朝儀復活に関する質問主意書

昭和46年5月7日提出
質問第8号

 朝儀復活に関する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和46年5月7日

提出者  藤波孝生

          衆議院議長 船田 中 殿

朝儀復活に関する質問主意書

 天皇陛下今秋の御渡欧に際し、剣璽御動座の儀に関し、4月二17日付で、有志青年から宮内当局を経て御願書が出されている。これは、皇室の尊貴なる伝統的朝儀の復活を願う忠良の民の声と信ずるが、次の諸点につき政府の見解を伺いたい。

一 当局は、この文書をいかに取り扱うつもりであるか。
二 剣璽御動座に関する朝儀は、昭和21年以来御中絶になつたと聞くが、それはいかなる理由に基づくものであつたか。
三 天皇陛下は、御渡欧前に皇祖の神宮へ行幸、御親謁なされるものと拝察されるが、当局は、この時からこの朝儀復活をなす意思はないか。
四 一部の民間の説に、現在の宮内庁は、職員不足のため、この朝儀復活ができないと称する者がある。しかし現在の全職員が剣璽捧持以上の緊要な御つとめをしているとは到底信じ難い。もしも、今日復活し難い理由があるとすれば、それは何か。
五 万一、今年中に復活し難い事情があるとしても、将来の復活を考えているか、どうか。この万世一系の伝統的朝儀の復活を希望しないとすれば、それはいかなる理由に基づくかを明示されたい。
 右質問する。

天皇及び天皇制に関する質問主意書

昭和61年4月28日提出
質問第20号

 天皇及び天皇制に関する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和61年4月28日

提出者  三浦 久

          衆議院議長 坂田道太 殿

天皇及び天皇制に関する質問主意書

 中曽根内閣は、今年が「天皇在位60年」に当たるとして、4月二19日に政府主催の「記念式典」を行うのを始め、さまざまな形での天皇と天皇制美化のキャンペーンを繰り広げている。
 中曽根総理は、去る1月30日の衆議院本会議における日本共産党・不破哲三議員の代表質問に対し、「天皇陛下の御在位60年ということ、あわせて、昨年7月13日には、歴代天皇中最長寿をお迎えなさつたということは、まことに慶賀にたえない次第であります。この天皇陛下の御在位60年、御長寿をお祝いするというものは、これは自然な感情でありまして、天皇は元来、平和主義者であられたということは、皆さんも御存じのとおりでございます。別に政治的意図などは毛頭ないので、この自然の喜びの発露をそのまま行おうというので、疑う方が不自然ではないかと思うのであります」と答弁した。
 さらに中曽根総理は、「天皇在位60年」を「祝賀」する理由として、天皇は元来「平和主義者」であり、「戦争を回避するために全面的にも努力をされた」(衆議院予算委員会、3月8日)こと、「(天皇は)立憲君主制のもとにありまして、総理大臣の輔弼することについては、大体君臨すれども統治せずという原則でいかれた」(同)こと、「二千年近いこの伝統と文化を持つておる日本、及び天皇を中心に生きてきた日本のこの歴史」(同)などを挙げている。
 これらはすべて、歴史の事実に反して、天皇の、侵略戦争と暗黒政治に対する明白な責任を免罪したうえ、もともと憲法の「主権在民」の原則とは根本的に矛盾する天皇と天皇制を不当に美化するものである。日本共産党は、この見地から既に、「天皇在位60年」は絶対に「祝賀」の対象とすべきものでないことを指摘し、その中止を政府に申し入れてきたところである。以下、その立場から、天皇と天皇制の問題について質問する。

一 天皇の戦争責任について
  1931年以来の15年戦争に対する天皇の責任は、歴史の事実に照らして明瞭である。数例を挙げれば、以下のとおりである。
  天皇は、1931年に始まる日本の中国侵略戦争の期間中、侵略軍を鼓舞激励した。1931年、日本軍が中国の東北地方に侵略を開始したいわゆる「満州事変」直後に天皇は、「現下ノ情勢ハ朕カ軍隊ノ精強ニ待ツコト愈々切ナルモノアリ汝将卒益々奮励以テ朕カ信倚ニ対ヘムコトヲ期セヨ」とする「勅語」(1931年11月14日)を発している。中国に対する全面侵略を開始した1937年には、「中華民国深ク帝国ノ真意ヲ解セス濫ニ事ヲ構へ遂ニ今次ノ事変ヲ見ルニ至ル朕之ヲ憾トス今ヤ朕カ軍人ハ百艱ヲ排シテ其ノ忠勇ヲ致シツツアリ是レ一ニ中華民国ノ反省ヲ促シ速ニ東亜ノ平和ヲ確立セムトスルニ外ナラス」(9月4日の勅語)と述べ、日本が起こした侵略戦争の責任を中国に転嫁しながら、中国を恫喝している。
  中国侵略で予定どおりの戦果が挙がらず、戦争が長期化したとき、天皇は戦争勃発時の杉山陸軍大臣に対し、「予定通リ出来ルト思フカ、オ前ノ大臣ノ時ニ将介石ハ直グ参ルト云フタガ未ダヤレヌデハナイカ」と述べ、「絶対ニ勝テルカ」(「杉山メモ」(上))と質問している。
  中国に対する侵略戦争は、1941年、アメリカ、イギリスに対する戦争へと発展したが、この太平洋戦争を決断し、戦争を宣言したのは、天皇そのものであり他のいかなる人物でも国家機関でもなかつた。
  天皇の動向をよく知り得る立場にいた当時の内閣書記官長・富田健治氏はその著書「敗戦日本の内側 ― 近衛公の思い出」で、天皇が太平洋戦争開始論に踏み込んでいく経過について、次のように述べている。
  「自分(近衛)が総理大臣として陛下に今日、開戦に不利なることを申し上げると、それに賛成されていたのに、明日御前に出ると「昨日あんなにおまえは言っていたが、それ程心配することもないよ」と仰せられて、少し戦争の方へ寄って行かれる。又次回にはもつと戦争論の方に寄っておられる。つまり陸海の統帥部の人達が意見がはいって、軍のことは総理大臣には解らない。自分の方が詳しいという御心持のように思われた。従って、統帥について何ら権限のない総理大臣として、唯一の頼みの綱の陛下がこれではとても頑張りようがない」
  太平洋戦争遂行の基本政策である「国策」は、天皇の臨席する御前会議で決定された。1941年7月2日の会議で、「南方進出の歩を進め又情勢の推移に応じ北方問題を解決す」るという「帝国国策要綱」を決定している。9月6日の会議は、期限つき開戦を決定した「帝国国策遂行要綱」を決定し、11月5日の会議は、対米戦を決意した「要綱」を決定している。そして12月1日の会議は、対米英オランダ開戦を正式に国家意志として決定した。
  これらすべての決定の最終決断をくだしたのは天皇である。開戦時の国務大臣、鈴木貞一は、次のように述べている。
  「戦争か、戦争をやめるかという時期の決断というものは、それは流れに逆ってピシャッとやることは、これはもう余程の力でなくてはならない、その力はね、日本には陛下以外にないんです」(勝田龍夫「重臣たちの昭和史」(下))
  戦争を長引かせたのも天皇の責任である。天皇は、終戦に当たつて、和平交渉を急ぐべきであるとの周囲の意見に対して、「モウ一度戦果ヲ挙ゲテカラデナイト中々話ハ難シイト思フ」(「木戸幸一関係文書」)として、戦争継続の立場を表明した。また、1945年8月14日の「御前会議」では、ポツダム宣言受諾の理由について、「国体ニ就テハ敵モ認メテ居ルト思フ。毛頭不安ナシ。敵ノ保障占領ニ関シテハ一抹の不安ガナイデモナイガ、戦争を継続スレバ国体モ国家ノ将来モナクナル。即チ、モトモ子モナクナル」(「敗戦の記録」)と、終戦の決定(総理等のいういわゆる「御聖断」)が、絶対主義的天皇制を維持するためであることを明言している。
  これらの事実は、天皇が、「平和主義者」などではなく、その地位からいつても実際に果たした役割からいつても、15年に及ぶ侵略戦争の最大、最高の責任者であつたことを疑問の余地なく立証している。
  中曽根総理が天皇を「平和主義者」だとする根拠はなにか。
二 「君臨すれども統治せず」論について
  戦前の天皇と天皇制を「君臨すれども統治せず」などと特徴付ける中曽根総理の見解は、そもそもこれまで質問してきた天皇の戦争責任の問題に照らしても明確に事実に反するものであるとともに、天皇の戦争責任を免罪するものである。
  天皇の戦争責任問題以外にも、戦前の天皇に与えられていた絶対的権力は、総理の見解に根拠がないことを示している。
  戦前の天皇制はいかなる意味でも「立憲君主制」ではなく、国家主権はもちろん、国務大臣の任免権、軍の統帥権、宣戦・講和の布告、条約締結権、立法権、議会の召集・衆議院解散権、戒厳などの権限を全面的に掌握した文字どおりの絶対主義的天皇制であつた。
  天皇は、この権力を用いて、天皇が必要と考えた場合には、自らの政治意思を貫徹してきた。戦争以外の若干の諸事実を挙げると次のとおりである。
  二・二六事件当時(1936年)の内閣総理大臣であつた岡田啓介は、天皇の執務態度について、「陛下は内閣から奏上する場合、御同意の節は「そう」とはっきり御返事なさるが、御同意でないときは黙っていらっしゃる。差しあげた書類に対しては、御同意でない折はしばらくお手元にお留めおきになることもある」(回顧録)として、このような天皇の意思表示の仕方に従つて行動するのが「輔弼」者としての大臣の条件であつたと述べている。さらに、天皇の側近中の側近であつた木戸幸一は、戦後(1964年)、法務省の質問に対して、「立前として天皇は国務大臣の輔弼によって国政をなさるのではあるが、時には、強い御意見を述べられることもある。(中略)天皇が御納得されない場合は、概ねの場合問題はそのままサスペンドされて決定が延ばされるか内閣の方が考え直すのを例とした」(「木戸幸1日記」)と証言している。
  また、次の事実は極めて重要である。
  戦前の治安維持法は、国民から一切の自由を奪い、天皇制支配を支える主柱となつたものであり、1945年のポツダム宣言の受諾に伴う一連の措置によつて当然、廃止されたものである。この治安維持法案は、過激社会運動取締法という名で1922年に議会に提出されたが、反対運動にあつて審議未了・廃案となつた。ところが1923年9月、現天皇裕仁が大正天皇の摂政として発した緊急勅令「治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件」(治安維持令)を公布した。これが12月に臨時議会で追認され、1925年に治安維持法が制定された。
  また、同法は1928年、「国体変革」すなわち「君主制の廃止」「絶対主義的天皇制の変革」を掲げる者に死刑を含む重罰を科すべく改悪されたが、これもまた、天皇の発する緊急勅令によつて行われたのであつた。このような野蛮な弾圧法を自らの意思で制定し得る権能を持ち、また実際に頻繁にそれを行使した者を、「君臨すれども統治せず」などといえないことは明白である。
  中曽根総理は、これらの諸事実を「君臨」もし、「統治」もした事実として認めるかどうか、明確に答弁されたい。
三 「天皇は国民の中心」論について
  「天皇は二千年間、国の中心」であつたなどとする見解は、歴史学上、明確に否定された神話である。明治以前において、天皇が実際に「政治の中心」にあつた時期がごく短期間であることは、歴史学上の常識である。明治維新前後には、天皇の存在すら多くの国民に知られていなかつたのである。
  1868年の九州鎮撫総督の諭書が「此日本という御国には、天照皇大神宮様から御つぎ遊ばされたところの天子様というものがござって、是が昔からちっとも変ったことのない御主人様ぢや……」と述べているように、天皇の存在それ自体を民衆に教えこませなければならなかつた。
  また、天皇制政府が多くの庶民の不信と不満を買つていたことも、例えば次のような、政府にあてられた「報告書」から知られるところである。
  「近来の事情を洞察してみると、天下の人望は以前に異なり、道路の浮言ではあるが、王政は幕政に及ばず、薩長は徳川氏に劣るなどといわれているやに承り、誠に憤懣やるかたなし」
  「今の政治のありさまではとても治世はおぼつかなく、窮民どもの暮らしはたちゆかない。旧幕政のほうがよかったというものが今や七分、残りの三分がわずかに御一新の政道をよいといっているに過ぎない」
  さらに、明治維新後、神話に基づく「紀元節」を設定し「天皇は天子」「万世一系」なる宣伝が行われたが、これは絶対主義的天皇制の確立と徹底、強化のために明治政府の必要によつて急きよ作り出された特殊なイデオロギーに過ぎず、当時既にその反動的・非科学的本質を見抜く次のような見解があることも史料で明らかである。
  「(天皇が天子なら)然ラバ日本挙国ノ人皆ナ天子ノ子ナルヤ、阿爺モ又天子ノ子ニシテ、阿翁ノ父ニハ非ルヤ、笑フ可キ哉」(「東京開化繁昌誌」)
  中曽根総理は、いかなる事実と科学的根拠をもつて、「天皇は二千年間、国の中心」と国会で答弁したのか、所見を求める。
四 天皇批判に対する総理の誹謗について
  中曽根総理は、天皇と「天皇在位60年式典」をめぐる問題で、3月8日、衆議院予算委員会での日本共産党の正森成二議員の質疑に対して、天皇に「あえて異を立てるというものは、国家を転覆するという気持ちを持つておる人でないと出てこないのではないかとすら私は疑う」と答えている。
  天皇と天皇制を批判するものにこのような誹謗を加えること自体、戦前の治安維持法同様の発想にほかならないと思うが、どうか。また、中曽根総理の論理では、今日の日本も戦前同様に、「主権は天皇にあり」ということになるが、どうか。答弁を求める。
  さらに、マスコミ各社の世論調査によつても、天皇制を「廃止するほうがよい」との回答は相当数にのぼるが、このような回答者は「国家を転覆するという気持ちを持つておる人」と総理は考えるのか。
  また、総理は、「天皇在位60年」を祝わないのは「不自然」と述べているが、4月7日付「朝日」の世論調査によれば、「天皇在位60年式典」に賛成の回答は、四一%に過ぎず、「天皇在位60年記念式典は必要ない」とする回答が二七%、「戦時中のことを思うと好ましくない」が六%、「自分には関係ない」が二一%となつている。総理は、半数以上の日本の国民は「不自然」な人間であると考えるのか。また、総理の論理に従えば、「天皇在位60年」を積極的に「祝賀」しないものは、天皇に「異を立てる」ことになり、結局のところ「国家転覆」の気持ちを持つていることにならざるを得なくなるが、どうか。
五 いわゆる「皇室外交」について
  天皇の「名代」としての皇太子の訪韓など、いわゆる「皇室外交」が計画されている。またこれまでも、天皇・皇室自身の意思をも盛り込んだ「皇室外交」が行われ、その際天皇はしばしば政治的な言動を行つてきた。これらは、憲法の天皇に関する条項に照らして容認できないものである。
  我が党は、既に政府及び宮内庁に対し皇太子訪韓中止を申し入れた。宮内庁は4月二16日、皇太子訪韓を含め天皇、皇室の外国訪問は、政府が決定することだと回答してきた。そこで政府に対し、いわゆる「皇室外交」なるものについて見解をただす。
  戦前の天皇は、「国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬ス」(第4条)、「戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」(第13条)とされ、国家元首として対外的代表であるとともに、外交権の主体であつた。
  しかし現憲法は、天皇制を「象徴」の名で温存するという「主権在民」原則と矛盾した側面を残しているが、天皇の地位を「主権の存する日本国民の総意に基く」(第1条)ものにとどめるとともに、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」(第4条第一項)とし、天皇の対外代表権と外交大権を明確に否定した。また、天皇の国事行為としての対外関係に関する行為も、「全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること」(第7条第5号)、「批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること」(同条第8号)、「外国の大使及び公使を接受すること」(同条第9号)という形式的な行為に厳格に限定している。しかも、天皇がこれらの行為を実際に行う際には「内閣の助言と承認」を受けなければならない(第3条)。このように現憲法は、天皇が公的で政治的な意味をもつ外国訪問を含む対外関係に関する行為を行うことを明確に禁止している。しかるに、憲法第1条の「象徴の地位からにじみ出る公的行為」などとして、天皇による「皇室外交」が展開されてきた。
  しかも天皇自身、このような「皇室外交」の際に頻繁に政治的発言を行つてきた。1975年の訪米に際して、天皇は、さきの侵略戦争について、「開戦時には閣議決定があり、私はその決定を覆すことはできなかつた」などと発言した。これはたんに政治的な発言だというにとどまらず、歴史的事実に反して自らの戦争責任を回避するものである。また天皇は、この訪米直後の記者会見で広島・長崎への原爆投下は「やむを得ないこと」とさえ述べている。これ自体アメリカの野蛮な原爆投下を是認した非人道的な発言であるとともに、許されない政治的発言であることは明白である。
  さらに、全斗煥大統領の訪日の際には、「大統領閣下の卓越したご指導の下に貴国が政治、経済、文化、社会等の各分野において目覚しい発展を遂げていることは、国際社会から高い評価を受けております」などと、全斗煥政権を礼賛する政治的発言を行つている。
  全斗煥政権は、軍事クーデターによつて生まれた軍事ファッショ政権であり、韓国国民からもその正統性を疑われている政権である。また我が国においても、南北に分断された朝鮮半島の一方の韓国政府を唯一合法政府とする日本政府の対朝鮮政策をめぐつても強い批判があり、議論も分かれている。こうした状況のもとでの天皇のこの発言は、「国政関与」を禁じた憲法にまつこうから違反する二重、三重の政治問題への介入である。
  以下、こうしたいわゆる「皇室外交」について質問する。
 1 天皇自身のこのように明白な政治的発言が、天皇は「国政に関する権能を有しない」とした憲法第4条に違反することは明らかではないか。
 2 天皇の「名代」による皇太子の訪韓が計画されている。皇太子による「皇室外交」は、「日米修好百年」を記念しての訪米(1960年)以降二十回余に及ぶが、今回の訪韓は、とりわけ、全斗煥政権を礼賛した天皇の「名代」として行われる。韓国内でもこの皇太子訪問に反対する大きな世論がおこつている。計画されている皇太子の訪韓は、我が国の対朝鮮政策と韓国内の政治問題への介入であり、極めて重大である。
   中曽根内閣は、こうした我が国及び韓国内での皇太子訪韓に対する強い反対論があつても、これを強行するのか。
 右質問する。

皇位繼承に關する儀禮等についての質問主意書

昭和62年12月28日提出
質問第1号

 皇位繼承に關する儀禮等についての質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和62年12月28日

提出者  滝沢幸助

          衆議院議長 原 健三郎 殿

皇位繼承に關する儀禮等についての質問主意書

 我國において皇位は連綿として不斷の道統であり神武建國以來ここに百二十四代を重ね給ひ國民齊く敬尊止まざるところであるが、昭和22年新憲法の施行により、其の法的制度的制約を餘儀なからしめられ、ことに宮中祭祀のこと、皇位繼承の儀禮典式の細目に至つては甚だ不充分なるまま今日に及んでゐる。このことは兼々識者賢人の憂愁措かざるところであつたが、先般、聖上御不例に渡らせ給ふに及び漸く世間に論談されるところとなつた。
 殊に文藝春秋12月號に掲載された記事は廣く國民をして皇位繼承の儀式禮法等の不備に重大な關心を寄せしむるに足るものであつた。附いてはこの時速かにこれら法的制度的不備を改善し、以つて皇位の萬歳を祈ることは國家國民の急務である。
 よつて之に關し質問する。

一 皇位繼承前後の儀禮にかかはる諸準備が今なほ整備されてゐないと言はれることは事實か。大喪令・登極令は定められてゐるか。
二1 不日皇位繼承のことが生じた場合、大儀(大喪・大禮)の諸儀式は何を法的制度的根據として行はれるか。具體的に示されたい。
 2 前例に倣うとする場合は、いつの例によるか具體的に示されたい。
三 大儀等の責任は何人にあるか。主催者・責任官廳等明確に示されたい。
四 大儀等の經費は國の資擔であるか。その豫算項目を具體的に示されたい。
五 大喪使・大禮使その他の組織は置かれるか。
六 神器繼承の儀は國の責任に於て行はれる公事と解してよいか。
七 大嘗祭の儀は、古例通り公事として行はれるか特に示されたい。
八 即位の禮・大嘗祭等は從來京都に於て行はれたが、今後は如何。明答されたい。
九 大喪の儀は傳統的に夜間に行はれるべきものであつたが今後は如何。その時刻を示されたい。
十 右に於て葬列は缺くべからざるものであるが之は前例通りに行はれるか。其の規模等内容を明らかにされたい。
十一 御靈柩は如何なされるか。轜車及び葱花輦を使用されるのか。その樣式を明示されたい。
十二 儀仗隊・禮弔砲はなされるか。その編成・樣式を示されたい。
十三 践祚の儀を抜きにしては皇位の繼承はあり得ないと解されるが、之は行はれるか。
十四 右皇位繼承前後にかかはる一連の禮式における裝束は如何にされるか。又その席次は如何にされるか。それらを決定する機關・手續等を示されたい。
十五 警護・警備の態勢について示されたい。
十六 國民が齊く之を弔祝するための措置は如何。例へば、服喪・祝日等についての用意あれば之を示されたい。
 右質問する。

皇位の尊嚴と憲法に關する質問主意書

昭和63年10月19日提出
質問第22号

 皇位の尊嚴と憲法に關する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和63年10月19日

提出者  滝沢幸助

          衆議院議長 原 健三郎 殿

皇位の尊嚴と憲法に關する質問主意書

 謹んで
天皇陛下の御平癒をお祈り申上げます。                          さて、小員は昭和62年12月28日「皇位繼承に關する儀禮等についての質問主意書」を提出して政府の見解を質したが、その答辯書は「憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものになると考えている」としたに止まり一切、具體的な事項には觸れずして「研究中」とされてゐた。
 越えて63年2月二19日、豫算委員會に於ける小員の質疑に對する答辯も全く同様であつた。
 このことは「天皇の地位は主權の存する國民の總意に基く」とした憲法の文章にまつまでもなく、國民ひとしく、之を知らむと願ひ、且つ又、當然知らされて可なるべきものであつたと信ずる。
 ところが今般、雜誌「文藝春秋」11月號(一二六頁~一三三頁)に政府の内部「研究」が急速に具體化したことが報ぜられ、國民の間に複雜な思ひが渦卷いてゐる。
 之は國政上極めて重大なことであるので、以下これに關し質問する。

一 右雜誌に報道された内部資料なるものは實存するか。
二 右の記述はおほむね事實とその内容において一致するか。違ふ點あらば明示されたい。
三 なかんづく次の七項目について眞意を問ふ。
 1 大喪に関しては皇室典範にもとづき国家予算、ただし宮内庁が担当する。
 2 国葬は、宗教色を除き、国が担当。
 3 葬場殿は大正天皇時に倣う規模とする。場所は新宿御苑。
 4 御陵は多摩陵墓地。
 5 殯宮から新宿御苑は車列を用い、葬列はしない。国が担当する。
 6 國葬は四長官弔辞が中心。葱華輦の使用については検討中。
 7 剣璽渡御の儀は、国事行為・根拠 皇室経済法。
四 元號の制定は新帝の裁許によるものと解してよいか。
五 古來、葬列を行はない大葬はないとされてゐる。見解如何。
六 皇位の繼承は「践祚の儀」「即位の儀」「大嘗祭」の三式あつて完成するといふ我國古來の傳統に鑑み、これら三式すべて公式の儀式として行はれると解してよいか。
七 大葬における轜車並に葱華輦は從前通り使用されるか。
八 即位の禮は京都に於て行はれると解してよいか。
九 「天皇に私なし」といふ。ついては皇位繼承の如く超重大な禮式にあつては、天皇個人又は天皇家といふが如き見解は當を得ないと思ふが如何。
十 アメリカ合衆國大統領の就任式、英國の戴冠式などを參考するに、宗教と憲法及び法律との關係は、文明諸國にあつては、その源泉をその國の傳統習慣に求めて、これを優位にしてゐる。かく見るとき、建國二千六百50年の傳統を有する我國にあつて天皇個人の宗教といふが如き見解は當を得ず、憲法の文章と皇室の傳統は渾然合一なるものと解すべきである。所見如何。政府は皇位が尊嚴なものであると認めるか。如何。
十一 右の見識に立つ時、將來あり得べき皇位繼承に關する諸般の禮典は須く我國の古來の傳統を全く繼承しつつ、正式完全に行はれるべきである。更に之を世界に披露して、我國の美風と世界平和への希求を廣く顯傳すべきであると思ふが、如何。
十二 先に記したる如く憲法第一條により「國民の總意に基いて」皇位が確立されてゐるとするならば、その國民の代表であり國權の最高機關たる國會が、皇位繼承に關する手續禮法等は知らざるべからず、更に國民はその國會を通じて之を知るべきである。然るに今日までの一連の作業は、この憲法の趣旨をないがしろにしてゐるが如くである。見解如何。
 右質問する。

大喪儀竝びに皇位繼承儀禮に関する質問主意書

平成元年2月7日提出
質問第5号

 大喪儀竝びに皇位繼承儀禮に関する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  平成元年2月7日

提出者  滝沢幸助

          衆議院議長 原 健三郎 殿

大喪儀竝びに皇位繼承儀禮に関する質問主意書

 來る大喪儀について、國民の間に種々論議が展開されてゐるが、このこと自體、既に亡き陛下に對して誠に申譯ないことと言はなければならない。かうした中で1月二14日、政府は大喪儀の實施に關する方針を明らかにした。これまでの經緯からして、葬場へ鳥居が敷設されることになったなどいくつかの点については政府の努力を多とするも、「葬場殿の儀」は皇室の行事とし、「大喪の禮」は國の儀式として行ふなど、尚疑念が殘るので、この際左記の通り質問する次第である。併せて、改元など既に實施された皇位繼承儀禮についても質問したい。

一 「葬場殿の儀」を憲法の政教分離原則に反するといふことで國事となしえない理由を明確に示されたい。
二 昭和34年の新帝陛下の御結婚の儀は、「賢所の儀」も含め國事として行はれ、そのことについて、當時の宇佐美宮内庁長官は國會において、政教分離には違反しないと明確に答辯してをられる。「賢所の儀」が國事として實施されても政教分離違反とならず、「葬場殿の儀」が國事だとすれば問題とされると考へてをられることについての整合性について明確な説明をされたい。
三 國や地方公共團體の主催する儀式などが全く宗教とかかはってはいけないものではないとする最高裁判決(津の地鎭祭訴訟、山口の殉職自衛官合祀訴訟)の尊重と今回の「大喪の禮」における宗教色の排除との關係について、政府はいかなる見解を持たれてゐるのか示されたい。
四 鳥居、大眞榊を「大喪の禮」の際撤去する理由を示されたい。その際、日像纛旛や葬場殿の建物などその他の施設や表象物とはいかなる根據をもって區別されたのかを明らかにされたい。
五 鳥居と大眞榊の前で「大喪の禮」を實施したとしても、昭和60年8月15日、中曾根首相が實施した靖國神社公式參拜方式と大差なく、いはゆる政教分離原則には抵觸しないと考へるが、政府の見解を示されたい。
六 鳥居や大眞榊の撤去は、喪主であられるとともに國事行爲をなされる新帝陛下の御許可は得られたか。又は御許可を得られる豫定であるかについて明答されたい。
七 崩御直後の皇位繼承儀禮において次のごとく傳統的名稱が變更されたり、使用されなかったりしたが、その理由を明確に示されたい。
 ① 「剣璽渡御の儀」が「剣璽等承繼の儀」と變更されたことについて
 ② 「踐祚後朝見の儀」が「即位後朝見の儀」に變更されたことについて
 ③ 全般的に「踐祚の儀」の名稱が使用されなかったことについて
八 新元號選定に際して、官房長官發表以前に新帝の御聽許は戴いたのか。戴いたとしたならば、何故そのことを公表しないのか、理由を示されたい。
 右質問する。

皇室財産への課税等に關する質問主意書

平成元年6月16日提出
質問第29号

 皇室財産への課税等に關する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  平成元年6月16日

提出者  滝沢幸助

          衆議院議長 田村 元 殿

皇室財産への課税等に關する質問主意書

 先帝の崩御に伴ひ繼承された、いはゆる皇室財産に對し相續税を課することは、皇室の無私廣大な慈愛を敬尊して止まない國民感情に反するとともに、皇室の歴史的・精神的意義を否定する制度であり廢止されるべきである。
 これは、昭和20年11月占領軍による皇室財産凍結令に端を發した思想で、速かなる是正を求める聲は國民のうちに滿ち充ちてゐる。
 よって、政府の對策を促すため質問する。

一 皇室はもとより姓氏を有せられず、御名は皇統譜に列せられるのみで、國民及び市(都)民としての戸籍に登されることはない。
  從って選擧權・被選擧權をはじめ、いはゆる國民の權利義務は一切持たれてゐない。然るに、ひとり相續税のみを課することはその法理論的根據を見出し難い。所見如何。
二 いはゆる皇室財産中、課税されるべきものと、課税されないものとの區別を問ふ。
  その根據が皇室經濟法第七條にありとすれば、「由緖ある物」の由緖の有無を判斷するは誰人であるか。明答されたい。
三 この課税は一般國民それと等しく陛下の御申告によるものであるか。如何。
四 もし然りとすれば、その申告に誤りがあり、或いは過少でありとする場合には、一般國民のそれの如く修正申告を求めるか。
  もし納期内に完納されないことがあれば、如何なる措置をとり得るか。一般國民に對する如く督促状を發し、或いは差押を行ふか。
  これらのことを考へる時、この課税はまことに實際的でない。所見如何。
五 右によって課せられた納税はいづれの豫算より支拂はれるか。6月14日衆議院法務委員會における宮内庁宮尾次長の答辯の如く、相續財産の中より支拂ふとすれば、今後幾代か皇位が繼承さるるに及び皇室が無財産になられる事態なしとしない。それで良いか。
六 以上各項に記述した如く、そもそも國民としての義務と權利を有せられず、ことに職業選擇の自由を持たれぬ皇室に對し、一般國民と同じ法を適用することが基本的に誤りであると思考するが、見解如何。
七 ここに政府は、速かに皇室經濟法及び相續税法その他必要な法の改正等を通じ、我國の歴史と、國民感情に照して馴染まない皇室への課税を廢止すべきである。所見如何。
 右質問する。

大嘗祭・即位禮に關する質問主意書

平成元年6月22日提出
質問第36号

 大嘗祭・即位禮に關する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  平成元年6月22日

提出者  滝沢幸助

          衆議院議長 田村 元 殿

大嘗祭・即位禮に關する質問主意書

 昭和天皇の御大喪も無事にすみ、國民はひとしく來るべき大嘗祭・即位の禮が、我國の歴史と傳統に照して誤りなく、且つ皇室を尊崇して止まない國民の念ひに適ふとともに、憲法等の法理に反しない方式において、然も嚴肅に執り行はれることを祈念してゐる。
 然るところ、過般の御大喪は、一部の反皇室勢力を恐れてか之を國事として一貫できず、大眞榊・鳥居の撤去など、非禮の謗りを免れ得なかったことは、誠に殘念である。
 ついては、來るべき兩祭儀に誤りなからむことを冀念して、以下質問する。

一 大嘗祭・即位の禮の時期について
 1 今上天皇の大嘗祭は古例によれば諒闇明けの秋(11月)に行はれるべきであるが、之を具體的に表明すれば平成2年11月となる、と解してよいか。
 2 また大嘗祭と一體不二の關係にある即位の禮は、能ふ限り、盛大且つ華麗に行ふを宗とすべきであり、一方、大嘗祭は、清淨にして嚴肅なるをよしとされることから、兩祭儀は切り離し、適當の期間を置くべきであるとの意見は柳田國男の説以來今日まで行はれてゐる。
   又、此の説とは別に、後述の二と關聯して我國の今日的状況下にあっては、先行されるべき「國事としての即位の禮」に對し、「皇室の行事」としての大嘗祭が輕視される惧れなしとしないとの實際論から、兩祭儀は引續き行ふ以外なしとの有力な意見もある。
   政府は果して如何なる見解と方針を持つか伺ひたい。
二 大嘗祭・即位の禮の場所について
  次に、これが執行の場所については、明治以來、東京説と京都説の二説がある。舊皇室典範は即位の禮及び大嘗祭は京都にて行ふ旨明記してをり、新典範にはこの表記がない。
  思ふに大嘗祭は、その成立の歴史的經緯と本來的意義からして、王城の地において齋行されるべきであり從って東京であるべく、又、即位の禮も同樣に東京であるべしと考へるが、政府としては、この兩祭儀を、それぞれ何處で行はむとしてゐるか伺ひたい。
三 兩祭儀の根本的意義について
  さて最も重要肝腎な問題は、兩祭儀の歴史的・國家的意義づけである。
  前文にも述べた如く、先の大喪の禮は一連の儀式のうち、葬場殿の儀を皇室行事として行ったが、數ある皇室祭儀のうちでも大嘗祭は別格の重き意義を有してゐる。そもそも成立の經緯からして、大嘗祭は國事以外では決して有り得ず、之は新嘗祭が皇室祭祀であるにとどまってゐるのとは基本的に異なっている。
  既に、新帝陛下の踐祚に伴ふ劍璽渡御の儀が國事として執り行はれたことでもあり、大嘗祭は斷じて國事として行はるべきと考へる。
  勿論、大嘗祭の齋行については國事論の外に、皇室公事論、皇室私事論等が世に行はれてゐるが、私事論はさて置くとして、前二論のいづれを政府はとるか。この際、明確にされたい。
四 皇室典範について
  そもそも天下無雙の重儀たる大嘗祭に關して、かくの如き質問を敢てせざるを得ないこと自體が、國家的不幸と云ふべきである。
  而してその原因は實に皇室典範の不備にある。
  ついては此の際、典範の改正をなし、後々のため備ふべきではないか。政府の方針如何。
 右質問する。

皇室典範改正案の提出に関する質問主意書

平成18年3月15日提出
質問第150号

皇室典範改正案の提出に関する質問主意書

提出者  高井美穂

皇室典範改正案の提出に関する質問主意書

 小泉純一郎内閣総理大臣は本年1月20日の衆議院本会議での施政方針演説で「皇位が将来にわたり安定的に継承されるよう、有識者会議の報告に沿って、皇室典範の改正案を提出します」など、今国会での皇室典範改正案提出を言明していると承知している。しかし、その後皇室におかれてのご慶事など状況の変化も起きている。
 そこで、以下のとおり質問する。

一 政府は、皇室典範改正案を今国会に提出する方針を変えていないのか。今国会に提出するとすれば、いつ提出するのか。
二 小泉総理大臣は本年2月7日の衆議院予算委員会で、民主党の岡田克也委員の質問に対し「私は、法案を出して慎重に審議していただければ、今国会で十分大方の賛同を得られるような状況になっていくと思っております。でありますので、法案を提出いたしましたならば、今国会中に、皆さんの御協力を得て成立できるように努力したいと思っております」と答弁しているが、この方針に変わりはないのか。
三 状況の変化を鑑みて、皇室典範改正案を今国会に提出しないことはありうるのか。また、提出しないとすれば、いつ、どのような形で政府はその方針を国民の前に明らかにするのか。
 右質問する。

皇室典範改正案の提出に関する再質問主意書

平成18年6月15日提出
質問第379号

皇室典範改正案の提出に関する再質問主意書

提出者  高井美穂

皇室典範改正案の提出に関する再質問主意書

 本年3月15日提出の質問第150号「皇室典範改正案の提出に関する質問主意書」で同法案の今国会提出の方針を確認したところ、政府は「皇室典範の改正について、この度の文仁親王妃紀子殿下の御懐妊という御慶事も踏まえ、取り組んでいくこととしている」と答弁している。しかし、今国会の会期末を迎えても政府は同法案提出の手続きを取っていない。
 そこで、以下のとおり再度質問する。

一 政府は、皇室典範改正案を今国会に提出しないことをいつ判断し、どのような形で正式に表明したのか。簡明に回答願いたい。
二 小泉純一郎内閣総理大臣は本年1月20日の衆議院本会議での施政方針演説で「皇位が将来にわたり安定的に継承されるよう、有識者会議の報告に沿って、皇室典範の改正案を提出します」と明言している。その後皇室におかれてのご慶事など状況の変化は十分承知しているが、かりにもわが国の総理大臣が、国権の最高機関の本会議場で明言した同法案提出の方針を変更するなら、国民の前で自らその理由を説明する責任があると考えるが、政府の見解を誠実に示されたい。
 右質問する。

天皇陛下御在位二十周年に関する質問主意書

平成22年2月3日提出
質問第70号

天皇陛下御在位二十周年に関する質問主意書

提出者  木村太郎

天皇陛下御在位二十周年に関する質問主意書

 昨年は天皇陛下御在位二十周年、また、天皇皇后両陛下ご成婚五十周年のお祝いの年となった。国民の皆様と共に、皇室のご繁栄をお祈りするものであります。
 去る11月12日、政府主催によるお祝いの式典が挙行され、また、同日、国民祭典も開催され、私自身も感動致しました。この喜ばしい節目にあたっての政府主催による式典において、祝辞を述べられた方々のご挨拶やお祝いの演奏や歌、また杉並少年合唱団など、とても心のこもった素晴らしい式典でした。
 しかし、政府の姿勢や閣僚の対応に誠に残念に感じたことがいくつかあった。このことを踏まえ、次の事項について質問する。

一 鳩山内閣として、天皇陛下御在位二十周年をどのように捉えていたのか。
二 式典が進むにつれ、開会の言葉を述べた実行委員会副委員長である菅副総理は、天皇陛下のご臨席で、首を何度も何度もこっくりこっくりとし、居眠りしていた。これは、式典に臨む副総理の姿勢としていかがなものかと考えるが、鳩山内閣の見解を問う。
三 同じく壇上で、陛下の後方に座っていた松野官房副長官は、両足を大きく広げ座っており、頭・背中を後ろに仰け反り、数回、これまた居眠りをして隣の席の松井副長官から注意を受けていた。これも、式典に臨む姿勢としていかがなものかと考えるが、鳩山内閣の見解を問う。
四 式典の結びに天皇陛下の御前にて、鳩山総理の御発声で万歳三唱をしたが、手のひらを天皇陛下側に向け、両腕も真っ直ぐに伸ばしておらず、いわゆる降参を意味するようなジェスチャーのように見られ、正式な万歳の作法とは違うように見受けられた。日本国の総理大臣として、万歳の仕方をしっかりと身につけておくべきと考えるが、その作法をご存知なかったのか、伺いたい。
五 式典は、十四時から始まり十五時には閉式し、十五時五分には天皇皇后両陛下が式典会場をご出発される予定と、式典前に司会者から、会場に参列した私どもに知らせがあった。しかし、結局式典は二十分近く遅れて閉式した。周辺の道路の規制など、色々準備されていたと思うが、二~三分の誤差ならまだしも、天皇陛下をお祝いする式典において、二十分もの誤差が生じること自体、式典を準備した実行委員会委員長として鳩山総理は、事の重要性をどう捉えていたのか。あまりにもお粗末なタイムスケジュールを作っていたのではないか。反省すべき点があったと考えるがいかがか。
六 また同日、夕方から社民党、共産党を除く超党派の奉祝議員連盟が民間の団体と共に主催した「国民祝賀の式典」が行われたが、この席に、衆議院・参議院両院の議長(二人とも民主党出身)が欠席していた。この姿勢も民主党は、かつて天皇制に批判的な旧社民党と合併したものであって、奇しくも両議長とも旧社会党の所属であったことによるものと考えられる。
 以上の様な民主党の皇室に対する不見識な態度は、鳩山内閣が発足時、各大臣の就任会見の際、半数以上の大臣が国旗に一礼もせず会見を始めたことにも表れている。同様に昨年8月8日、鹿児島県霧島市で開かれた民主党の会合で、民主党の党旗を用意できず、日の丸の国旗二枚を切り裂き、応急的に民主党の党旗に見せた旗を作り、党の会合を開催している。このような民主党の極めて無礼な態度に、鳩山総理をはじめ鳩山内閣は、皇室に対する考え方と、また、国旗・国歌法が制定されている現在、我が国の国旗や国歌に対し、どのような認識を持っているのか、改めて伺いたい。
 右質問する。