宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する質問主意書

平成22年6月3日提出
質問第535号

宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する質問主意書

提出者  吉井英勝

宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する質問主意書

 宮内庁によって皇室の祖先の墓とされ、陵墓(陵墓参考地含む、以下同じ)として管理されている古墳(以下、陵墓と略)について、宮内庁は「陵墓の保全工事に伴う調査の際の見学の実施や調査結果の公表等に努めている」というが、一般市民による見学は全く不可能である。たとえ研究者であっても限定的かつ、ごく少人数の立ち入りが「許可」されているにすぎず、その範囲も墳丘裾の管理用巡回路までにとどまり、墳丘全体の詳細な形状や規模等を外形的にも把握、確認することすら不可能である。この実態は、わが国のみならず東アジア全体の歴史や外交の様相等の解明にとっての妨げとなっている。宮内庁によれば、陵墓は皇室によって祭祀が継続して行われている「生きた墓」で、「静安と尊厳の保持が最も重要」であり、発掘や立ち入りは「厳に慎むべきこと」であるという。
 よって、次のとおり質問する。

(一) 陵墓については「現に皇室において祭祀が継続して行われ、静安と尊厳の保持が最も重要である」という政府見解はいつ作られたものか。また、「生きた墓」とは、いかなる概念か。具体的に説明されたい。
(二) 陵墓には宮内庁が立ち入り等を禁じる意思を示した看板が置かれている。この立ち入り等を禁じる看板はいつから置かれているのか。
(三) 陵墓は国有財産法上、皇室用財産として宮内庁が管理しているものと思うが、学術目的での自由な立ち入りまでも禁止する法的根拠はどこにあるのか。自由に陵墓に立ち入ったり墳丘に上ったりすることは、法的に禁止されているのか。
 宮内庁が陵墓の管理上、研究者をはじめ国民が陵墓に立ち入ることすら禁じる権原はどこにあるのか。
(四) 陵墓の調査は、宮内庁職員によるものであれば静安と尊厳が保持され、それ以外の研究者によるものであれば静安と尊厳が保持されないのか。そうであれば、その理由を詳細に答えられたい。
(五) 昨年、私が提出した質問主意書(2009年6月二19日提出の質問第611号)において、皇室の起源と実在が不確かな皇室の祖先について見解を求めた。これに対し「宮内庁としては、古代の皇室の歴史については、歴史学者の間でも諸説あるものと承知している」と答え、明確な見解を示すことができなかった。起源や存在について、政府自身の見解を答えることができない者が葬られているのなら、その埋葬地である古墳や出土品を宮内庁が管理することは不適当ではないか。
 また、政府の見解として起源や存在を明らかにできない人物が埋葬されているという土地に対し、祭祀や管理の費用を国費から支出する根拠は何か。
(六) 陵墓においては皇室によって、宮内庁が被葬者と定めた者の没後百年ごとに式年祭等の祭祀が行われているが、これは皇室祭祀令に基づくものなのか。皇室祭祀令は日本国憲法施行日の前日に廃止されている。皇室祭祀令でなければ式年祭等の祭祀は何に基づいて行われているのか。明確に示されたい。
(七) 陵墓における祭祀は、皇室の私的な行為とされている。皇室の私的な行為の対象としている陵墓の管理に国費を充て、それに国家公務員である宮内庁職員が携わることは、政教分離の原則を明確に定めた憲法といかなる関係にあるのか。陵墓の管理に要する費用として毎年、何にいくら支出しているのか。直近十年間について、総額と内訳明細を明らかにされたい。
(八) 本年2月13日、大阪府堺市の田出井山古墳で「反正天皇の千六百年式年祭」が行われた。また、4月1日には、大阪府羽曳野市の誉田御廟山古墳で「応神天皇の千七百年式年祭」が行われた。この式年祭の主催者は誰か。
(九) 質問主意書(2009年7月9日提出の質問第657号)で、皇室による陵墓の祭祀の起源について質問したが、「宮内庁としては、陵墓における祭祀は、皇室の伝統に基づくものとして古くから行われているものと承知している」という見解を示した。反正天皇の式年祭も応神天皇の式年祭も、何年から皇室の伝統に基づいて行われてきたのか。これまでの式年祭の経緯を詳細に示されたい。
(十) 今年の2月13日が反正天皇の千六百年の式年祭の日、また4月1日が応神天皇の千七百年の式年祭の日に当たると定めた根拠は何で、誰が定めたのか。
(十一) 二つの式年祭には参列者として、複数の公職者が参加している。二つの式年祭に参列した公職者の氏名と所属等をすべて明らかにされたい。また、皇室の私的な祭祀に公職者が参列することについて、政教分離の原則を定めた憲法との関係をどのように考えているのか。
(十二) 二つの式年祭の内容、手順はどのようなものであったか。また、参列者に対し、男性には「モーニングコート(ベストは黒)・紋付羽織袴」を、女性には「ロングドレス(ローブモンタント)、ディドレス(絹又は絹風のワンピース、アンサンブル等)・白襟紋付(色留袖、訪問着)」等の服装を求めている根拠は何か。
(十三) 宮内庁による陵墓の治定の誤りについて、先の二つの質問主意書と本年2月二15日の衆議院予算委員会第一分科会の質疑で質した。分科会質疑の中で平野博文官房長官は「では間違っているのかどうか。ここは、少なくとも宮内庁において書陵部長がしっかりとスタッフを抱えてそのことについてきちっとされているというふうに私は信じているところでございます」と答弁しているが、この官房長官の信頼、信用は正しいのか。
 宮内庁書陵部陵墓課には考古学を専攻した陵墓調査官をはじめ研究職職員が配置されているが、これら研究職職員は、
  ① 五世紀半ばに築造されたと考えられる大阪府茨木市の太田茶臼山古墳に、六世紀前半に没したといわれる継体天皇が葬られていること
  ② 三世紀後半から四世紀初めに築造されたと考えられる奈良県天理市の西殿塚古墳に、六世紀の継体天皇の妃が葬られていること
  ③ 五世紀前半に築造されたと考えられる奈良県奈良市の市庭古墳に、九世紀の初頭に没した平城天皇が葬られていること
これらについて、どのように調査・研究をしているのか、明らかにされたい。
(十四) 最古級の前方後円墳と考えられている箸墓古墳(奈良県桜井市)には、宮内庁によると、ヤマトトトヒモモソヒメが葬られているという。また、ヤマトトトヒモモソヒメは孝霊天皇の娘であるという。ヤマトトトヒモモソヒメと孝霊天皇はいつ存在した人物かを、先の質問主意書(質問第611号)で問うたが、その答は「『日本書紀』等によれば、倭迹迹日百襲姫命は孝霊天皇の皇女とされているものと承知している」「宮内庁としては、古代の皇室の歴史については、歴史学者の間でも諸説あるものと承知している」というものであった。
 近年の研究成果から、箸墓古墳の築造時期は三世紀を下ることはないと考えられている。ヤマトトトヒモモソヒメが孝霊天皇の娘であるなら、孝霊天皇の墓地の時期は、箸墓古墳よりも古いかほぼ同時期であるはずである。宮内庁によって孝霊天皇が葬られているとされている「片丘馬坂陵」(奈良県北葛城郡王寺町)はいつ築かれたのか。またそれは箸墓古墳より古い時代、弥生時代の墓地なのか。箸墓古墳と同じ時期の古墳なのか。学説でなく、宮内庁の見解を明確に答えられたい。あわせて、孝霊天皇片丘馬坂陵の配置を分かりやすく明示されたい。
(十五) 宮内庁による陵墓の治定は幕末から二十世紀初頭までの間に、「万世一系の天皇」をうたった帝国憲法下の「皇統」を視覚化するために行われた。現在の宮内庁は、被葬者の治定の正否についての検証を行っているのか。宮内庁には、かつての陵墓治定の正否についての検証を禁じている内規や規程等があるのか。また、宮内庁には、陵墓の治定について、研究成果に基づいてこれを改めることを禁じる内規や規程等があるのか。
(十六) 本年2月二15日の衆議院予算委員会第一分科会の質疑において、「陵墓の立入りの取扱方針」の中で、書陵部長が立ち入りを許可する者の対象に国会議員が含まれない問題を取り上げ、国会で国有財産法上の皇室用財産を質疑する国会議員が陵墓の立ち入りの許可対象外となっている事態を是正するよう求めた。答弁に立った平野官房長官は「学術的観点から、今先生御指摘のところについての範囲がどこまでなのか、国会議員といっても、専門家の方もおられるわけでしょうし、そういう観点からどうあるべきかということについては研究してみたい、このように私は思います」と発言した。研究の結果、国会議員は立ち入りの対象に含まれるようになったか。
(十七) 大阪府の誉田御廟山古墳の外濠と外堤の一部は「応神天皇陵古墳外濠外堤」という名称で国指定の史跡に指定されているが、この古墳の被葬者は誰なのか、確実に判明しているのか。文化庁の見解を問う。判明しているとすれば、いつ判明したのか。
(十八) 二回の質問主意書(質問第611号、質問第657号)で、誉田御廟山古墳の被葬者が明らかでない以上、正しい歴史認識を広めるためにも史跡の名称を「誉田御廟山古墳外濠外堤」へと変更するよう求めたが、答弁書では「地域で親しまれている名称など、当該史跡を最も適切に指すものを名称としており、名称を変更する必要はないと考える」との旨の見解を示した。誉田御廟山古墳は宮内庁が応神天皇陵として管理していることから、文化庁は史跡の名称を変更することができないのか。
 一般的に、史跡の名称を変更する必要が生じるのはどういう場合か。
(十九) 「応神天皇陵古墳外濠外堤」という名前で史跡に指定されている範囲は、誉田御廟山古墳の一部にすぎず、史跡指定地範囲外にもこの古墳の外濠や外堤が埋没した状態で広がっていると思うが、なぜ外濠と外堤全域を史跡に指定することができないのか。史跡に指定しないのは、外濠や外堤が存在しないからなのか。
(二十) 仮に誉田御廟山古墳の外濠と外堤の範囲が明確でないのならば、範囲を明確にする必要があるのではないか。範囲を明確化せず史跡に指定しなくても、原状のままでの保存と保護は十分になされているのか。
 また、誉田御廟山古墳全域における既往の発掘調査件数と遺構検出の件数、そのうち原状保存されている件数は何件か。あわせて、調査箇所、遺構検出箇所、そのうち原状保存箇所の配置を分かりやすく明示されたい。
(二十一) 奈良県広陵町と河合町にまたがる馬見古墳群を構成する古墳の一つに全長約二〇〇メートルの前方後円墳・新木山古墳(宮内庁によれば三吉陵墓参考地)がある。今年度、この墳丘は宮内庁によって調査されると聞いているが、調査目的は何で、どのような調査を行うのか。
(二十二) 新木山古墳の被葬者は誰なのか。また、それは、いつどのような調査で判明したのか。被葬者が没したのはいつのことか。古墳の築造時期は、考古学的見地からいつ頃と考えられているのか。
(二十三) 2008年、大阪府堺市の百舌鳥御廟山古墳において、宮内庁と堺市教育委員会によって「同時」調査が行われた。この古墳は墳丘部分のみが陵墓参考地として宮内庁に管理されている。堺市教育委員会による発掘調査部分は、一般市民にも公開された。しかし、宮内庁による調査部分は、「静安と尊厳の保持の観点」を盾にして宮内庁が公開しなかった。それでも「同時」調査の公開であったため、「これまでは周濠の外から眺めるだけで、隔絶した閉鎖空間に置かれていた陵墓の発掘現場を市民も間近に見学できたことは画期的な出来事だった」と評価する専門家の意見もある。
 新木山古墳は百舌鳥御廟山古墳と同様に、墳丘部分だけが宮内庁の管理部分で、周濠や外堤部分は民有地である。新木山古墳の調査も、堺市の百舌鳥御廟山古墳の調査と同様に、宮内庁と地元教育委員会によって同時に調査を行い、調査結果を市民に公開すべきでないか。
(二十四) 馬見古墳群には、宮内庁によって陵墓参考地として管理されている前方後方墳・新山古墳がある。新山古墳の被葬者は誰なのか。また、それは、いつどのような調査で判明したのか。被葬者が没したのはいつのことか。古墳の築造時期は考古学的見地から、いつ頃と考えられているのか。
(二十五) 新山古墳からは1885年、後方部の竪穴式石室から勾玉や管玉等とともに直弧文鏡等の大量の銅鏡が出土しており、これら出土品は現在宮内庁が所蔵している。古墳から大量の銅鏡等の副葬品が発見されれば、その古墳は皇室関係者の墓地となり、宮内庁が管理するのか。
(二十六) 陵墓の副葬品に関し、1972年4月二16日の参議院予算委員会第一分科会で、瓜生順良宮内庁次長は「副葬品とかいうのは、御葬る御遺体と一体となっておりますものについては、これは皇室のものであるというふうに考えております」と答弁している。このことは「陵墓の被葬者の副葬品は皇室の私有財産である」と解釈してよいか。
(二十七) 宮内庁が陵墓として管理している古墳から出土した銅鏡をはじめとする副葬品は、宮内庁が宮廷費を充て管理していると思うが、副葬品は皇室の私有財産であるという解釈のもとで、皇室の私的経費に充てる内廷費でなく、国有物品として宮廷費を充て管理しているのはなぜか。
(二十八) 静岡県沼津市では昨年、辻畑古墳の発掘調査が行われた。調査の結果、三世紀末までには築造された前方後方墳で、東日本では最古級のものと考えられることが判明した。辻畑古墳は、宮内庁が陵墓として管理している箸墓古墳ともほぼ同じ時期のものである。しかし、この辻畑古墳は市道建設に伴って破壊される可能性があると聞いている。古墳の築造時期等、学術的観点からの重要性を鑑みれば現状保存すべきものと考えるが、辻畑古墳は現状保存されないのか。保存されないとすれば、その理由はなぜか。
 右質問する。

宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する再質問主意書

平成22年6月14日提出
質問第585号

宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する再質問主意書

提出者  吉井英勝

宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する再質問主意書

 皇室の先祖や皇室関係者が葬られているとして、宮内庁が管理している古墳が多数ある。これらは陵墓や陵墓参考地とよばれ、宮内庁によって「陵墓の静安と尊厳の保持」等を理由に学術研究目的であっても自由な立ち入りが拒まれている。陵墓では皇室によって、式年祭等の祭祀が行われている。本年6月3日に提出した前回質問主意書(質問第535号)で、陵墓の祭祀の一つである式年祭について質問したが、答弁書は「詳細については、お答えを差し控えたい」というものであった。
 よって、次のとおり質問する。

(一) 陵墓(以下、陵墓参考地を含む)として管理している古墳の「静安と尊厳の保持」とはいかなる概念か、具体的に答えられたい。
(二) 奈良県広陵町の新山古墳は1885年に竪穴式石室が開口し、大まかな調査が行われた。大阪府藤井寺市の津堂城山古墳は1912年に石室が開口し、長持型石棺が姿を現して大まかな調査が行われた。大阪府羽曳野市と松原市にまたがる河内大塚山古墳の前方部には、かつて西大塚村と東大塚村という集落が存在していた。
 現在、これら三つの古墳は陵墓参考地として宮内庁に管理され、「静安と尊厳の保持」等を理由に立ち入りが制限されているが、陵墓参考地になったのは、それぞれいつか。西暦で答えられたい。
 また、陵墓参考地にされるまでの「静安と尊厳」はどのようにして保持されていたのか、明確にされたい。
(三) 答弁書によれば、陵墓への立ち入りを禁じる旨の看板は1873年11月2日の太政官達以降設置しているとのことだが、この太政官達は現在も効力を持っているのか。
(四) 古文書や行政記録文書によって、かつて盗掘が行われ石室が開口し、副葬品も持ち出されたことが明らかになっている陵墓であれば、改めて学術的観点から調査を行っても差し支えないのではないか。
(五) 式年祭の詳細について、答弁ができないとする合理的根拠を示されたい。
(六) 本年2月13日、大阪府堺市の田出井山古墳で「反正天皇の千六百年式年祭」が行われた。また、4月1日には、大阪府羽曳野市の誉田御廟山古墳で「応神天皇の千七百年式年祭」が行われた。宮内庁が提出した資料によると、反正天皇陵式年祭には、以下の二十七名の公務員が参列者として列挙されている(敬称略)。
 国土交通省近畿地方整備局長・上総周平    大阪府教育長代理・向井正博
 堺市長・竹山修身              堺市市議会議長・星原卓次
 堺市市議会副議長・高岡武汪         堺市副市長・田村恒一
 堺市教育委員会委員長・坂之上清以彌     堺市教育長・芝村巧
 堺市博物館長・中西進            堺市市長公室室長・藤木博則
 堺市市長公室理事・溝口勝美         堺市三国ヶ丘小学校校長・小山久子
 宮内庁次長・風岡典之            宮内庁京都事務所所長・北啓太
 宮内庁京都事務所次長・安田勉        宮内庁京都事務所管理課長・湯本順一
 宮内庁正倉院事務所所長・杉本一樹      桃山陵墓監区事務所所長・辻井忠則
 桃山陵墓監区事務所・竹村哲也        畝傍陵墓監区事務所所長・今西良孝
 畝傍陵墓監区事務所・伊藤繁和        月輪陵墓監区事務所所長・舟瀬利昭
 月輪陵墓監区事務所・上田良範        古市陵墓監区事務所所長・椋本武
 皇宮警察京都護衛署署長・弓取隆司      皇宮警察京都護衛署副署長・上島博樹
 宮内庁書陵部陵墓課長・和地國夫
 同じく、応神天皇陵式年祭には、以下の二十二名の公務員が参列者として列挙されている(敬称略)。
 大阪府議会議長(代理)・阪倉久晴      羽曳野市長・北川嗣雄
 羽曳野市議会議長・樽井佳代子        羽曳野市議会副議長・金銅宏親
 羽曳野市副市長・藤田忠           羽曳野市副市長・寺西正和
 羽曳野市教育委員長・金銅晃         宮内庁管理部長・鈴木武
 宮内庁京都事務所長・北啓太         宮内庁京都事務所次長・安田勉
 宮内庁正倉院事務所長・杉本一樹       宮内庁正倉院事務所保存課長・成瀬正和
 桃山陵墓監区事務所長・辻井忠則       桃山陵墓監区事務所職員代表・今出伸一
 畝傍陵墓監区事務所所長・今西良孝      畝傍陵墓監区事務所職員代表・池谷浩行
 月輪陵墓監区事務所長・舟瀬利昭       月輪陵墓監区事務所職員代表・西村英樹
 古市陵墓監区事務所長・椋本武        皇宮警察京都護衛署副署長・上島博樹
 寛仁親王付主査・小倉親志          寛仁親王付・瀧川智恵
 陵墓における祭祀は、皇室の私的な行為とされている。皇室の私的な行為である陵墓の祭祀に、公務員が参列することについて、憲法にもとづく政教分離の原則との関係をどのように扱っているのか。
(七) 陵墓参考地になっている古墳では、皇室によって祭祀は継続して行われているのか。行われているとすれば、いつ何が行われているのか。祭祀の日は何によって決めたのか。行われていないのであれば、その理由は何か。明らかにされたい。
(八) 陵墓参考地で祭祀が行われていないのであれば、宮内庁による古墳への立ち入りの「規制」を解き、学術的観点から調査を行うことは可能ではないか。
(九) 宮内庁によれば、ヤマトトトヒモモソヒメは孝霊天皇の娘であるといわれ、最古級の前方後円墳・箸墓古墳(奈良県・桜井市)に埋葬されているという。孝霊天皇が埋葬されているといわれる「片丘馬坂陵」が、奈良県北葛城郡王寺町に所在しているのは承知しているが、その陵は古墳か否か。いつ築造されたのか。改めて問う。あわせて「片丘馬坂陵」の立地、形状、大きさを示されたい。
(十) 答弁書によれば、「孝霊天皇は孝元天皇六年に葬られた」旨あるが、「孝元天皇六年」とは西暦何年か。宮内庁の見解を述べられたい。
(十一) 御陵墓伝説地から陵墓参考地への変遷は、どのようになされたのか。また、陵墓参考地の法令上の根拠を明示されたい。
(十二) 奈良県広陵町の前方後円墳・新木山古墳について、答弁書では「その墳丘の規模等により皇室関係者が埋葬されていると考えられたことから、明治19年に御陵墓伝説地となり、現在は陵墓参考地として管理」とある。墳丘の規模がどういう状況であれば皇室関係者が埋葬されていると考えていたのか、その基準を示されたい。
 また、宮内庁が新木山古墳に埋葬されていると考えている皇室関係者とは、具体的に誰なのか。
(十三) 答弁書では「新木山古墳で行う予定の事前調査については、地元教育委員会から同時調査の要望は受けていない」旨あるが、堺市の百舌鳥御廟山古墳で実施したような同時調査の要望が地元教育委員会から出されれば、これを受け同時調査を行うべきではないか。
(十四) 答弁書では「宮内庁においては、陵墓の副葬品は管理していない」とある。前回質問主意書の冒頭で、「陵墓(陵墓参考地含む、以下同じ)」と記述し、陵墓には陵墓参考地を含んでいることを条件づけて質問している。
 奈良県広陵町の前方後方墳・新山古墳の竪穴式石室からは大量の銅鏡や玉類が出土した。現在、宮内庁が陵墓参考地として管理し、出土品も宮内庁が所蔵・管理していると思うが、新山古墳の竪穴式石室から出土した銅鏡等の出土品は、副葬品ではないのか。新山古墳の出土品は宮内庁の管理から外れたのか。
(十五) 新山古墳について、答弁書では「その副葬品等により皇室関係者が埋葬されていると考えられたことから、明治19年に御陵墓伝説地となり、現在は陵墓参考地として管理」とある。新山古墳からは、直弧文鏡や三角縁神獣鏡をはじめ大量の銅鏡や玉類が出土しているが、副葬品の全容が判明していないともいわれる。宮内庁が所蔵・管理している新山古墳出土品の名称と点数を、それぞれ明らかにされたい。
(十六) 戦後、新山古墳と同様に三十数面の三角縁神獣鏡をはじめ大量の銅鏡が出土した椿井大塚山古墳(京都府木津川市)、同じく三十数面の三角縁神獣鏡等が出土した黒塚古墳(奈良県天理市)等、大量の銅鏡が出土した古墳でも陵墓や陵墓参考地にならず、宮内庁の管理下に置かれていない。戦前の帝国憲法下にあっては、大量の銅鏡や玉類が出土すれば、その古墳は御陵墓伝説地になるように定められていたのか。
 また、宮内庁が新山古墳に埋葬されていると考えている皇室関係者とは、具体的に誰なのか。
(十七) 本年2月二15日の衆議院予算委員会第一分科会での質疑で、宮内庁の本田清隆書陵部長から「陵墓を適切に管理・保存・保護して、次の世代に伝えていくことも非常に重要な使命である」旨の答弁があった。しかし、地下に埋没して現在は地表から見えない濠(堤含む、以下同じ)の範囲や、陵墓として管理されていない濠の範囲で史跡に指定されていない部分では乱開発が進んでいて、現状保存は不十分な状況ではないのか。墳丘と周濠とが一体となった形での古墳全体の保存・保護は十分に行われているのか、認識を問う。
(十八) 最近では堺市の田出井山古墳(宮内庁による反正天皇陵)の後円部側で、埋没している外濠の一部が調査後に民間開発によって破壊された。奈良県奈良市のウワナベ古墳(宮内庁による陵墓参考地)の外濠の一部は、調査後に国道二四号線の拡幅工事に伴い破壊された。また、ウワナベ古墳は内濠部分の地下に高速道路(京奈和自動車道)が建設される計画がある。ウワナベ古墳の西側のコナベ古墳(陵墓参考地)では、外濠部分の一部を破壊し航空自衛隊幹部候補生学校が建っている。これらはごく一例であるが、古墳の埋没周濠の破壊や内濠直下の掘削工事計画について、どういう認識を持っているか。
(十九) 地表から見えない埋没周濠の保存・保護を十分に行うためには、埋没周濠の存在を明らかにし、あわせてその範囲を確定することが必要と考えられるがどうか。
(二十) 次にあげる古墳それぞれについて(*は宮内庁の呼称)、①地表から周濠は目視できないものの、調査によって周濠の存在が確認されているもの、②地表から目視できる周濠の外側に、調査によって外濠が確認されているもの、③それ以外――のどれが該当するか、文化庁の認識を明らかにされたい。なお、③に該当するものがあれば、その内容を具体的に示されたい。
 田出井山古墳(*反正天皇陵)大阪府堺市
 大山古墳(*仁徳天皇陵)大阪府堺市
 ミサンザイ古墳(*履中天皇陵)大阪府堺市
 土師ニサンザイ古墳(*東百舌鳥陵墓参考地)大阪府堺市
 百舌鳥御廟山古墳(*百舌鳥陵墓参考地)大阪府堺市
 仲津山古墳(*仲津山陵)大阪府藤井寺市
 市野山古墳(*允恭天皇陵)大阪府藤井寺市
 岡ミサンザイ古墳(*仲哀天皇陵)大阪府藤井寺市
 ボケ山古墳(*仁賢天皇陵)大阪府藤井寺市
 前の山古墳(*白鳥陵)大阪府羽曳野市
 高屋城山古墳(*安閑陵古墳)大阪府羽曳野市
 誉田御廟山古墳(*応神天皇陵)大阪府羽曳野市
 白髪山古墳(*清寧天皇陵)大阪府羽曳野市
 河内大塚山古墳(*大塚陵墓参考地)大阪府羽曳野市・松原市
 五社神古墳(*神功皇后陵)奈良県奈良市
 佐紀陵山古墳(*日葉酢媛陵)奈良県奈良市
 佐紀高塚古墳(*称徳天皇陵)奈良県奈良市
 市庭古墳(*平城天皇陵)奈良県奈良市
 ウワナベ古墳(*宇和奈邊陵墓参考地)奈良県奈良市
 コナベ古墳(*小奈邊陵墓参考地)奈良県奈良市
 ヒシアゲ古墳(*磐之媛陵)奈良県奈良市
 行燈山古墳(*崇神天皇陵)奈良県天理市
 渋谷向山古墳(*景行天皇陵)奈良県天理市
 西殿塚古墳(*衾田陵)奈良県天理市
 箸墓古墳(*大市墓)奈良県桜井市
(二十一) 昨年6月二19日に提出した質問主意書(質問第611号)において、都市防災の観点から大山古墳(堺市)や誉田御廟山古墳(羽曳野市)で見られる巨大地震の痕跡に関する調査の必要性を求めた。答弁書において「国又は地方公共団体から陵墓立入調査の要請があれば、検討することもあり得る」旨の見解が示された。宮内庁に対し、実地調査の要請を行うべきではないか。内閣府、消防庁の見解を問う。
(二十二) 前回質問主意書において、静岡県沼津市で発見された辻畑古墳の現状保存について問うたが、答弁書では「その取扱いを判断するため、調査結果を踏まえた学術的な検討が行われる」とあった。取扱いの判断について、いつまでに行うと聞いているか。
 右質問する。

学術文化遺産の戦後処理問題解決に関する再質問主意書

平成22年6月14日提出
質問第586号

学術文化遺産の戦後処理問題解決に関する再質問主意書

提出者  吉井英勝

学術文化遺産の戦後処理問題解決に関する再質問主意書

 本年1月18日に提出した質問主意書(質問第1号)で、戦前の日本が植民地支配をしていた当時、諸外国・諸地域から正当な手続きを経ずに持ち帰った文化的遺産があり、その実態を明らかにすることを求めた。あわせて、公開や返還を進めることが学術文化分野の戦後処理問題の解決につながることを示し、返還についての政府の見解を質した。ところが政府は問題に正面から全く向き合うこともせず、「お答えすることは困難である」という答弁書を閣議決定した。
 よって、次のとおり質問する。

(一) 植民地統治下に日本国内に持ち込まれた文化的遺産の所在、点数などの実態調査は、政府として行う必要はないという認識か。
(二) 戦前の東京帝国大学、京都帝国大学を中心として、朝鮮半島で遺跡等の調査が行われている。この時に出土した資料は日本国内に持ち込まれていないのか。また、そのまま日本国内に残っているものはあるのか、ないのか。残っているものがあれば、その名称と所在を出土場所等とあわせて示されたい。「調査に時間を要する」「修正作業が膨大」等の場合は、主なものを示されたい。
(三) 東京大学、京都大学に残っている資料があるとすれば、なぜ所蔵し続けてよいのか。返還する必要はないのか。
(四) 朝鮮総督府は、日本が「韓国併合」した朝鮮を支配するために置いた機関である。朝鮮総督府および朝鮮総督府博物館は遺跡等の調査を行っていると思うが、その具体的な内容(調査代表者、調査対象、主な出土資料、資料所蔵の場所等)を明らかにされたい。
(五) 文部科学省が私に提出した資料によれば、東京国立博物館は、新羅の有力者の墓と考えられる梁山夫婦塚(慶尚南道梁山郡梁山面)から出土した冠をはじめ、百七十五件の資料を収蔵していることになっている。これらはどのような経緯で日本に持ち込まれたのか。詳細に答えられたい。
(六) 梁山夫婦塚出土品以外に、東京国立博物館が所蔵する資料のうち、朝鮮総督府統治時代に朝鮮半島で収集し日本に持ち込まれたものはないのか。明らかにされたい。「調査に時間を要する」「修正作業が膨大」等の場合は、主なものを示されたい。
(七) 梁山夫婦塚出土品を含め東京国立博物館が所蔵する資料のうち、朝鮮総督府が関わったこれらの資料は現在すべて公開され、外国人を含め来館者が誰でも自由に見ることができるようになっているのか。自由に見ることができないのであれば、その根拠となっている法令等を示されたい。
(八) 梁山夫婦塚出土品を含め東京国立博物館が所蔵する資料のうち、朝鮮総督府が関わった資料は返還する必要はないのか。必要がないとすれば、その理由を明らかにされたい。
(九) 東京大学は、十四世紀から十九世紀までの朝鮮王朝の公式記録で、歴代国王の業績を記録した「朝鮮王朝実録」四十七冊を2006年7月14日にソウル大学に引き渡したと聞く。これは「返却」ではなく、「引き渡し」なのか。
 東京大学にあった朝鮮王朝実録は、どのような経緯で持ち込まれたのか明らかにされたい。また、なぜ引き渡すことになったのか、その経緯と理由を明らかにされたい。
(十) 宮内庁書陵部には、李氏朝鮮時代の王室の行事や儀式を表した「朝鮮王室儀軌」が所蔵されている。朝鮮王室儀軌が日本に持ち込まれたのはいつで、なぜ持ち込まれたのか。理由と経緯を明らかにされたい。また、現在なぜ宮内庁が所蔵しているのか。
(十一) 朝鮮王室儀軌の日本への持ち込みに際し、朝鮮総督府はどのように関与したのか。詳細に示されたい。
(十二) 朝鮮王室儀軌を含め、朝鮮総督府が関わって持ち込まれ、宮内庁が所蔵しているものは何件、何冊あるのか。表題とともに示されたい。また、朝鮮王室儀軌等のこれら資料は、自由に閲覧ができるのか。自由な閲覧ができないとすれば、その理由は何か。
(十三) 1895年、日本の軍人らに殺害された朝鮮国王の妃・閔妃(諡号は明成皇后)の国葬を記録した儀軌の表題は何か。
(十四) 第三代の韓国統監に就任した寺内正毅は、朝鮮王室(資料によっては韓国皇室)をどのように処遇しようとし、その結果どうなったか。
(十五) 「李王職」とは当時の宮内省の管轄下に置かれていたのか。また、李王職とは具体的にどういう職務を行い、いつからいつまで存在したのか。年月日を西暦で示されたい。
(十六) 李王職の職務には朝鮮王室儀軌を含め、朝鮮王室の財産(文化的遺産を含む)の管理が入っていたのか。管理財産の主なものにはどういうものが入っていたのか。
(十七) 李王職職員はどこに居住し、どこで働いていたのか。住所・所在地を明らかにされたい。
 また、勅奏任官の出張については、李王職長官から宮内大臣に朝鮮総督府の総督を経由して行うこととされていたと思うが、どのような手続きがとられたのか。
(十八) 終戦時に、李王職はどのように扱われたのか。また、李王職が管理していた財産は、日本政府によってすべて韓国側へ返還されたのか。
(十九) 李王職に関する文書は、現在どこに保存・保管されているのか。
 右質問する。

陵墓に治定されている古墳の祭祀に関する質問主意書

平成22年8月4日提出
質問第38号

陵墓に治定されている古墳の祭祀に関する質問主意書

提出者  吉井英勝

陵墓に治定されている古墳の祭祀に関する質問主意書

 皇室の先祖や皇室関係者が葬られているという理由で、戦前に陵墓(陵墓参考地を含む。以下、この質問において陵墓と略)に治定し、現在も宮内庁が管理している古墳が多数ある。陵墓では皇室によって式年祭等の祭祀が行われているが、皇室の私的な祭祀に宮内庁職員やそれ以外の国家公務員と地方公務員も参列している。具体例として本年2月13日の大阪府堺市の田出井山古墳(宮内庁によれば反正天皇陵)と、本年4月1日の大阪府羽曳野市の誉田御廟山古墳(同じく応神天皇陵)での式年祭を取り上げた。これについて本年6月14日に提出した質問主意書で、憲法が定めた政教分離の原則との関係を問うたが、これに対する答弁書は「国家公務員の参列については儀礼的なもので憲法上の問題があるとは考えていない」、「地方公務員の参列については答弁する立場にない」旨のものであった。
 よって、次のとおり質問する。

(一) 宮内庁によれば、「陵墓における祭祀は、皇室の伝統に基づくものとして古くから行われているもの」とあるが(2009年7月17日閣議決定の答弁書)、「古くから」とは具体的にいつからか。また、今に至るまですべての古墳時代の陵墓で、祭祀は途切れることなく連綿と続けられてきたのか。証拠を示して明らかにされたい。
(二) 宮内庁は、箸墓古墳には孝霊天皇の娘であるヤマトトトヒモモソヒメが葬られていると定め、「大市墓」という名前の陵墓として管理している。宮内庁は、孝霊天皇の皇女であるヤマトトトヒモモソヒメの没年や箸墓古墳の築造年代については、日本書紀に記述がないという。ヤマトトトヒモモソヒメの父である孝霊天皇が葬られたのは日本書紀による孝元天皇六年で、それは紀元前209年に相当するという見解を示している(2010年6月二12日閣議決定の答弁書)。一方で文化庁は、箸墓古墳の築造時期について三世紀の中頃から後半と考えられるという見解を述べている(2009年2月20日、衆議院予算委員会第四分科会)。
 これは、孝霊天皇は紀元前209年に死没し、その娘であるヤマトトトヒモモソヒメは箸墓古墳が築かれる三世紀半ばから後半まで、四百年から五百年近く生存していたことを意味しているのか。
(三) 宮内庁は「陵墓や陵墓参考地については、現に皇室において祭祀が継続して行われ、皇室と国民の追慕尊崇の対象となっているので、静安と尊厳の保持が最も重要なことである」(2009年7月6日閣議決定の答弁書)と示しているが、「祭祀が継続して行われ追慕尊崇の対象なので、静安と尊厳の保持が最も重要である」と考える理由を分かりやすく答えられたい。
(四) 文化庁によれば、「古墳の被葬者が発掘調査で判明することは非常にまれ」という見解である(2009年6月二14日、衆議院内閣委員会)。宮内庁が「古代高塚式の陵墓又は陵墓参考地」として管理している百二十一の古墳の各々について、そこに皇室の先祖が葬られていることの証拠を明示されたい。
(五) 宮内庁が「古代高塚式の陵墓又は陵墓参考地」として管理している百二十一の古墳の各々について、陵墓の名称・考古学上の名称・被葬者名(ルビ付)・所在地・治定年月日(西暦による)を分かりやすく示されたい。
(六) 陵墓の環境の静安と被葬者の尊厳の保持と、陵墓の墳丘最下段テラスよりも上に登る学術調査とは、学術調査がいかなる内容のものでも両立することができないという考えか。
(七) 宮内庁職員であれば、管理のために陵墓の墳丘最下段テラスよりも上に登っても静安と尊厳を保持することができ、宮内庁職員でなければ、墳丘最下段テラスよりも上に登って墳丘表面の観察をするだけでも静安と尊厳の保持ができないという明確な理由を、それぞれ示されたい。
(八) 宮内庁職員が陵墓の墳丘最下段テラスよりも上に登る場合は、どういう手続きを経ているのか。また、登る場合には何らかの祭祀を行っているのか。
(九) 宮内庁が提出した資料によれば、堺市の田出井山古墳(宮内庁によれば反正天皇陵)と羽曳野市の誉田御廟山古墳(同じく応神天皇陵)での式年祭の次第について次のようにある。
 午前九時三十分、陵所を装飾する。
 同 十時、勅使が参進して本位に就く。
 次に神饌を供する。
  この間、楽を奏する。
 次に掌典が祝詞を奏する。
 次に幣物を供する。
 次に勅使が拝礼の上、御祭文を奏する。
 次に幣物及び神饌を撤する。
 この間、楽を奏する。
 次に各退下する。
     〇
 皇族、公務員、有位者及び有勲者並びに縁故者、門跡寺院の住職及び尼門跡寺院の住職が参列する場合は、勅使参進の前に着床し、御祭文奏上の後に拝礼する。
 宮内庁によれば、陵墓における祭祀が神道の形式によるものか否かを答えることは困難である(2009年7月17日閣議決定の答弁書)とのことだが、陵墓の拝所には鳥居が置かれている。また、陵墓の式年祭では次第のように、神饌を供し、掌典が祝詞を奏し、幣物を供する。鳥居の設置やこれらの行為と神道とは、どういう関係があるのか。全く関係がないのか。
(十) 「陵所を装飾する」、「神饌を供する」、「楽を奏する」、「幣物を供する」、「幣物及び神饌を撤する」主体はそれぞれ誰か。
(十一) 勅使、掌典、「陵所を装飾する」者、「神饌を供する」者、「楽を奏する」者、「幣物を供する」者、「幣物及び神饌を撤する」者は、それぞれ公務員か否か。公務員でなければ、どういう立場の者か。
(十二) 鳥居を含めた陵墓の拝所は国有財産か。その管理は誰が行っているのか。
(十三) 本年6月二12日閣議決定の答弁書では「国家公務員による参列は、陵墓において皇室が祖先を弔う目的で行う行事に際し、平素から陵墓の管理等に携わる者が儀礼的に行ったものであり、憲法上の問題があるとは考えていない」とあるが、「管理等」の「等」とは何を示しているのか。その内容を具体的に明らかにされたい。
(十四) 儀礼的であれば、皇室の宗教的行為である祭祀に参列しても憲法上の問題がないのか。儀礼的なものと、そうでないものとの違いはどこにあるのか。明確に答えられたい。
(十五) 田出井山古墳と誉田御廟山古墳での国家公務員の式年祭への参列が、儀礼的であったという根拠を明示されたい。
(十六) 本年6月二12日閣議決定の答弁書では「地方公務員による参列については、お答えする立場にない」とあるが、なぜ答える立場にないのか。答える立場にある者は誰か。
(十七) 宮内庁が提出した資料によれば、田出井山古墳での「反正天皇の千六百年式年祭」と誉田御廟山古墳での「応神天皇の千七百年式年祭」について、以下に掲げる公務員に対し、宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所長名で「反正天皇山陵千六百年式年祭の儀」と「応神天皇山陵千七百年式年祭の儀」の執行と参列の案内を送っている。これらの公務員を送り先として選んだ基準や根拠は何で、誰が選んだのか。
〔反正天皇の千六百年式年祭〕
 大阪地方裁判所所長  大阪家庭裁判所所長  大阪地方検察庁検事正  大阪地方検察庁事務局長大阪地方検察庁堺支部長  大阪法務局堺支局長  国土交通省近畿地方整備局局長  国土交通省近畿整備局河川部長  国土交通省近畿地方整備局大和川河川事務所長  大阪府知事  大阪府府議会議長  大阪府府議会副議長  大阪府教育委員会委員長  大阪府教育長  大阪府警本部本部長  大阪府堺警察署署長  大阪府鳳土木事務所所長  大阪府立三国ヶ丘高等学校校長  堺市長  堺市市議会議長  堺市市議会副議長  堺市副市長  堺市教育委員会委員長  堺市教育長  堺市博物館長  堺市市長公室室長  堺市市長公室理事  堺市建築局長  堺市消防局長  堺市堺消防署署長  堺区長  堺市立三国ヶ丘小学校校長  堺市立三国ヶ丘中学校校長 宮内庁京都事務所所長  宮内庁京都事務所次長  宮内庁京都事務所庶務課長  宮内庁京都事務所管理課長  宮内庁京都事務所工務課長  宮内庁京都事務所林園課長  宮内庁正倉院事務所所長  宮内庁正倉院事務所庶務課長  宮内庁正倉院事務所保存課長  桃山陵墓監区事務所所長 桃山陵墓監区事務所職員代表  畝傍陵墓監区事務所所長  畝傍陵墓監区事務所職員代表  月輪陵墓監区事務所所長  月輪陵墓監区事務所職員代表  皇宮警察京都護衛署署長  皇宮警察京都護衛署副署長  宮内庁次長  書陵部代表
〔応神天皇の千七百年式年祭〕
 大阪地方裁判所所長  大阪家庭裁判所所長  大阪地方検察庁検事正  大阪地方検察庁事務局長大阪地方検察庁堺支部長  羽曳野区検察庁副検事  大阪法務局富田林支局長  国土交通省近畿整備局長  国土交通省近畿整備局河川部長  国土交通省近畿整備局大和川河川事務所長  大阪府知事  大阪府府議会議長  大阪府府議会副議長  大阪府教育委員長  大阪府教育長  大阪府警察本部長  羽曳野警察署長  大阪府富田林土木事務所長  羽曳野市長  羽曳野市議会議長  羽曳野市議会副議長  羽曳野市副市長  羽曳野市教育委員長  羽曳野市教育長  羽曳野市市長公室長  柏原羽曳野藤井寺消防組合消防局長  羽曳野市立古市小学校長  羽曳野市立誉田中学校長  宮内庁京都事務所所長  宮内庁京都事務所次長  宮内庁京都事務所庶務課長宮内庁京都事務所管理課長  宮内庁京都事務所工務課長  宮内庁京都事務所林園課長  宮内庁正倉院事務所所長  宮内庁正倉院事務所庶務課長  宮内庁正倉院事務所保存課長  桃山陵墓監区事務所所長  桃山陵墓監区事務所職員代表  畝傍陵墓監区事務所所長  畝傍陵墓監区事務所職員代表  月輪陵墓監区事務所所長  月輪陵墓監区事務所職員代表  皇宮警察京都護衛署署長皇宮警察京都護衛署副署長  宮内庁次長  書陵部代表
(十八) これら祭祀(式年祭)の執行と参列の案内を送った相手は、平素から陵墓の管理等に具体的にどのように携わっているのか。各々について具体的に答えられたい。
(十九) 皇室による陵墓の祭祀について、皇室以外の公務員に対し、なぜ祭祀の執行と参列の案内を送る必要があるのか。また、案内送付の決裁は誰が行ったのか。
 右質問する。

伊勢の神宮に奉祀されている御鏡の取扱いに関する質問主意書

昭和35年10月18日提出
質問第2号

 伊勢の神宮に奉祀されている御鏡の取扱いに関する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和35年10月18日

提出者  濱地文平

          衆議院議長 淸瀨一郞 殿

伊勢の神宮に奉祀されている御鏡の取扱いに関する質問主意書

 近年伊勢の神宮の制度について、いろいろの議論がある。この問題は、国民精神上重要な問題であるが、憲法との関係からして、あるいは一般宗教との関係からして、複雑な問題もあり、その結論を得るのには慎重な研究を要すると思う。しかしながら、世上この問題に関連して、伊勢の神宮に奉祀されてある御鏡(ヤタノカガミ)が、天皇の御鏡であるかそれとも宗教法人のものであるかというような議論もあるが、このような問題を、いつまでも不確実あいまいのままに放任していることはよくない。これは国民良識上明らかなことで、伊勢の御鏡は、皇祖から皇位継承者たる皇孫に授けられたものであつて、皇室経済法第7条にいわゆる「皇位とともに伝わるべき由緒ある物は、皇位とともに、皇嗣が、これを受ける。」とあるように、日本国の天皇の御位と不可分の関係にあるものと信ぜられる。政府は、この点について、いかに解釈しているか。
 第二、この御鏡について、それが天皇の御鏡であるとの解釈が正しいとすれば、神宮はこれを自ら所有しているのでなくお預りして奉祀しているものと解せねばならない。だがこの「お預りする」ということは、法律的にはいかなる関係と解すべきであるか。これを「寄託」と解する学説があると聞くが、政府ではこれをいかに解釈しているか。
 第三、皇室と神宮との関係を法律的に寄託と解するにせよ、その他の法律的概念によつて解釈するにせよ、要するに神宮としては天皇の御鏡をお預りしていることには間違いないと思う。
 この天皇の御鏡を保全するには最も慎重厳格なるを要することはいうまでもない。これは歴史的伝統によつて、神宮当局がお預りしているものと思われるが、そのお預りしている神宮当局の関係者に質してみても、御鏡の法的性格については、確実な解釈が定まつていないようである。これでは、今のような時代には、心もとないと思われるので、宮内当局としては、御鏡をお預りしている神宮当局者に対して、心得なり条件なりを明示しておくべきだと思うが、政府はその点についていかに考えているか承りたい。
 右質問する。