月13日
 和束墓 不詳 聖武天皇皇子安積親王 京都府和束町 千八百79年1月11日
 他戸親王墓 不詳 光仁天皇皇子皇太子他戸親王 奈良県五条市 千八百83年10月二16日
 巨幡墓 遠山黄金塚二号墳 桓武天皇皇子伊豫親王 京都府京都市伏見区 千八百84年1月三11日
 高畠墓 垂箕山古墳 桓武天皇皇子仲野親王 京都府京都市右京区 千八百75年11月二18日
 阿保親王墓 打出親王塚古墳 平城天皇皇子阿保親王 兵庫県芦屋市 千八百75年8月19日
 白鳥陵 軽里大塚古墳 景行天皇皇子日本武尊 大阪府羽曳野市 千八百80年12月二18日
 白鳥陵 不詳 景行天皇皇子日本武尊 奈良県御所市 千八百76年5月12日
 大塚陵墓参考地 河内大塚山古墳 不詳 大阪府羽曳野市及び松原市 千九百25年9月二11日
 藤井寺陵墓参考地 津堂城山古墳 不詳 大阪府藤井寺市 千九百16年10月14日
 東百舌鳥陵墓参考地 土師ニサンザイ古墳 不詳 大阪府堺市 千九百九年10月二11日
 百舌鳥陵墓参考地 百舌鳥御廟山古墳 不詳 大阪府堺市 千九百一年12月9日
 畝傍陵墓参考地 見瀬丸山古墳 不詳 奈良県橿原市 千八百97年9月15日
 宇和奈辺陵墓参考地 ウワナベ古墳 不詳 奈良県奈良市 千八百85年4月6日
 小奈辺陵墓参考地 コナベ古墳 不詳 奈良県奈良市 千八百85年4月6日
 郡山陵墓参考地 郡山新木山古墳 不詳 奈良県大和郡山市 千八百97年9月15日
 磐園陵墓参考地 城山築山古墳 不詳 奈良県大和高田市 千八百87年5月二14日
 陵西陵墓参考地 狐井塚古墳 不詳 奈良県大和高田市 千八百97年9月15日
 三吉陵墓参考地 三吉新木山古墳 不詳 奈良県広陵町 千八百86年6月8日
 大塚陵墓参考地 新山古墳 不詳 奈良県広陵町 千八百86年12月13日
 黄金塚陵墓参考地 田中黄金塚古墳 不詳 奈良県奈良市 千八百91年9月19日
 富郷陵墓参考地 岡原古墳 不詳 奈良県斑鳩町 千八百97年9月15日
 円山陵墓参考地 丸山古墳 不詳 京都府京都市右京区 千八百99年12月二17日
 入道塚陵墓参考地 入道塚古墳 不詳 京都府京都市右京区 千八百99年12月二17日
 下坂本陵墓参考地 木岡陵古墳 不詳 滋賀県大津市 千八百92年12月二15日
 安曇陵墓参考地 田中大塚古墳 不詳 滋賀県高島市 千九百五年7月二11日
 宇治山田陵墓参考地 尾部古墳 不詳 三重県伊勢市 千九百八年
 玉津陵墓参考地 吉田王塚古墳 不詳 兵庫県神戸市 千九百年5月4日
 雲部陵墓参考地 雲部車塚古墳 不詳 兵庫県篠山市 千八百99年7月6日
 岩坂陵墓参考地 不詳 不詳 島根県松江市 千九百年4月20日
 妻鳥陵墓参考地 東宮山古墳 不詳 愛媛県四国中央市 千八百95年12月4日
 勾金陵墓参考地 不詳 不詳 福岡県香春町 千八百95年12月4日
 花園陵墓参考地 晩免古墳 不詳 熊本県宇土市 千八百88年12月二16日
 北川陵墓参考地 可愛山古墳 不詳 宮崎県延岡市 千八百95年12月4日
 男狭穂塚女狭穂塚陵墓参考地 男狭穂塚古墳 不詳 宮崎県西都市 千八百95年12月4日
 男狭穂塚女狭穂塚陵墓参考地 女狭穂塚古墳 不詳 宮崎県西都市 千八百95年12月4日

(六)について
 宮内庁としては、陵墓等については、現に皇室において祭祀が継続して行われ、皇室と国民の追慕尊崇の対象となっていることから、静安と尊厳の保持が最も重要であると考えている。このため、部外者を陵墓等に立ち入らせたりすることは、厳に慎むべきことと考えているが、学術研究上の要請にこたえるため、陵墓等の本義に支障を及ぼさない限りにおいて、保全工事に伴う調査の際の見学の実施や調査結果の公表等に努めているところである。

(七)及び(八)について
 宮内庁は、先の答弁書(平成22年6月11日内閣衆質一七四第535号)(三)及び(四)についてでお答えしたとおり、陵墓等の管理を行っており、陵墓等の管理に携わる宮内庁職員は、その職務として、陵墓等の管理上必要に応じて墳丘最下段テラスより上に登ることもある。その際、祭祀に当たる行為は行っていない。

(九)について
 先の答弁書(平成21年7月17日内閣衆質一七一第657号)(六)についてでお答えしたとおりである。

(十)、(十一)及び(十七)から(十九)までについて
 先の答弁書(平成22年6月11日内閣衆質一七四第535号)(六)及び(八)から(十二)までについてでお答えしたとおりである。

(十二)について
 御指摘の「拝所」も陵墓等の一部であり、国有財産法(昭和23年法律第73号)第3条第二項第3号に規定する皇室用財産として宮内庁が管理している。

(十三)について
 お尋ねの「等」は、職務上陵墓とかかわりのある国家公務員を「陵墓の管理等に携わる者」と総称するために用いたものである。

(十四)及び(十五)について
 お尋ねの趣旨が必ずしも明らかではないが、「反正天皇山陵千六百年式年祭」及び「応神天皇山陵千七百年式年祭」に宮内庁職員等の国家公務員が参列したことについては、参列の目的等にかんがみ、先の答弁書(平成22年6月22日内閣衆質一七四第585号)(六)についてにおいて、憲法上の問題があるとは考えていないとお答えしたものである。

(十六)について
 「反正天皇山陵千六百年式年祭」及び「応神天皇山陵千七百年式年祭」への地方公務員の参列については、各地方公共団体の公務員の行為に関することであるから、政府としてお答えする立場にない。

天皇陛下御在位二十周年に関する質問主意書

平成22年2月3日提出
質問第70号

天皇陛下御在位二十周年に関する質問主意書

提出者  木村太郎

天皇陛下御在位二十周年に関する質問主意書

 昨年は天皇陛下御在位二十周年、また、天皇皇后両陛下ご成婚五十周年のお祝いの年となった。国民の皆様と共に、皇室のご繁栄をお祈りするものであります。
 去る11月12日、政府主催によるお祝いの式典が挙行され、また、同日、国民祭典も開催され、私自身も感動致しました。この喜ばしい節目にあたっての政府主催による式典において、祝辞を述べられた方々のご挨拶やお祝いの演奏や歌、また杉並少年合唱団など、とても心のこもった素晴らしい式典でした。
 しかし、政府の姿勢や閣僚の対応に誠に残念に感じたことがいくつかあった。このことを踏まえ、次の事項について質問する。

一 鳩山内閣として、天皇陛下御在位二十周年をどのように捉えていたのか。
二 式典が進むにつれ、開会の言葉を述べた実行委員会副委員長である菅副総理は、天皇陛下のご臨席で、首を何度も何度もこっくりこっくりとし、居眠りしていた。これは、式典に臨む副総理の姿勢としていかがなものかと考えるが、鳩山内閣の見解を問う。
三 同じく壇上で、陛下の後方に座っていた松野官房副長官は、両足を大きく広げ座っており、頭・背中を後ろに仰け反り、数回、これまた居眠りをして隣の席の松井副長官から注意を受けていた。これも、式典に臨む姿勢としていかがなものかと考えるが、鳩山内閣の見解を問う。
四 式典の結びに天皇陛下の御前にて、鳩山総理の御発声で万歳三唱をしたが、手のひらを天皇陛下側に向け、両腕も真っ直ぐに伸ばしておらず、いわゆる降参を意味するようなジェスチャーのように見られ、正式な万歳の作法とは違うように見受けられた。日本国の総理大臣として、万歳の仕方をしっかりと身につけておくべきと考えるが、その作法をご存知なかったのか、伺いたい。
五 式典は、十四時から始まり十五時には閉式し、十五時五分には天皇皇后両陛下が式典会場をご出発される予定と、式典前に司会者から、会場に参列した私どもに知らせがあった。しかし、結局式典は二十分近く遅れて閉式した。周辺の道路の規制など、色々準備されていたと思うが、二~三分の誤差ならまだしも、天皇陛下をお祝いする式典において、二十分もの誤差が生じること自体、式典を準備した実行委員会委員長として鳩山総理は、事の重要性をどう捉えていたのか。あまりにもお粗末なタイムスケジュールを作っていたのではないか。反省すべき点があったと考えるがいかがか。
六 また同日、夕方から社民党、共産党を除く超党派の奉祝議員連盟が民間の団体と共に主催した「国民祝賀の式典」が行われたが、この席に、衆議院・参議院両院の議長(二人とも民主党出身)が欠席していた。この姿勢も民主党は、かつて天皇制に批判的な旧社民党と合併したものであって、奇しくも両議長とも旧社会党の所属であったことによるものと考えられる。
 以上の様な民主党の皇室に対する不見識な態度は、鳩山内閣が発足時、各大臣の就任会見の際、半数以上の大臣が国旗に一礼もせず会見を始めたことにも表れている。同様に昨年8月8日、鹿児島県霧島市で開かれた民主党の会合で、民主党の党旗を用意できず、日の丸の国旗二枚を切り裂き、応急的に民主党の党旗に見せた旗を作り、党の会合を開催している。このような民主党の極めて無礼な態度に、鳩山総理をはじめ鳩山内閣は、皇室に対する考え方と、また、国旗・国歌法が制定されている現在、我が国の国旗や国歌に対し、どのような認識を持っているのか、改めて伺いたい。
 右質問する。

宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する質問主意書

平成22年6月3日提出
質問第535号

宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する質問主意書

提出者  吉井英勝

宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する質問主意書

 宮内庁によって皇室の祖先の墓とされ、陵墓(陵墓参考地含む、以下同じ)として管理されている古墳(以下、陵墓と略)について、宮内庁は「陵墓の保全工事に伴う調査の際の見学の実施や調査結果の公表等に努めている」というが、一般市民による見学は全く不可能である。たとえ研究者であっても限定的かつ、ごく少人数の立ち入りが「許可」されているにすぎず、その範囲も墳丘裾の管理用巡回路までにとどまり、墳丘全体の詳細な形状や規模等を外形的にも把握、確認することすら不可能である。この実態は、わが国のみならず東アジア全体の歴史や外交の様相等の解明にとっての妨げとなっている。宮内庁によれば、陵墓は皇室によって祭祀が継続して行われている「生きた墓」で、「静安と尊厳の保持が最も重要」であり、発掘や立ち入りは「厳に慎むべきこと」であるという。
 よって、次のとおり質問する。

(一) 陵墓については「現に皇室において祭祀が継続して行われ、静安と尊厳の保持が最も重要である」という政府見解はいつ作られたものか。また、「生きた墓」とは、いかなる概念か。具体的に説明されたい。
(二) 陵墓には宮内庁が立ち入り等を禁じる意思を示した看板が置かれている。この立ち入り等を禁じる看板はいつから置かれているのか。
(三) 陵墓は国有財産法上、皇室用財産として宮内庁が管理しているものと思うが、学術目的での自由な立ち入りまでも禁止する法的根拠はどこにあるのか。自由に陵墓に立ち入ったり墳丘に上ったりすることは、法的に禁止されているのか。
 宮内庁が陵墓の管理上、研究者をはじめ国民が陵墓に立ち入ることすら禁じる権原はどこにあるのか。
(四) 陵墓の調査は、宮内庁職員によるものであれば静安と尊厳が保持され、それ以外の研究者によるものであれば静安と尊厳が保持されないのか。そうであれば、その理由を詳細に答えられたい。
(五) 昨年、私が提出した質問主意書(2009年6月二19日提出の質問第611号)において、皇室の起源と実在が不確かな皇室の祖先について見解を求めた。これに対し「宮内庁としては、古代の皇室の歴史については、歴史学者の間でも諸説あるものと承知している」と答え、明確な見解を示すことができなかった。起源や存在について、政府自身の見解を答えることができない者が葬られているのなら、その埋葬地である古墳や出土品を宮内庁が管理することは不適当ではないか。
 また、政府の見解として起源や存在を明らかにできない人物が埋葬されているという土地に対し、祭祀や管理の費用を国費から支出する根拠は何か。
(六) 陵墓においては皇室によって、宮内庁が被葬者と定めた者の没後百年ごとに式年祭等の祭祀が行われているが、これは皇室祭祀令に基づくものなのか。皇室祭祀令は日本国憲法施行日の前日に廃止されている。皇室祭祀令でなければ式年祭等の祭祀は何に基づいて行われているのか。明確に示されたい。
(七) 陵墓における祭祀は、皇室の私的な行為とされている。皇室の私的な行為の対象としている陵墓の管理に国費を充て、それに国家公務員である宮内庁職員が携わることは、政教分離の原則を明確に定めた憲法といかなる関係にあるのか。陵墓の管理に要する費用として毎年、何にいくら支出しているのか。直近十年間について、総額と内訳明細を明らかにされたい。
(八) 本年2月13日、大阪府堺市の田出井山古墳で「反正天皇の千六百年式年祭」が行われた。また、4月1日には、大阪府羽曳野市の誉田御廟山古墳で「応神天皇の千七百年式年祭」が行われた。この式年祭の主催者は誰か。
(九) 質問主意書(2009年7月9日提出の質問第657号)で、皇室による陵墓の祭祀の起源について質問したが、「宮内庁としては、陵墓における祭祀は、皇室の伝統に基づくものとして古くから行われているものと承知している」という見解を示した。反正天皇の式年祭も応神天皇の式年祭も、何年から皇室の伝統に基づいて行われてきたのか。これまでの式年祭の経緯を詳細に示されたい。
(十) 今年の2月13日が反正天皇の千六百年の式年祭の日、また4月1日が応神天皇の千七百年の式年祭の日に当たると定めた根拠は何で、誰が定めたのか。
(十一) 二つの式年祭には参列者として、複数の公職者が参加している。二つの式年祭に参列した公職者の氏名と所属等をすべて明らかにされたい。また、皇室の私的な祭祀に公職者が参列することについて、政教分離の原則を定めた憲法との関係をどのように考えているのか。
(十二) 二つの式年祭の内容、手順はどのようなものであったか。また、参列者に対し、男性には「モーニングコート(ベストは黒)・紋付羽織袴」を、女性には「ロングドレス(ローブモンタント)、ディドレス(絹又は絹風のワンピース、アンサンブル等)・白襟紋付(色留袖、訪問着)」等の服装を求めている根拠は何か。
(十三) 宮内庁による陵墓の治定の誤りについて、先の二つの質問主意書と本年2月二15日の衆議院予算委員会第一分科会の質疑で質した。分科会質疑の中で平野博文官房長官は「では間違っているのかどうか。ここは、少なくとも宮内庁において書陵部長がしっかりとスタッフを抱えてそのことについてきちっとされているというふうに私は信じているところでございます」と答弁しているが、この官房長官の信頼、信用は正しいのか。
 宮内庁書陵部陵墓課には考古学を専攻した陵墓調査官をはじめ研究職職員が配置されているが、これら研究職職員は、
  ① 五世紀半ばに築造されたと考えられる大阪府茨木市の太田茶臼山古墳に、六世紀前半に没したといわれる継体天皇が葬られていること
  ② 三世紀後半から四世紀初めに築造されたと考えられる奈良県天理市の西殿塚古墳に、六世紀の継体天皇の妃が葬られていること
  ③ 五世紀前半に築造されたと考えられる奈良県奈良市の市庭古墳に、九世紀の初頭に没した平城天皇が葬られていること
これらについて、どのように調査・研究をしているのか、明らかにされたい。
(十四) 最古級の前方後円墳と考えられている箸墓古墳(奈良県桜井市)には、宮内庁によると、ヤマトトトヒモモソヒメが葬られているという。また、ヤマトトトヒモモソヒメは孝霊天皇の娘であるという。ヤマトトトヒモモソヒメと孝霊天皇はいつ存在した人物かを、先の質問主意書(質問第611号)で問うたが、その答は「『日本書紀』等によれば、倭迹迹日百襲姫命は孝霊天皇の皇女とされているものと承知している」「宮内庁としては、古代の皇室の歴史については、歴史学者の間でも諸説あるものと承知している」というものであった。
 近年の研究成果から、箸墓古墳の築造時期は三世紀を下ることはないと考えられている。ヤマトトトヒモモソヒメが孝霊天皇の娘であるなら、孝霊天皇の墓地の時期は、箸墓古墳よりも古いかほぼ同時期であるはずである。宮内庁によって孝霊天皇が葬られているとされている「片丘馬坂陵」(奈良県北葛城郡王寺町)はいつ築かれたのか。またそれは箸墓古墳より古い時代、弥生時代の墓地なのか。箸墓古墳と同じ時期の古墳なのか。学説でなく、宮内庁の見解を明確に答えられたい。あわせて、孝霊天皇片丘馬坂陵の配置を分かりやすく明示されたい。
(十五) 宮内庁による陵墓の治定は幕末から二十世紀初頭までの間に、「万世一系の天皇」をうたった帝国憲法下の「皇統」を視覚化するために行われた。現在の宮内庁は、被葬者の治定の正否についての検証を行っているのか。宮内庁には、かつての陵墓治定の正否についての検証を禁じている内規や規程等があるのか。また、宮内庁には、陵墓の治定について、研究成果に基づいてこれを改めることを禁じる内規や規程等があるのか。
(十六) 本年2月二15日の衆議院予算委員会第一分科会の質疑において、「陵墓の立入りの取扱方針」の中で、書陵部長が立ち入りを許可する者の対象に国会議員が含まれない問題を取り上げ、国会で国有財産法上の皇室用財産を質疑する国会議員が陵墓の立ち入りの許可対象外となっている事態を是正するよう求めた。答弁に立った平野官房長官は「学術的観点から、今先生御指摘のところについての範囲がどこまでなのか、国会議員といっても、専門家の方もおられるわけでしょうし、そういう観点からどうあるべきかということについては研究してみたい、このように私は思います」と発言した。研究の結果、国会議員は立ち入りの対象に含まれるようになったか。
(十七) 大阪府の誉田御廟山古墳の外濠と外堤の一部は「応神天皇陵古墳外濠外堤」という名称で国指定の史跡に指定されているが、この古墳の被葬者は誰なのか、確実に判明しているのか。文化庁の見解を問う。判明しているとすれば、いつ判明したのか。
(十八) 二回の質問主意書(質問第611号、質問第657号)で、誉田御廟山古墳の被葬者が明らかでない以上、正しい歴史認識を広めるためにも史跡の名称を「誉田御廟山古墳外濠外堤」へと変更するよう求めたが、答弁書では「地域で親しまれている名称など、当該史跡を最も適切に指すものを名称としており、名称を変更する必要はないと考える」との旨の見解を示した。誉田御廟山古墳は宮内庁が応神天皇陵として管理していることから、文化庁は史跡の名称を変更することができないのか。
 一般的に、史跡の名称を変更する必要が生じるのはどういう場合か。
(十九) 「応神天皇陵古墳外濠外堤」という名前で史跡に指定されている範囲は、誉田御廟山古墳の一部にすぎず、史跡指定地範囲外にもこの古墳の外濠や外堤が埋没した状態で広がっていると思うが、なぜ外濠と外堤全域を史跡に指定することができないのか。史跡に指定しないのは、外濠や外堤が存在しないからなのか。
(二十) 仮に誉田御廟山古墳の外濠と外堤の範囲が明確でないのならば、範囲を明確にする必要があるのではないか。範囲を明確化せず史跡に指定しなくても、原状のままでの保存と保護は十分になされているのか。
 また、誉田御廟山古墳全域における既往の発掘調査件数と遺構検出の件数、そのうち原状保存されている件数は何件か。あわせて、調査箇所、遺構検出箇所、そのうち原状保存箇所の配置を分かりやすく明示されたい。
(二十一) 奈良県広陵町と河合町にまたがる馬見古墳群を構成する古墳の一つに全長約二〇〇メートルの前方後円墳・新木山古墳(宮内庁によれば三吉陵墓参考地)がある。今年度、この墳丘は宮内庁によって調査されると聞いているが、調査目的は何で、どのような調査を行うのか。
(二十二) 新木山古墳の被葬者は誰なのか。また、それは、いつどのような調査で判明したのか。被葬者が没したのはいつのことか。古墳の築造時期は、考古学的見地からいつ頃と考えられているのか。
(二十三) 2008年、大阪府堺市の百舌鳥御廟山古墳において、宮内庁と堺市教育委員会によって「同時」調査が行われた。この古墳は墳丘部分のみが陵墓参考地として宮内庁に管理されている。堺市教育委員会による発掘調査部分は、一般市民にも公開された。しかし、宮内庁による調査部分は、「静安と尊厳の保持の観点」を盾にして宮内庁が公開しなかった。それでも「同時」調査の公開であったため、「これまでは周濠の外から眺めるだけで、隔絶した閉鎖空間に置かれていた陵墓の発掘現場を市民も間近に見学できたことは画期的な出来事だった」と評価する専門家の意見もある。
 新木山古墳は百舌鳥御廟山古墳と同様に、墳丘部分だけが宮内庁の管理部分で、周濠や外堤部分は民有地である。新木山古墳の調査も、堺市の百舌鳥御廟山古墳の調査と同様に、宮内庁と地元教育委員会によって同時に調査を行い、調査結果を市民に公開すべきでないか。
(二十四) 馬見古墳群には、宮内庁によって陵墓参考地として管理されている前方後方墳・新山古墳がある。新山古墳の被葬者は誰なのか。また、それは、いつどのような調査で判明したのか。被葬者が没したのはいつのことか。古墳の築造時期は考古学的見地から、いつ頃と考えられているのか。
(二十五) 新山古墳からは1885年、後方部の竪穴式石室から勾玉や管玉等とともに直弧文鏡等の大量の銅鏡が出土しており、これら出土品は現在宮内庁が所蔵している。古墳から大量の銅鏡等の副葬品が発見されれば、その古墳は皇室関係者の墓地となり、宮内庁が管理するのか。
(二十六) 陵墓の副葬品に関し、1972年4月二16日の参議院予算委員会第一分科会で、瓜生順良宮内庁次長は「副葬品とかいうのは、御葬る御遺体と一体となっておりますものについては、これは皇室のものであるというふうに考えております」と答弁している。このことは「陵墓の被葬者の副葬品は皇室の私有財産である」と解釈してよいか。
(二十七) 宮内庁が陵墓として管理している古墳から出土した銅鏡をはじめとする副葬品は、宮内庁が宮廷費を充て管理していると思うが、副葬品は皇室の私有財産であるという解釈のもとで、皇室の私的経費に充てる内廷費でなく、国有物品として宮廷費を充て管理しているのはなぜか。
(二十八) 静岡県沼津市では昨年、辻畑古墳の発掘調査が行われた。調査の結果、三世紀末までには築造された前方後方墳で、東日本では最古級のものと考えられることが判明した。辻畑古墳は、宮内庁が陵墓として管理している箸墓古墳ともほぼ同じ時期のものである。しかし、この辻畑古墳は市道建設に伴って破壊される可能性があると聞いている。古墳の築造時期等、学術的観点からの重要性を鑑みれば現状保存すべきものと考えるが、辻畑古墳は現状保存されないのか。保存されないとすれば、その理由はなぜか。
 右質問する。

宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する再質問主意書

平成22年6月14日提出
質問第585号

宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する再質問主意書

提出者  吉井英勝

宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する再質問主意書

 皇室の先祖や皇室関係者が葬られているとして、宮内庁が管理している古墳が多数ある。これらは陵墓や陵墓参考地とよばれ、宮内庁によって「陵墓の静安と尊厳の保持」等を理由に学術研究目的であっても自由な立ち入りが拒まれている。陵墓では皇室によって、式年祭等の祭祀が行われている。本年6月3日に提出した前回質問主意書(質問第535号)で、陵墓の祭祀の一つである式年祭について質問したが、答弁書は「詳細については、お答えを差し控えたい」というものであった。
 よって、次のとおり質問する。

(一) 陵墓(以下、陵墓参考地を含む)として管理している古墳の「静安と尊厳の保持」とはいかなる概念か、具体的に答えられたい。
(二) 奈良県広陵町の新山古墳は1885年に竪穴式石室が開口し、大まかな調査が行われた。大阪府藤井寺市の津堂城山古墳は1912年に石室が開口し、長持型石棺が姿を現して大まかな調査が行われた。大阪府羽曳野市と松原市にまたがる河内大塚山古墳の前方部には、かつて西大塚村と東大塚村という集落が存在していた。
 現在、これら三つの古墳は陵墓参考地として宮内庁に管理され、「静安と尊厳の保持」等を理由に立ち入りが制限されているが、陵墓参考地になったのは、それぞれいつか。西暦で答えられたい。
 また、陵墓参考地にされるまでの「静安と尊厳」はどのようにして保持されていたのか、明確にされたい。
(三) 答弁書によれば、陵墓への立ち入りを禁じる旨の看板は1873年11月2日の太政官達以降設置しているとのことだが、この太政官達は現在も効力を持っているのか。
(四) 古文書や行政記録文書によって、かつて盗掘が行われ石室が開口し、副葬品も持ち出されたことが明らかになっている陵墓であれば、改めて学術的観点から調査を行っても差し支えないのではないか。
(五) 式年祭の詳細について、答弁ができないとする合理的根拠を示されたい。
(六) 本年2月13日、大阪府堺市の田出井山古墳で「反正天皇の千六百年式年祭」が行われた。また、4月1日には、大阪府羽曳野市の誉田御廟山古墳で「応神天皇の千七百年式年祭」が行われた。宮内庁が提出した資料によると、反正天皇陵式年祭には、以下の二十七名の公務員が参列者として列挙されている(敬称略)。
 国土交通省近畿地方整備局長・上総周平    大阪府教育長代理・向井正博
 堺市長・竹山修身              堺市市議会議長・星原卓次
 堺市市議会副議長・高岡武汪         堺市副市長・田村恒一
 堺市教育委員会委員長・坂之上清以彌     堺市教育長・芝村巧
 堺市博物館長・中西進            堺市市長公室室長・藤木博則
 堺市市長公室理事・溝口勝美         堺市三国ヶ丘小学校校長・小山久子
 宮内庁次長・風岡典之            宮内庁京都事務所所長・北啓太
 宮内庁京都事務所次長・安田勉        宮内庁京都事務所管理課長・湯本順一
 宮内庁正倉院事務所所長・杉本一樹      桃山陵墓監区事務所所長・辻井忠則
 桃山陵墓監区事務所・竹村哲也        畝傍陵墓監区事務所所長・今西良孝
 畝傍陵墓監区事務所・伊藤繁和        月輪陵墓監区事務所所長・舟瀬利昭
 月輪陵墓監区事務所・上田良範        古市陵墓監区事務所所長・椋本武
 皇宮警察京都護衛署署長・弓取隆司      皇宮警察京都護衛署副署長・上島博樹
 宮内庁書陵部陵墓課長・和地國夫
 同じく、応神天皇陵式年祭には、以下の二十二名の公務員が参列者として列挙されている(敬称略)。
 大阪府議会議長(代理)・阪倉久晴      羽曳野市長・北川嗣雄
 羽曳野市議会議長・樽井佳代子        羽曳野市議会副議長・金銅宏親
 羽曳野市副市長・藤田忠           羽曳野市副市長・寺西正和
 羽曳野市教育委員長・金銅晃         宮内庁管理部長・鈴木武
 宮内庁京都事務所長・北啓太         宮内庁京都事務所次長・安田勉
 宮内庁正倉院事務所長・杉本一樹       宮内庁正倉院事務所保存課長・成瀬正和
 桃山陵墓監区事務所長・辻井忠則       桃山陵墓監区事務所職員代表・今出伸一
 畝傍陵墓監区事務所所長・今西良孝      畝傍陵墓監区事務所職員代表・池谷浩行
 月輪陵墓監区事務所長・舟瀬利昭       月輪陵墓監区事務所職員代表・西村英樹
 古市陵墓監区事務所長・椋本武        皇宮警察京都護衛署副署長・上島博樹
 寛仁親王付主査・小倉親志          寛仁親王付・瀧川智恵
 陵墓における祭祀は、皇室の私的な行為とされている。皇室の私的な行為である陵墓の祭祀に、公務員が参列することについて、憲法にもとづく政教分離の原則との関係をどのように扱っているのか。
(七) 陵墓参考地になっている古墳では、皇室によって祭祀は継続して行われているのか。行われているとすれば、いつ何が行われているのか。祭祀の日は何によって決めたのか。行われていないのであれば、その理由は何か。明らかにされたい。
(八) 陵墓参考地で祭祀が行われていないのであれば、宮内庁による古墳への立ち入りの「規制」を解き、学術的観点から調査を行うことは可能ではないか。
(九) 宮内庁によれば、ヤマトトトヒモモソヒメは孝霊天皇の娘であるといわれ、最古級の前方後円墳・箸墓古墳(奈良県・桜井市)に埋葬されているという。孝霊天皇が埋葬されているといわれる「片丘馬坂陵」が、奈良県北葛城郡王寺町に所在しているのは承知しているが、その陵は古墳か否か。いつ築造されたのか。改めて問う。あわせて「片丘馬坂陵」の立地、形状、大きさを示されたい。
(十) 答弁書によれば、「孝霊天皇は孝元天皇六年に葬られた」旨あるが、「孝元天皇六年」とは西暦何年か。宮内庁の見解を述べられたい。
(十一) 御陵墓伝説地から陵墓参考地への変遷は、どのようになされたのか。また、陵墓参考地の法令上の根拠を明示されたい。
(十二) 奈良県広陵町の前方後円墳・新木山古墳について、答弁書では「その墳丘の規模等により皇室関係者が埋葬されていると考えられたことから、明治19年に御陵墓伝説地となり、現在は陵墓参考地として管理」とある。墳丘の規模がどういう状況であれば皇室関係者が埋葬されていると考えていたのか、その基準を示されたい。
 また、宮内庁が新木山古墳に埋葬されていると考えている皇室関係者とは、具体的に誰なのか。
(十三) 答弁書では「新木山古墳で行う予定の事前調査については、地元教育委員会から同時調査の要望は受けていない」旨あるが、堺市の百舌鳥御廟山古墳で実施したような同時調査の要望が地元教育委員会から出されれば、これを受け同時調査を行うべきではないか。
(十四) 答弁書では「宮内庁においては、陵墓の副葬品は管理していない」とある。前回質問主意書の冒頭で、「陵墓(陵墓参考地含む、以下同じ)」と記述し、陵墓には陵墓参考地を含んでいることを条件づけて質問している。
 奈良県広陵町の前方後方墳・新山古墳の竪穴式石室からは大量の銅鏡や玉類が出土した。現在、宮内庁が陵墓参考地として管理し、出土品も宮内庁が所蔵・管理していると思うが、新山古墳の竪穴式石室から出土した銅鏡等の出土品は、副葬品ではないのか。新山古墳の出土品は宮内庁の管理から外れたのか。
(十五) 新山古墳について、答弁書では「その副葬品等により皇室関係者が埋葬されていると考えられたことから、明治19年に御陵墓伝説地となり、現在は陵墓参考地として管理」とある。新山古墳からは、直弧文鏡や三角縁神獣鏡をはじめ大量の銅鏡や玉類が出土しているが、副葬品の全容が判明していないともいわれる。宮内庁が所蔵・管理している新山古墳出土品の名称と点数を、それぞれ明らかにされたい。
(十六) 戦後、新山古墳と同様に三十数面の三角縁神獣鏡をはじめ大量の銅鏡が出土した椿井大塚山古墳(京都府木津川市)、同じく三十数面の三角縁神獣鏡等が出土した黒塚古墳(奈良県天理市)等、大量の銅鏡が出土した古墳でも陵墓や陵墓参考地にならず、宮内庁の管理下に置かれていない。戦前の帝国憲法下にあっては、大量の銅鏡や玉類が出土すれば、その古墳は御陵墓伝説地になるように定められていたのか。
 また、宮内庁が新山古墳に埋葬されていると考えている皇室関係者とは、具体的に誰なのか。
(十七) 本年2月二15日の衆議院予算委員会第一分科会での質疑で、宮内庁の本田清隆書陵部長から「陵墓を適切に管理・保存・保護して、次の世代に伝えていくことも非常に重要な使命である」旨の答弁があった。しかし、地下に埋没して現在は地表から見えない濠(堤含む、以下同じ)の範囲や、陵墓として管理されていない濠の範囲で史跡に指定されていない部分では乱開発が進んでいて、現状保存は不十分な状況ではないのか。墳丘と周濠とが一体となった形での古墳全体の保存・保護は十分に行われているのか、認識を問う。
(十八) 最近では堺市の田出井山古墳(宮内庁による反正天皇陵)の後円部側で、埋没している外濠の一部が調査後に民間開発によって破壊された。奈良県奈良市のウワナベ古墳(宮内庁による陵墓参考地)の外濠の一部は、調査後に国道二四号線の拡幅工事に伴い破壊された。また、ウワナベ古墳は内濠部分の地下に高速道路(京奈和自動車道)が建設される計画がある。ウワナベ古墳の西側のコナベ古墳(陵墓参考地)では、外濠部分の一部を破壊し航空自衛隊幹部候補生学校が建っている。これらはごく一例であるが、古墳の埋没周濠の破壊や内濠直下の掘削工事計画について、どういう認識を持っているか。
(十九) 地表から見えない埋没周濠の保存・保護を十分に行うためには、埋没周濠の存在を明らかにし、あわせてその範囲を確定することが必要と考えられるがどうか。
(二十) 次にあげる古墳それぞれについて(*は宮内庁の呼称)、①地表から周濠は目視できないものの、調査によって周濠の存在が確認されているもの、②地表から目視できる周濠の外側に、調査によって外濠が確認されているもの、③それ以外――のどれが該当するか、文化庁の認識を明らかにされたい。なお、③に該当するものがあれば、その内容を具体的に示されたい。
 田出井山古墳(*反正天皇陵)大阪府堺市
 大山古墳(*仁徳天皇陵)大阪府堺市
 ミサンザイ古墳(*履中天皇陵)大阪府堺市
 土師ニサンザイ古墳(*東百舌鳥陵墓参考地)大阪府堺市
 百舌鳥御廟山古墳(*百舌鳥陵墓参考地)大阪府堺市
 仲津山古墳(*仲津山陵)大阪府藤井寺市
 市野山古墳(*允恭天皇陵)大阪府藤井寺市
 岡ミサンザイ古墳(*仲哀天皇陵)大阪府藤井寺市
 ボケ山古墳(*仁賢天皇陵)大阪府藤井寺市
 前の山古墳(*白鳥陵)大阪府羽曳野市
 高屋城山古墳(*安閑陵古墳)大阪府羽曳野市
 誉田御廟山古墳(*応神天皇陵)大阪府羽曳野市
 白髪山古墳(*清寧天皇陵)大阪府羽曳野市
 河内大塚山古墳(*大塚陵墓参考地)大阪府羽曳野市・松原市
 五社神古墳(*神功皇后陵)奈良県奈良市
 佐紀陵山古墳(*日葉酢媛陵)奈良県奈良市
 佐紀高塚古墳(*称徳天皇陵)奈良県奈良市
 市庭古墳(*平城天皇陵)奈良県奈良市
 ウワナベ古墳(*宇和奈邊陵墓参考地)奈良県奈良市
 コナベ古墳(*小奈邊陵墓参考地)奈良県奈良市
 ヒシアゲ古墳(*磐之媛陵)奈良県奈良市
 行燈山古墳(*崇神天皇陵)奈良県天理市
 渋谷向山古墳(*景行天皇陵)奈良県天理市
 西殿塚古墳(*衾田陵)奈良県天理市
 箸墓古墳(*大市墓)奈良県桜井市
(二十一) 昨年6月二19日に提出した質問主意書(質問第611号)において、都市防災の観点から大山古墳(堺市)や誉田御廟山古墳(羽曳野市)で見られる巨大地震の痕跡に関する調査の必要性を求めた。答弁書において「国又は地方公共団体から陵墓立入調査の要請があれば、検討することもあり得る」旨の見解が示された。宮内庁に対し、実地調査の要請を行うべきではないか。内閣府、消防庁の見解を問う。
(二十二) 前回質問主意書において、静岡県沼津市で発見された辻畑古墳の現状保存について問うたが、答弁書では「その取扱いを判断するため、調査結果を踏まえた学術的な検討が行われる」とあった。取扱いの判断について、いつまでに行うと聞いているか。
 右質問する。

学術文化遺産の戦後処理問題解決に関する再質問主意書

平成22年6月14日提出
質問第586号

学術文化遺産の戦後処理問題解決に関する再質問主意書

提出者  吉井英勝

学術文化遺産の戦後処理問題解決に関する再質問主意書

 本年1月18日に提出した質問主意書(質問第1号)で、戦前の日本が植民地支配をしていた当時、諸外国・諸地域から正当な手続きを経ずに持ち帰った文化的遺産があり、その実態を明らかにすることを求めた。あわせて、公開や返還を進めることが学術文化分野の戦後処理問題の解決につながることを示し、返還についての政府の見解を質した。ところが政府は問題に正面から全く向き合うこともせず、「お答えすることは困難である」という答弁書を閣議決定した。
 よって、次のとおり質問する。

(一) 植民地統治下に日本国内に持ち込まれた文化的遺産の所在、点数などの実態調査は、政府として行う必要はないという認識か。
(二) 戦前の東京帝国大学、京都帝国大学を中心として、朝鮮半島で遺跡等の調査が行われている。この時に出土した資料は日本国内に持ち込まれていないのか。また、そのまま日本国内に残っているものはあるのか、ないのか。残っているものがあれば、その名称と所在を出土場所等とあわせて示されたい。「調査に時間を要する」「修正作業が膨大」等の場合は、主なものを示されたい。
(三) 東京大学、京都大学に残っている資料があるとすれば、なぜ所蔵し続けてよいのか。返還する必要はないのか。
(四) 朝鮮総督府は、日本が「韓国併合」した朝鮮を支配するために置いた機関である。朝鮮総督府および朝鮮総督府博物館は遺跡等の調査を行っていると思うが、その具体的な内容(調査代表者、調査対象、主な出土資料、資料所蔵の場所等)を明らかにされたい。
(五) 文部科学省が私に提出した資料によれば、東京国立博物館は、新羅の有力者の墓と考えられる梁山夫婦塚(慶尚南道梁山郡梁山面)から出土した冠をはじめ、百七十五件の資料を収蔵していることになっている。これらはどのような経緯で日本に持ち込まれたのか。詳細に答えられたい。
(六) 梁山夫婦塚出土品以外に、東京国立博物館が所蔵する資料のうち、朝鮮総督府統治時代に朝鮮半島で収集し日本に持ち込まれたものはないのか。明らかにされたい。「調査に時間を要する」「修正作業が膨大」等の場合は、主なものを示されたい。
(七) 梁山夫婦塚出土品を含め東京国立博物館が所蔵する資料のうち、朝鮮総督府が関わったこれらの資料は現在すべて公開され、外国人を含め来館者が誰でも自由に見ることができるようになっているのか。自由に見ることができないのであれば、その根拠となっている法令等を示されたい。
(八) 梁山夫婦塚出土品を含め東京国立博物館が所蔵する資料のうち、朝鮮総督府が関わった資料は返還する必要はないのか。必要がないとすれば、その理由を明らかにされたい。
(九) 東京大学は、十四世紀から十九世紀までの朝鮮王朝の公式記録で、歴代国王の業績を記録した「朝鮮王朝実録」四十七冊を2006年7月14日にソウル大学に引き渡したと聞く。これは「返却」ではなく、「引き渡し」なのか。
 東京大学にあった朝鮮王朝実録は、どのような経緯で持ち込まれたのか明らかにされたい。また、なぜ引き渡すことになったのか、その経緯と理由を明らかにされたい。
(十) 宮内庁書陵部には、李氏朝鮮時代の王室の行事や儀式を表した「朝鮮王室儀軌」が所蔵されている。朝鮮王室儀軌が日本に持ち込まれたのはいつで、なぜ持ち込まれたのか。理由と経緯を明らかにされたい。また、現在なぜ宮内庁が所蔵しているのか。
(十一) 朝鮮王室儀軌の日本への持ち込みに際し、朝鮮総督府はどのように関与したのか。詳細に示されたい。
(十二) 朝鮮王室儀軌を含め、朝鮮総督府が関わって持ち込まれ、宮内庁が所蔵しているものは何件、何冊あるのか。表題とともに示されたい。また、朝鮮王室儀軌等のこれら資料は、自由に閲覧ができるのか。自由な閲覧ができないとすれば、その理由は何か。
(十三) 1895年、日本の軍人らに殺害された朝鮮国王の妃・閔妃(諡号は明成皇后)の国葬を記録した儀軌の表題は何か。
(十四) 第三代の韓国統監に就任した寺内正毅は、朝鮮王室(資料によっては韓国皇室)をどのように処遇しようとし、その結果どうなったか。
(十五) 「李王職」とは当時の宮内省の管轄下に置かれていたのか。また、李王職とは具体的にどういう職務を行い、いつからいつまで存在したのか。年月日を西暦で示されたい。
(十六) 李王職の職務には朝鮮王室儀軌を含め、朝鮮王室の財産(文化的遺産を含む)の管理が入っていたのか。管理財産の主なものにはどういうものが入っていたのか。
(十七) 李王職職員はどこに居住し、どこで働いていたのか。住所・所在地を明らかにされたい。
 また、勅奏任官の出張については、李王職長官から宮内大臣に朝鮮総督府の総督を経由して行うこととされていたと思うが、どのような手続きがとられたのか。
(十八) 終戦時に、李王職はどのように扱われたのか。また、李王職が管理していた財産は、日本政府によってすべて韓国側へ返還されたのか。
(十九) 李王職に関する文書は、現在どこに保存・保管されているのか。
 右質問する。

陵墓に治定されている古墳の祭祀に関する質問主意書

平成22年8月4日提出
質問第38号

陵墓に治定されている古墳の祭祀に関する質問主意書

提出者  吉井英勝

陵墓に治定されている古墳の祭祀に関する質問主意書

 皇室の先祖や皇室関係者が葬られているという理由で、戦前に陵墓(陵墓参考地を含む。以下、この質問において陵墓と略)に治定し、現在も宮内庁が管理している古墳が多数ある。陵墓では皇室によって式年祭等の祭祀が行われているが、皇室の私的な祭祀に宮内庁職員やそれ以外の国家公務員と地方公務員も参列している。具体例として本年2月13日の大阪府堺市の田出井山古墳(宮内庁によれば反正天皇陵)と、本年4月1日の大阪府羽曳野市の誉田御廟山古墳(同じく応神天皇陵)での式年祭を取り上げた。これについて本年6月14日に提出した質問主意書で、憲法が定めた政教分離の原則との関係を問うたが、これに対する答弁書は「国家公務員の参列については儀礼的なもので憲法上の問題があるとは考えていない」、「地方公務員の参列については答弁する立場にない」旨のものであった。
 よって、次のとおり質問する。

(一) 宮内庁によれば、「陵墓における祭祀は、皇室の伝統に基づくものとして古くから行われているもの」とあるが(2009年7月17日閣議決定の答弁書)、「古くから」とは具体的にいつからか。また、今に至るまですべての古墳時代の陵墓で、祭祀は途切れることなく連綿と続けられてきたのか。証拠を示して明らかにされたい。
(二) 宮内庁は、箸墓古墳には孝霊天皇の娘であるヤマトトトヒモモソヒメが葬られていると定め、「大市墓」という名前の陵墓として管理している。宮内庁は、孝霊天皇の皇女であるヤマトトトヒモモソヒメの没年や箸墓古墳の築造年代については、日本書紀に記述がないという。ヤマトトトヒモモソヒメの父である孝霊天皇が葬られたのは日本書紀による孝元天皇六年で、それは紀元前209年に相当するという見解を示している(2010年6月二12日閣議決定の答弁書)。一方で文化庁は、箸墓古墳の築造時期について三世紀の中頃から後半と考えられるという見解を述べている(2009年2月20日、衆議院予算委員会第四分科会)。
 これは、孝霊天皇は紀元前209年に死没し、その娘であるヤマトトトヒモモソヒメは箸墓古墳が築かれる三世紀半ばから後半まで、四百年から五百年近く生存していたことを意味しているのか。
(三) 宮内庁は「陵墓や陵墓参考地については、現に皇室において祭祀が継続して行われ、皇室と国民の追慕尊崇の対象となっているので、静安と尊厳の保持が最も重要なことである」(2009年7月6日閣議決定の答弁書)と示しているが、「祭祀が継続して行われ追慕尊崇の対象なので、静安と尊厳の保持が最も重要である」と考える理由を分かりやすく答えられたい。
(四) 文化庁によれば、「古墳の被葬者が発掘調査で判明することは非常にまれ」という見解である(2009年6月二14日、衆議院内閣委員会)。宮内庁が「古代高塚式の陵墓又は陵墓参考地」として管理している百二十一の古墳の各々について、そこに皇室の先祖が葬られていることの証拠を明示されたい。
(五) 宮内庁が「古代高塚式の陵墓又は陵墓参考地」として管理している百二十一の古墳の各々について、陵墓の名称・考古学上の名称・被葬者名(ルビ付)・所在地・治定年月日(西暦による)を分かりやすく示されたい。
(六) 陵墓の環境の静安と被葬者の尊厳の保持と、陵墓の墳丘最下段テラスよりも上に登る学術調査とは、学術調査がいかなる内容のものでも両立することができないという考えか。
(七) 宮内庁職員であれば、管理のために陵墓の墳丘最下段テラスよりも上に登っても静安と尊厳を保持することができ、宮内庁職員でなければ、墳丘最下段テラスよりも上に登って墳丘表面の観察をするだけでも静安と尊厳の保持ができないという明確な理由を、それぞれ示されたい。
(八) 宮内庁職員が陵墓の墳丘最下段テラスよりも上に登る場合は、どういう手続きを経ているのか。また、登る場合には何らかの祭祀を行っているのか。
(九) 宮内庁が提出した資料によれば、堺市の田出井山古墳(宮内庁によれば反正天皇陵)と羽曳野市の誉田御廟山古墳(同じく応神天皇陵)での式年祭の次第について次のようにある。
 午前九時三十分、陵所を装飾する。
 同 十時、勅使が参進して本位に就く。
 次に神饌を供する。
  この間、楽を奏する。
 次に掌典が祝詞を奏する。
 次に幣物を供する。
 次に勅使が拝礼の上、御祭文を奏する。
 次に幣物及び神饌を撤する。
 この間、楽を奏する。
 次に各退下する。
     〇
 皇族、公務員、有位者及び有勲者並びに縁故者、門跡寺院の住職及び尼門跡寺院の住職が参列する場合は、勅使参進の前に着床し、御祭文奏上の後に拝礼する。
 宮内庁によれば、陵墓における祭祀が神道の形式によるものか否かを答えることは困難である(2009年7月17日閣議決定の答弁書)とのことだが、陵墓の拝所には鳥居が置かれている。また、陵墓の式年祭では次第のように、神饌を供し、掌典が祝詞を奏し、幣物を供する。鳥居の設置やこれらの行為と神道とは、どういう関係があるのか。全く関係がないのか。
(十) 「陵所を装飾する」、「神饌を供する」、「楽を奏する」、「幣物を供する」、「幣物及び神饌を撤する」主体はそれぞれ誰か。
(十一) 勅使、掌典、「陵所を装飾する」者、「神饌を供する」者、「楽を奏する」者、「幣物を供する」者、「幣物及び神饌を撤する」者は、それぞれ公務員か否か。公務員でなければ、どういう立場の者か。
(十二) 鳥居を含めた陵墓の拝所は国有財産か。その管理は誰が行っているのか。
(十三) 本年6月二12日閣議決定の答弁書では「国家公務員による参列は、陵墓において皇室が祖先を弔う目的で行う行事に際し、平素から陵墓の管理等に携わる者が儀礼的に行ったものであり、憲法上の問題があるとは考えていない」とあるが、「管理等」の「等」とは何を示しているのか。その内容を具体的に明らかにされたい。
(十四) 儀礼的であれば、皇室の宗教的行為である祭祀に参列しても憲法上の問題がないのか。儀礼的なものと、そうでないものとの違いはどこにあるのか。明確に答えられたい。
(十五) 田出井山古墳と誉田御廟山古墳での国家公務員の式年祭への参列が、儀礼的であったという根拠を明示されたい。
(十六) 本年6月二12日閣議決定の答弁書では「地方公務員による参列については、お答えする立場にない」とあるが、なぜ答える立場にないのか。答える立場にある者は誰か。
(十七) 宮内庁が提出した資料によれば、田出井山古墳での「反正天皇の千六百年式年祭」と誉田御廟山古墳での「応神天皇の千七百年式年祭」について、以下に掲げる公務員に対し、宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所長名で「反正天皇山陵千六百年式年祭の儀」と「応神天皇山陵千七百年式年祭の儀」の執行と参列の案内を送っている。これらの公務員を送り先として選んだ基準や根拠は何で、誰が選んだのか。
〔反正天皇の千六百年式年祭〕
 大阪地方裁判所所長  大阪家庭裁判所所長  大阪地方検察庁検事正  大阪地方検察庁事務局長大阪地方検察庁堺支部長  大阪法務局堺支局長  国土交通省近畿地方整備局局長  国土交通省近畿整備局河川部長  国土交通省近畿地方整備局大和川河川事務所長  大阪府知事  大阪府府議会議長  大阪府府議会副議長  大阪府教育委員会委員長  大阪府教育長  大阪府警本部本部長  大阪府堺警察署署長  大阪府鳳土木事務所所長  大阪府立三国ヶ丘高等学校校長  堺市長  堺市市議会議長  堺市市議会副議長  堺市副市長  堺市教育委員会委員長  堺市教育長  堺市博物館長  堺市市長公室室長  堺市市長公室理事  堺市建築局長  堺市消防局長  堺市堺消防署署長  堺区長  堺市立三国ヶ丘小学校校長  堺市立三国ヶ丘中学校校長 宮内庁京都事務所所長  宮内庁京都事務所次長  宮内庁京都事務所庶務課長  宮内庁京都事務所管理課長  宮内庁京都事務所工務課長  宮内庁京都事務所林園課長  宮内庁正倉院事務所所長  宮内庁正倉院事務所庶務課長  宮内庁正倉院事務所保存課長  桃山陵墓監区事務所所長 桃山陵墓監区事務所職員代表  畝傍陵墓監区事務所所長  畝傍陵墓監区事務所職員代表  月輪陵墓監区事務所所長  月輪陵墓監区事務所職員代表  皇宮警察京都護衛署署長  皇宮警察京都護衛署副署長  宮内庁次長  書陵部代表
〔応神天皇の千七百年式年祭〕
 大阪地方裁判所所長  大阪家庭裁判所所長  大阪地方検察庁検事正  大阪地方検察庁事務局長大阪地方検察庁堺支部長  羽曳野区検察庁副検事  大阪法務局富田林支局長  国土交通省近畿整備局長  国土交通省近畿整備局河川部長  国土交通省近畿整備局大和川河川事務所長  大阪府知事  大阪府府議会議長  大阪府府議会副議長  大阪府教育委員長  大阪府教育長  大阪府警察本部長  羽曳野警察署長  大阪府富田林土木事務所長  羽曳野市長  羽曳野市議会議長  羽曳野市議会副議長  羽曳野市副市長  羽曳野市教育委員長  羽曳野市教育長  羽曳野市市長公室長  柏原羽曳野藤井寺消防組合消防局長  羽曳野市立古市小学校長  羽曳野市立誉田中学校長  宮内庁京都事務所所長  宮内庁京都事務所次長  宮内庁京都事務所庶務課長宮内庁京都事務所管理課長  宮内庁京都事務所工務課長  宮内庁京都事務所林園課長  宮内庁正倉院事務所所長  宮内庁正倉院事務所庶務課長  宮内庁正倉院事務所保存課長  桃山陵墓監区事務所所長  桃山陵墓監区事務所職員代表  畝傍陵墓監区事務所所長  畝傍陵墓監区事務所職員代表  月輪陵墓監区事務所所長  月輪陵墓監区事務所職員代表  皇宮警察京都護衛署署長皇宮警察京都護衛署副署長  宮内庁次長  書陵部代表
(十八) これら祭祀(式年祭)の執行と参列の案内を送った相手は、平素から陵墓の管理等に具体的にどのように携わっているのか。各々について具体的に答えられたい。
(十九) 皇室による陵墓の祭祀について、皇室以外の公務員に対し、なぜ祭祀の執行と参列の案内を送る必要があるのか。また、案内送付の決裁は誰が行ったのか。
 右質問する。