衆議院議員濱地文平 君 提出 伊勢の神宮に奉祀されている御鏡の取扱いに関する質問に対する答弁書

昭和35年10月22日受領
答弁第2号
(質問の 二)

  内閣衆質36第2号
    昭和35年10月22日
内閣総理大臣 池田勇人

         衆議院議長 淸瀨一郞 殿
衆議院議員濱地文平君提出伊勢の神宮に奉祀されている御鏡の取扱いに関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員濱地文平君提出伊勢の神宮に奉祀されている御鏡の取扱いに関する質問に対する答弁書

一 伊勢の神宮に奉祀されている神鏡は、皇祖が皇孫にお授けになつた八咫鏡であつて、歴世同殿に奉祀せられたが、崇神天皇の御代に同殿なることを畏みたまい、大和笠縫邑に遷し奉り、皇女豊鍬入姫命をして斎き祀らしめられ、ついで、垂仁天皇は、皇女倭姫命をして伊勢五十鈴川上に遷し奉祀せしめられた沿革を有するものであつて、天皇が伊勢神宮に授けられたのではなく、奉祀せしめられたのである。この関係は、歴代を経て現代に及ぶのである。したがつて、皇室経済法第7条の規定にいう「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」として、皇居内に奉安されている形代の宝鏡とともにその御本体である伊勢の神鏡も皇位とともに伝わるものと解すべきであると思う。

二 伊勢の神鏡は、その起源、沿革等にかんがみ神宮にその所有権があると解し得ないことは明らかであると思うが、これを民法上の寄託等と解するかどうかの点については、なお慎重に検討を要する問題である。要するに、神宮がその御本質を無視して、自由に処置するごときことのできない特殊な御存在であると思う。

三 神鏡の御本質、沿革等については、神宮当局の十分承知しているところであり、神宮は、従来その歴史的伝統を尊重してきたが、新憲法施行後においても、神宮に関する重要事項はすべて皇室に連絡協議するたてまえになつている次第もあり、現状においては特にあらためて心得等を指示される必要はないと思う。

 右答弁する。

衆議院議員藤波孝生 君 提出 朝儀復活に関する質問に対する答弁書

昭和46年5月21日受領
答弁第8号
(質問の 八)

  内閣衆質65第8号
    昭和46年5月21日
内閣総理大臣 佐藤榮作

         衆議院議長 船田 中 殿
衆議院議員藤波孝生君提出朝儀復活に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員藤波孝生君提出朝儀復活に関する質問に対する答弁書

一 質問主意書一については、別途処理する。

二 行幸に際し、剣璽を捧持することをとりやめた理由は、次のとおりである。

 (一) 戦後行幸の機会が著しく多くなり、かつ、時勢の推移との関係もあつて、その際の御服装や供奉員の服装及び員数、御宿舎等の諸施設については簡素を旨とされることとなつたので、常に剣璽を捧持されることは必ずしも適当でなくなつたこと。

 (二) 終戦後の各般の情勢にかんがみ、事故を避けるためにも、常に皇居におとどめになつていたほうが剣璽を大切にされるゆえんでもあると思料されたこと。

三 両陛下の御渡欧前の神宮御親拝のことは未定であるが、今回の御渡欧の機会に剣璽の捧持を復活することは考えられていない。

四 行幸に剣璽を捧持しない理由は、二において述べたとおりであつて、質問主意書四に記された理由によるものではない。

五 二において述べた理由は、今後においてもその事情に根本的な変化があるとは認め難いので、剣璽の捧持を復活することは今のところ考えられていない。

 右答弁する。

衆議院議員三浦久 君 提出 天皇及び天皇制に関する質問に対する答弁書

昭和61年5月13日受領
答弁第20号

  内閣衆質104第20号
    昭和61年5月13日
内閣総理大臣 中曽根康弘

         衆議院議長 坂田道太 殿
衆議院議員三浦久君提出天皇及び天皇制に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員三浦久君提出天皇及び天皇制に関する質問に対する答弁書

一について
 天皇陛下が、ひたすら世界の平和を祈念してこられ、先の大戦に際しても、回避するため全面的に努力をされ、また、戦争終結の御英断を下されたことは、大多数の国民が知るところであり、こうしたことから、天皇陛下は平和主義者であられる旨を答弁したものである。

二について
 大日本帝国憲法は、いわゆる立憲君主制を採り、同憲法下においては、天皇は統治権を総攬する地位にあつたが、憲法上の確立された慣例として、天皇は、国務大臣等の輔弼、補佐に基づいて統治権を行使したといわれており、こうしたことから、「君臨すれども統治せず」と答弁したものである。

三について
 長い歴史と伝統と文化を有する日本国において、天皇が国民的な連帯の中心としての役割を果たしてきたことは、大多数の国民が認識するところであり、こうしたことから、その旨を答弁したものである。

四について
 日本国憲法は、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であるとしている。
 また、天皇陛下御在位60年記念式典を挙行することとしたのは、天皇陛下の御在位が60年の長きにわたり、加えるに、天皇陛下が御在世日数の確認できる歴代天皇の中で最高御長寿になられ、この歴史にまれな重なる御慶事をお祝いすることが、大多数の国民の自然な感情であることによる。
 御指摘の答弁は、このようなことについての理解を求めたものである。

五について
1 御指摘の御発言は、政治的な意味合いを持つものではないから、憲法に違反するものではない。
2 御指摘の御訪韓については、これを推進する方向で検討する旨公表したとおりであるが、時期等の詳細は未定である。

 右答弁する。

衆議院議員滝沢幸助 君 提出 皇位繼承に關する儀禮等についての質問に対する答弁書

昭和63年1月12日受領
答弁第1号

  内閣衆質112第1号
    昭和63年1月12日
内閣総理大臣 竹下 登

         衆議院議長 原 健三郎 殿
衆議院議員滝沢幸助君提出皇位繼承に關する儀禮等についての質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員滝沢幸助君提出皇位繼承に關する儀禮等についての質問に対する答弁書

一及び二について
 御指摘の儀礼について法令に規定されているものとしては、皇位の継承があつたときの「即位の礼」及び天皇が崩御されたときの「大喪の礼」がある(皇室典範(昭和22年法律第3号)第24条及び第25条)。

三及び四について
 国事に関する行為としての儀式については、内閣の責任において行われ、その費用は国費をもつて充てられる。

五から十六までについて
 皇室典範に定める「即位の礼」及び「大喪の礼」の儀式の具体的内容等については、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものになると考えている。
 なお、警衛・警備については、常に、事柄の性格、時々の情勢等を踏まえて実施されるべきものと考える。

衆議院議員滝沢幸助 君 提出 皇位の尊嚴と憲法に關する質問に対する答弁書

昭和63年10月28日受領
答弁第22号

  内閣衆質113第22号
    昭和63年10月28日
内閣総理大臣 竹下 登

         衆議院議長 原 健三郎 殿
衆議院議員滝沢幸助君提出皇位の尊嚴と憲法に關する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員滝沢幸助君提出皇位の尊嚴と憲法に關する質問に対する答弁書

一から三までについて
 御指摘の資料の存在については、これを確認することができない。

四について
 元号法(昭和54年法律第43号)第一項の規定により、元号は政令で定めることとなつている。

五から十二までについて
 天皇の崩御及び皇位の継承があつたときに行われる諸儀式のうち、国事に関する行為としての儀式は、内閣の責任において行われ、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものになると考えているが、その具体的内容等については、お答えできる段階にない。
 なお、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、その地位が主権の存する日本国民の総意に基づくことは、御指摘のとおりである。

伊勢の神宮に奉祀されている御鏡の取扱いに関する質問主意書

昭和35年10月18日提出
質問第2号

 伊勢の神宮に奉祀されている御鏡の取扱いに関する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和35年10月18日

提出者  濱地文平

          衆議院議長 淸瀨一郞 殿

伊勢の神宮に奉祀されている御鏡の取扱いに関する質問主意書

 近年伊勢の神宮の制度について、いろいろの議論がある。この問題は、国民精神上重要な問題であるが、憲法との関係からして、あるいは一般宗教との関係からして、複雑な問題もあり、その結論を得るのには慎重な研究を要すると思う。しかしながら、世上この問題に関連して、伊勢の神宮に奉祀されてある御鏡(ヤタノカガミ)が、天皇の御鏡であるかそれとも宗教法人のものであるかというような議論もあるが、このような問題を、いつまでも不確実あいまいのままに放任していることはよくない。これは国民良識上明らかなことで、伊勢の御鏡は、皇祖から皇位継承者たる皇孫に授けられたものであつて、皇室経済法第7条にいわゆる「皇位とともに伝わるべき由緒ある物は、皇位とともに、皇嗣が、これを受ける。」とあるように、日本国の天皇の御位と不可分の関係にあるものと信ぜられる。政府は、この点について、いかに解釈しているか。
 第二、この御鏡について、それが天皇の御鏡であるとの解釈が正しいとすれば、神宮はこれを自ら所有しているのでなくお預りして奉祀しているものと解せねばならない。だがこの「お預りする」ということは、法律的にはいかなる関係と解すべきであるか。これを「寄託」と解する学説があると聞くが、政府ではこれをいかに解釈しているか。
 第三、皇室と神宮との関係を法律的に寄託と解するにせよ、その他の法律的概念によつて解釈するにせよ、要するに神宮としては天皇の御鏡をお預りしていることには間違いないと思う。
 この天皇の御鏡を保全するには最も慎重厳格なるを要することはいうまでもない。これは歴史的伝統によつて、神宮当局がお預りしているものと思われるが、そのお預りしている神宮当局の関係者に質してみても、御鏡の法的性格については、確実な解釈が定まつていないようである。これでは、今のような時代には、心もとないと思われるので、宮内当局としては、御鏡をお預りしている神宮当局者に対して、心得なり条件なりを明示しておくべきだと思うが、政府はその点についていかに考えているか承りたい。
 右質問する。

朝儀復活に関する質問主意書

昭和46年5月7日提出
質問第8号

 朝儀復活に関する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和46年5月7日

提出者  藤波孝生

          衆議院議長 船田 中 殿

朝儀復活に関する質問主意書

 天皇陛下今秋の御渡欧に際し、剣璽御動座の儀に関し、4月二17日付で、有志青年から宮内当局を経て御願書が出されている。これは、皇室の尊貴なる伝統的朝儀の復活を願う忠良の民の声と信ずるが、次の諸点につき政府の見解を伺いたい。

一 当局は、この文書をいかに取り扱うつもりであるか。
二 剣璽御動座に関する朝儀は、昭和21年以来御中絶になつたと聞くが、それはいかなる理由に基づくものであつたか。
三 天皇陛下は、御渡欧前に皇祖の神宮へ行幸、御親謁なされるものと拝察されるが、当局は、この時からこの朝儀復活をなす意思はないか。
四 一部の民間の説に、現在の宮内庁は、職員不足のため、この朝儀復活ができないと称する者がある。しかし現在の全職員が剣璽捧持以上の緊要な御つとめをしているとは到底信じ難い。もしも、今日復活し難い理由があるとすれば、それは何か。
五 万一、今年中に復活し難い事情があるとしても、将来の復活を考えているか、どうか。この万世一系の伝統的朝儀の復活を希望しないとすれば、それはいかなる理由に基づくかを明示されたい。
 右質問する。

天皇及び天皇制に関する質問主意書

昭和61年4月28日提出
質問第20号

 天皇及び天皇制に関する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和61年4月28日

提出者  三浦 久

          衆議院議長 坂田道太 殿

天皇及び天皇制に関する質問主意書

 中曽根内閣は、今年が「天皇在位60年」に当たるとして、4月二19日に政府主催の「記念式典」を行うのを始め、さまざまな形での天皇と天皇制美化のキャンペーンを繰り広げている。
 中曽根総理は、去る1月30日の衆議院本会議における日本共産党・不破哲三議員の代表質問に対し、「天皇陛下の御在位60年ということ、あわせて、昨年7月13日には、歴代天皇中最長寿をお迎えなさつたということは、まことに慶賀にたえない次第であります。この天皇陛下の御在位60年、御長寿をお祝いするというものは、これは自然な感情でありまして、天皇は元来、平和主義者であられたということは、皆さんも御存じのとおりでございます。別に政治的意図などは毛頭ないので、この自然の喜びの発露をそのまま行おうというので、疑う方が不自然ではないかと思うのであります」と答弁した。
 さらに中曽根総理は、「天皇在位60年」を「祝賀」する理由として、天皇は元来「平和主義者」であり、「戦争を回避するために全面的にも努力をされた」(衆議院予算委員会、3月8日)こと、「(天皇は)立憲君主制のもとにありまして、総理大臣の輔弼することについては、大体君臨すれども統治せずという原則でいかれた」(同)こと、「二千年近いこの伝統と文化を持つておる日本、及び天皇を中心に生きてきた日本のこの歴史」(同)などを挙げている。
 これらはすべて、歴史の事実に反して、天皇の、侵略戦争と暗黒政治に対する明白な責任を免罪したうえ、もともと憲法の「主権在民」の原則とは根本的に矛盾する天皇と天皇制を不当に美化するものである。日本共産党は、この見地から既に、「天皇在位60年」は絶対に「祝賀」の対象とすべきものでないことを指摘し、その中止を政府に申し入れてきたところである。以下、その立場から、天皇と天皇制の問題について質問する。

一 天皇の戦争責任について
  1931年以来の15年戦争に対する天皇の責任は、歴史の事実に照らして明瞭である。数例を挙げれば、以下のとおりである。
  天皇は、1931年に始まる日本の中国侵略戦争の期間中、侵略軍を鼓舞激励した。1931年、日本軍が中国の東北地方に侵略を開始したいわゆる「満州事変」直後に天皇は、「現下ノ情勢ハ朕カ軍隊ノ精強ニ待ツコト愈々切ナルモノアリ汝将卒益々奮励以テ朕カ信倚ニ対ヘムコトヲ期セヨ」とする「勅語」(1931年11月14日)を発している。中国に対する全面侵略を開始した1937年には、「中華民国深ク帝国ノ真意ヲ解セス濫ニ事ヲ構へ遂ニ今次ノ事変ヲ見ルニ至ル朕之ヲ憾トス今ヤ朕カ軍人ハ百艱ヲ排シテ其ノ忠勇ヲ致シツツアリ是レ一ニ中華民国ノ反省ヲ促シ速ニ東亜ノ平和ヲ確立セムトスルニ外ナラス」(9月4日の勅語)と述べ、日本が起こした侵略戦争の責任を中国に転嫁しながら、中国を恫喝している。
  中国侵略で予定どおりの戦果が挙がらず、戦争が長期化したとき、天皇は戦争勃発時の杉山陸軍大臣に対し、「予定通リ出来ルト思フカ、オ前ノ大臣ノ時ニ将介石ハ直グ参ルト云フタガ未ダヤレヌデハナイカ」と述べ、「絶対ニ勝テルカ」(「杉山メモ」(上))と質問している。
  中国に対する侵略戦争は、1941年、アメリカ、イギリスに対する戦争へと発展したが、この太平洋戦争を決断し、戦争を宣言したのは、天皇そのものであり他のいかなる人物でも国家機関でもなかつた。
  天皇の動向をよく知り得る立場にいた当時の内閣書記官長・富田健治氏はその著書「敗戦日本の内側 ― 近衛公の思い出」で、天皇が太平洋戦争開始論に踏み込んでいく経過について、次のように述べている。
  「自分(近衛)が総理大臣として陛下に今日、開戦に不利なることを申し上げると、それに賛成されていたのに、明日御前に出ると「昨日あんなにおまえは言っていたが、それ程心配することもないよ」と仰せられて、少し戦争の方へ寄って行かれる。又次回にはもつと戦争論の方に寄っておられる。つまり陸海の統帥部の人達が意見がはいって、軍のことは総理大臣には解らない。自分の方が詳しいという御心持のように思われた。従って、統帥について何ら権限のない総理大臣として、唯一の頼みの綱の陛下がこれではとても頑張りようがない」
  太平洋戦争遂行の基本政策である「国策」は、天皇の臨席する御前会議で決定された。1941年7月2日の会議で、「南方進出の歩を進め又情勢の推移に応じ北方問題を解決す」るという「帝国国策要綱」を決定している。9月6日の会議は、期限つき開戦を決定した「帝国国策遂行要綱」を決定し、11月5日の会議は、対米戦を決意した「要綱」を決定している。そして12月1日の会議は、対米英オランダ開戦を正式に国家意志として決定した。
  これらすべての決定の最終決断をくだしたのは天皇である。開戦時の国務大臣、鈴木貞一は、次のように述べている。
  「戦争か、戦争をやめるかという時期の決断というものは、それは流れに逆ってピシャッとやることは、これはもう余程の力でなくてはならない、その力はね、日本には陛下以外にないんです」(勝田龍夫「重臣たちの昭和史」(下))
  戦争を長引かせたのも天皇の責任である。天皇は、終戦に当たつて、和平交渉を急ぐべきであるとの周囲の意見に対して、「モウ一度戦果ヲ挙ゲテカラデナイト中々話ハ難シイト思フ」(「木戸幸一関係文書」)として、戦争継続の立場を表明した。また、1945年8月14日の「御前会議」では、ポツダム宣言受諾の理由について、「国体ニ就テハ敵モ認メテ居ルト思フ。毛頭不安ナシ。敵ノ保障占領ニ関シテハ一抹の不安ガナイデモナイガ、戦争を継続スレバ国体モ国家ノ将来モナクナル。即チ、モトモ子モナクナル」(「敗戦の記録」)と、終戦の決定(総理等のいういわゆる「御聖断」)が、絶対主義的天皇制を維持するためであることを明言している。
  これらの事実は、天皇が、「平和主義者」などではなく、その地位からいつても実際に果たした役割からいつても、15年に及ぶ侵略戦争の最大、最高の責任者であつたことを疑問の余地なく立証している。
  中曽根総理が天皇を「平和主義者」だとする根拠はなにか。
二 「君臨すれども統治せず」論について
  戦前の天皇と天皇制を「君臨すれども統治せず」などと特徴付ける中曽根総理の見解は、そもそもこれまで質問してきた天皇の戦争責任の問題に照らしても明確に事実に反するものであるとともに、天皇の戦争責任を免罪するものである。
  天皇の戦争責任問題以外にも、戦前の天皇に与えられていた絶対的権力は、総理の見解に根拠がないことを示している。
  戦前の天皇制はいかなる意味でも「立憲君主制」ではなく、国家主権はもちろん、国務大臣の任免権、軍の統帥権、宣戦・講和の布告、条約締結権、立法権、議会の召集・衆議院解散権、戒厳などの権限を全面的に掌握した文字どおりの絶対主義的天皇制であつた。
  天皇は、この権力を用いて、天皇が必要と考えた場合には、自らの政治意思を貫徹してきた。戦争以外の若干の諸事実を挙げると次のとおりである。
  二・二六事件当時(1936年)の内閣総理大臣であつた岡田啓介は、天皇の執務態度について、「陛下は内閣から奏上する場合、御同意の節は「そう」とはっきり御返事なさるが、御同意でないときは黙っていらっしゃる。差しあげた書類に対しては、御同意でない折はしばらくお手元にお留めおきになることもある」(回顧録)として、このような天皇の意思表示の仕方に従つて行動するのが「輔弼」者としての大臣の条件であつたと述べている。さらに、天皇の側近中の側近であつた木戸幸一は、戦後(1964年)、法務省の質問に対して、「立前として天皇は国務大臣の輔弼によって国政をなさるのではあるが、時には、強い御意見を述べられることもある。(中略)天皇が御納得されない場合は、概ねの場合問題はそのままサスペンドされて決定が延ばされるか内閣の方が考え直すのを例とした」(「木戸幸1日記」)と証言している。
  また、次の事実は極めて重要である。
  戦前の治安維持法は、国民から一切の自由を奪い、天皇制支配を支える主柱となつたものであり、1945年のポツダム宣言の受諾に伴う一連の措置によつて当然、廃止されたものである。この治安維持法案は、過激社会運動取締法という名で1922年に議会に提出されたが、反対運動にあつて審議未了・廃案となつた。ところが1923年9月、現天皇裕仁が大正天皇の摂政として発した緊急勅令「治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件」(治安維持令)を公布した。これが12月に臨時議会で追認され、1925年に治安維持法が制定された。
  また、同法は1928年、「国体変革」すなわち「君主制の廃止」「絶対主義的天皇制の変革」を掲げる者に死刑を含む重罰を科すべく改悪されたが、これもまた、天皇の発する緊急勅令によつて行われたのであつた。このような野蛮な弾圧法を自らの意思で制定し得る権能を持ち、また実際に頻繁にそれを行使した者を、「君臨すれども統治せず」などといえないことは明白である。
  中曽根総理は、これらの諸事実を「君臨」もし、「統治」もした事実として認めるかどうか、明確に答弁されたい。
三 「天皇は国民の中心」論について
  「天皇は二千年間、国の中心」であつたなどとする見解は、歴史学上、明確に否定された神話である。明治以前において、天皇が実際に「政治の中心」にあつた時期がごく短期間であることは、歴史学上の常識である。明治維新前後には、天皇の存在すら多くの国民に知られていなかつたのである。
  1868年の九州鎮撫総督の諭書が「此日本という御国には、天照皇大神宮様から御つぎ遊ばされたところの天子様というものがござって、是が昔からちっとも変ったことのない御主人様ぢや……」と述べているように、天皇の存在それ自体を民衆に教えこませなければならなかつた。
  また、天皇制政府が多くの庶民の不信と不満を買つていたことも、例えば次のような、政府にあてられた「報告書」から知られるところである。
  「近来の事情を洞察してみると、天下の人望は以前に異なり、道路の浮言ではあるが、王政は幕政に及ばず、薩長は徳川氏に劣るなどといわれているやに承り、誠に憤懣やるかたなし」
  「今の政治のありさまではとても治世はおぼつかなく、窮民どもの暮らしはたちゆかない。旧幕政のほうがよかったというものが今や七分、残りの三分がわずかに御一新の政道をよいといっているに過ぎない」
  さらに、明治維新後、神話に基づく「紀元節」を設定し「天皇は天子」「万世一系」なる宣伝が行われたが、これは絶対主義的天皇制の確立と徹底、強化のために明治政府の必要によつて急きよ作り出された特殊なイデオロギーに過ぎず、当時既にその反動的・非科学的本質を見抜く次のような見解があることも史料で明らかである。
  「(天皇が天子なら)然ラバ日本挙国ノ人皆ナ天子ノ子ナルヤ、阿爺モ又天子ノ子ニシテ、阿翁ノ父ニハ非ルヤ、笑フ可キ哉」(「東京開化繁昌誌」)
  中曽根総理は、いかなる事実と科学的根拠をもつて、「天皇は二千年間、国の中心」と国会で答弁したのか、所見を求める。
四 天皇批判に対する総理の誹謗について
  中曽根総理は、天皇と「天皇在位60年式典」をめぐる問題で、3月8日、衆議院予算委員会での日本共産党の正森成二議員の質疑に対して、天皇に「あえて異を立てるというものは、国家を転覆するという気持ちを持つておる人でないと出てこないのではないかとすら私は疑う」と答えている。
  天皇と天皇制を批判するものにこのような誹謗を加えること自体、戦前の治安維持法同様の発想にほかならないと思うが、どうか。また、中曽根総理の論理では、今日の日本も戦前同様に、「主権は天皇にあり」ということになるが、どうか。答弁を求める。
  さらに、マスコミ各社の世論調査によつても、天皇制を「廃止するほうがよい」との回答は相当数にのぼるが、このような回答者は「国家を転覆するという気持ちを持つておる人」と総理は考えるのか。
  また、総理は、「天皇在位60年」を祝わないのは「不自然」と述べているが、4月7日付「朝日」の世論調査によれば、「天皇在位60年式典」に賛成の回答は、四一%に過ぎず、「天皇在位60年記念式典は必要ない」とする回答が二七%、「戦時中のことを思うと好ましくない」が六%、「自分には関係ない」が二一%となつている。総理は、半数以上の日本の国民は「不自然」な人間であると考えるのか。また、総理の論理に従えば、「天皇在位60年」を積極的に「祝賀」しないものは、天皇に「異を立てる」ことになり、結局のところ「国家転覆」の気持ちを持つていることにならざるを得なくなるが、どうか。
五 いわゆる「皇室外交」について
  天皇の「名代」としての皇太子の訪韓など、いわゆる「皇室外交」が計画されている。またこれまでも、天皇・皇室自身の意思をも盛り込んだ「皇室外交」が行われ、その際天皇はしばしば政治的な言動を行つてきた。これらは、憲法の天皇に関する条項に照らして容認できないものである。
  我が党は、既に政府及び宮内庁に対し皇太子訪韓中止を申し入れた。宮内庁は4月二16日、皇太子訪韓を含め天皇、皇室の外国訪問は、政府が決定することだと回答してきた。そこで政府に対し、いわゆる「皇室外交」なるものについて見解をただす。
  戦前の天皇は、「国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬ス」(第4条)、「戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」(第13条)とされ、国家元首として対外的代表であるとともに、外交権の主体であつた。
  しかし現憲法は、天皇制を「象徴」の名で温存するという「主権在民」原則と矛盾した側面を残しているが、天皇の地位を「主権の存する日本国民の総意に基く」(第1条)ものにとどめるとともに、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」(第4条第一項)とし、天皇の対外代表権と外交大権を明確に否定した。また、天皇の国事行為としての対外関係に関する行為も、「全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること」(第7条第5号)、「批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること」(同条第8号)、「外国の大使及び公使を接受すること」(同条第9号)という形式的な行為に厳格に限定している。しかも、天皇がこれらの行為を実際に行う際には「内閣の助言と承認」を受けなければならない(第3条)。このように現憲法は、天皇が公的で政治的な意味をもつ外国訪問を含む対外関係に関する行為を行うことを明確に禁止している。しかるに、憲法第1条の「象徴の地位からにじみ出る公的行為」などとして、天皇による「皇室外交」が展開されてきた。
  しかも天皇自身、このような「皇室外交」の際に頻繁に政治的発言を行つてきた。1975年の訪米に際して、天皇は、さきの侵略戦争について、「開戦時には閣議決定があり、私はその決定を覆すことはできなかつた」などと発言した。これはたんに政治的な発言だというにとどまらず、歴史的事実に反して自らの戦争責任を回避するものである。また天皇は、この訪米直後の記者会見で広島・長崎への原爆投下は「やむを得ないこと」とさえ述べている。これ自体アメリカの野蛮な原爆投下を是認した非人道的な発言であるとともに、許されない政治的発言であることは明白である。
  さらに、全斗煥大統領の訪日の際には、「大統領閣下の卓越したご指導の下に貴国が政治、経済、文化、社会等の各分野において目覚しい発展を遂げていることは、国際社会から高い評価を受けております」などと、全斗煥政権を礼賛する政治的発言を行つている。
  全斗煥政権は、軍事クーデターによつて生まれた軍事ファッショ政権であり、韓国国民からもその正統性を疑われている政権である。また我が国においても、南北に分断された朝鮮半島の一方の韓国政府を唯一合法政府とする日本政府の対朝鮮政策をめぐつても強い批判があり、議論も分かれている。こうした状況のもとでの天皇のこの発言は、「国政関与」を禁じた憲法にまつこうから違反する二重、三重の政治問題への介入である。
  以下、こうしたいわゆる「皇室外交」について質問する。
 1 天皇自身のこのように明白な政治的発言が、天皇は「国政に関する権能を有しない」とした憲法第4条に違反することは明らかではないか。
 2 天皇の「名代」による皇太子の訪韓が計画されている。皇太子による「皇室外交」は、「日米修好百年」を記念しての訪米(1960年)以降二十回余に及ぶが、今回の訪韓は、とりわけ、全斗煥政権を礼賛した天皇の「名代」として行われる。韓国内でもこの皇太子訪問に反対する大きな世論がおこつている。計画されている皇太子の訪韓は、我が国の対朝鮮政策と韓国内の政治問題への介入であり、極めて重大である。
   中曽根内閣は、こうした我が国及び韓国内での皇太子訪韓に対する強い反対論があつても、これを強行するのか。
 右質問する。

皇位繼承に關する儀禮等についての質問主意書

昭和62年12月28日提出
質問第1号

 皇位繼承に關する儀禮等についての質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和62年12月28日

提出者  滝沢幸助

          衆議院議長 原 健三郎 殿

皇位繼承に關する儀禮等についての質問主意書

 我國において皇位は連綿として不斷の道統であり神武建國以來ここに百二十四代を重ね給ひ國民齊く敬尊止まざるところであるが、昭和22年新憲法の施行により、其の法的制度的制約を餘儀なからしめられ、ことに宮中祭祀のこと、皇位繼承の儀禮典式の細目に至つては甚だ不充分なるまま今日に及んでゐる。このことは兼々識者賢人の憂愁措かざるところであつたが、先般、聖上御不例に渡らせ給ふに及び漸く世間に論談されるところとなつた。
 殊に文藝春秋12月號に掲載された記事は廣く國民をして皇位繼承の儀式禮法等の不備に重大な關心を寄せしむるに足るものであつた。附いてはこの時速かにこれら法的制度的不備を改善し、以つて皇位の萬歳を祈ることは國家國民の急務である。
 よつて之に關し質問する。

一 皇位繼承前後の儀禮にかかはる諸準備が今なほ整備されてゐないと言はれることは事實か。大喪令・登極令は定められてゐるか。
二1 不日皇位繼承のことが生じた場合、大儀(大喪・大禮)の諸儀式は何を法的制度的根據として行はれるか。具體的に示されたい。
 2 前例に倣うとする場合は、いつの例によるか具體的に示されたい。
三 大儀等の責任は何人にあるか。主催者・責任官廳等明確に示されたい。
四 大儀等の經費は國の資擔であるか。その豫算項目を具體的に示されたい。
五 大喪使・大禮使その他の組織は置かれるか。
六 神器繼承の儀は國の責任に於て行はれる公事と解してよいか。
七 大嘗祭の儀は、古例通り公事として行はれるか特に示されたい。
八 即位の禮・大嘗祭等は從來京都に於て行はれたが、今後は如何。明答されたい。
九 大喪の儀は傳統的に夜間に行はれるべきものであつたが今後は如何。その時刻を示されたい。
十 右に於て葬列は缺くべからざるものであるが之は前例通りに行はれるか。其の規模等内容を明らかにされたい。
十一 御靈柩は如何なされるか。轜車及び葱花輦を使用されるのか。その樣式を明示されたい。
十二 儀仗隊・禮弔砲はなされるか。その編成・樣式を示されたい。
十三 践祚の儀を抜きにしては皇位の繼承はあり得ないと解されるが、之は行はれるか。
十四 右皇位繼承前後にかかはる一連の禮式における裝束は如何にされるか。又その席次は如何にされるか。それらを決定する機關・手續等を示されたい。
十五 警護・警備の態勢について示されたい。
十六 國民が齊く之を弔祝するための措置は如何。例へば、服喪・祝日等についての用意あれば之を示されたい。
 右質問する。

皇位の尊嚴と憲法に關する質問主意書

昭和63年10月19日提出
質問第22号

 皇位の尊嚴と憲法に關する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和63年10月19日

提出者  滝沢幸助

          衆議院議長 原 健三郎 殿

皇位の尊嚴と憲法に關する質問主意書

 謹んで
天皇陛下の御平癒をお祈り申上げます。                          さて、小員は昭和62年12月28日「皇位繼承に關する儀禮等についての質問主意書」を提出して政府の見解を質したが、その答辯書は「憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものになると考えている」としたに止まり一切、具體的な事項には觸れずして「研究中」とされてゐた。
 越えて63年2月二19日、豫算委員會に於ける小員の質疑に對する答辯も全く同様であつた。
 このことは「天皇の地位は主權の存する國民の總意に基く」とした憲法の文章にまつまでもなく、國民ひとしく、之を知らむと願ひ、且つ又、當然知らされて可なるべきものであつたと信ずる。
 ところが今般、雜誌「文藝春秋」11月號(一二六頁~一三三頁)に政府の内部「研究」が急速に具體化したことが報ぜられ、國民の間に複雜な思ひが渦卷いてゐる。
 之は國政上極めて重大なことであるので、以下これに關し質問する。

一 右雜誌に報道された内部資料なるものは實存するか。
二 右の記述はおほむね事實とその内容において一致するか。違ふ點あらば明示されたい。
三 なかんづく次の七項目について眞意を問ふ。
 1 大喪に関しては皇室典範にもとづき国家予算、ただし宮内庁が担当する。
 2 国葬は、宗教色を除き、国が担当。
 3 葬場殿は大正天皇時に倣う規模とする。場所は新宿御苑。
 4 御陵は多摩陵墓地。
 5 殯宮から新宿御苑は車列を用い、葬列はしない。国が担当する。
 6 國葬は四長官弔辞が中心。葱華輦の使用については検討中。
 7 剣璽渡御の儀は、国事行為・根拠 皇室経済法。
四 元號の制定は新帝の裁許によるものと解してよいか。
五 古來、葬列を行はない大葬はないとされてゐる。見解如何。
六 皇位の繼承は「践祚の儀」「即位の儀」「大嘗祭」の三式あつて完成するといふ我國古來の傳統に鑑み、これら三式すべて公式の儀式として行はれると解してよいか。
七 大葬における轜車並に葱華輦は從前通り使用されるか。
八 即位の禮は京都に於て行はれると解してよいか。
九 「天皇に私なし」といふ。ついては皇位繼承の如く超重大な禮式にあつては、天皇個人又は天皇家といふが如き見解は當を得ないと思ふが如何。
十 アメリカ合衆國大統領の就任式、英國の戴冠式などを參考するに、宗教と憲法及び法律との關係は、文明諸國にあつては、その源泉をその國の傳統習慣に求めて、これを優位にしてゐる。かく見るとき、建國二千六百50年の傳統を有する我國にあつて天皇個人の宗教といふが如き見解は當を得ず、憲法の文章と皇室の傳統は渾然合一なるものと解すべきである。所見如何。政府は皇位が尊嚴なものであると認めるか。如何。
十一 右の見識に立つ時、將來あり得べき皇位繼承に關する諸般の禮典は須く我國の古來の傳統を全く繼承しつつ、正式完全に行はれるべきである。更に之を世界に披露して、我國の美風と世界平和への希求を廣く顯傳すべきであると思ふが、如何。
十二 先に記したる如く憲法第一條により「國民の總意に基いて」皇位が確立されてゐるとするならば、その國民の代表であり國權の最高機關たる國會が、皇位繼承に關する手續禮法等は知らざるべからず、更に國民はその國會を通じて之を知るべきである。然るに今日までの一連の作業は、この憲法の趣旨をないがしろにしてゐるが如くである。見解如何。
 右質問する。