皇位の尊嚴と憲法に關する質問主意書

昭和63年10月19日提出
質問第22号

 皇位の尊嚴と憲法に關する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和63年10月19日

提出者  滝沢幸助

          衆議院議長 原 健三郎 殿

皇位の尊嚴と憲法に關する質問主意書

 謹んで
天皇陛下の御平癒をお祈り申上げます。                          さて、小員は昭和62年12月28日「皇位繼承に關する儀禮等についての質問主意書」を提出して政府の見解を質したが、その答辯書は「憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものになると考えている」としたに止まり一切、具體的な事項には觸れずして「研究中」とされてゐた。
 越えて63年2月二19日、豫算委員會に於ける小員の質疑に對する答辯も全く同様であつた。
 このことは「天皇の地位は主權の存する國民の總意に基く」とした憲法の文章にまつまでもなく、國民ひとしく、之を知らむと願ひ、且つ又、當然知らされて可なるべきものであつたと信ずる。
 ところが今般、雜誌「文藝春秋」11月號(一二六頁~一三三頁)に政府の内部「研究」が急速に具體化したことが報ぜられ、國民の間に複雜な思ひが渦卷いてゐる。
 之は國政上極めて重大なことであるので、以下これに關し質問する。

一 右雜誌に報道された内部資料なるものは實存するか。
二 右の記述はおほむね事實とその内容において一致するか。違ふ點あらば明示されたい。
三 なかんづく次の七項目について眞意を問ふ。
 1 大喪に関しては皇室典範にもとづき国家予算、ただし宮内庁が担当する。
 2 国葬は、宗教色を除き、国が担当。
 3 葬場殿は大正天皇時に倣う規模とする。場所は新宿御苑。
 4 御陵は多摩陵墓地。
 5 殯宮から新宿御苑は車列を用い、葬列はしない。国が担当する。
 6 國葬は四長官弔辞が中心。葱華輦の使用については検討中。
 7 剣璽渡御の儀は、国事行為・根拠 皇室経済法。
四 元號の制定は新帝の裁許によるものと解してよいか。
五 古來、葬列を行はない大葬はないとされてゐる。見解如何。
六 皇位の繼承は「践祚の儀」「即位の儀」「大嘗祭」の三式あつて完成するといふ我國古來の傳統に鑑み、これら三式すべて公式の儀式として行はれると解してよいか。
七 大葬における轜車並に葱華輦は從前通り使用されるか。
八 即位の禮は京都に於て行はれると解してよいか。
九 「天皇に私なし」といふ。ついては皇位繼承の如く超重大な禮式にあつては、天皇個人又は天皇家といふが如き見解は當を得ないと思ふが如何。
十 アメリカ合衆國大統領の就任式、英國の戴冠式などを參考するに、宗教と憲法及び法律との關係は、文明諸國にあつては、その源泉をその國の傳統習慣に求めて、これを優位にしてゐる。かく見るとき、建國二千六百50年の傳統を有する我國にあつて天皇個人の宗教といふが如き見解は當を得ず、憲法の文章と皇室の傳統は渾然合一なるものと解すべきである。所見如何。政府は皇位が尊嚴なものであると認めるか。如何。
十一 右の見識に立つ時、將來あり得べき皇位繼承に關する諸般の禮典は須く我國の古來の傳統を全く繼承しつつ、正式完全に行はれるべきである。更に之を世界に披露して、我國の美風と世界平和への希求を廣く顯傳すべきであると思ふが、如何。
十二 先に記したる如く憲法第一條により「國民の總意に基いて」皇位が確立されてゐるとするならば、その國民の代表であり國權の最高機關たる國會が、皇位繼承に關する手續禮法等は知らざるべからず、更に國民はその國會を通じて之を知るべきである。然るに今日までの一連の作業は、この憲法の趣旨をないがしろにしてゐるが如くである。見解如何。
 右質問する。

皇位繼承に關する儀禮等についての質問主意書

昭和62年12月28日提出
質問第1号

 皇位繼承に關する儀禮等についての質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和62年12月28日

提出者  滝沢幸助

          衆議院議長 原 健三郎 殿

皇位繼承に關する儀禮等についての質問主意書

 我國において皇位は連綿として不斷の道統であり神武建國以來ここに百二十四代を重ね給ひ國民齊く敬尊止まざるところであるが、昭和22年新憲法の施行により、其の法的制度的制約を餘儀なからしめられ、ことに宮中祭祀のこと、皇位繼承の儀禮典式の細目に至つては甚だ不充分なるまま今日に及んでゐる。このことは兼々識者賢人の憂愁措かざるところであつたが、先般、聖上御不例に渡らせ給ふに及び漸く世間に論談されるところとなつた。
 殊に文藝春秋12月號に掲載された記事は廣く國民をして皇位繼承の儀式禮法等の不備に重大な關心を寄せしむるに足るものであつた。附いてはこの時速かにこれら法的制度的不備を改善し、以つて皇位の萬歳を祈ることは國家國民の急務である。
 よつて之に關し質問する。

一 皇位繼承前後の儀禮にかかはる諸準備が今なほ整備されてゐないと言はれることは事實か。大喪令・登極令は定められてゐるか。
二1 不日皇位繼承のことが生じた場合、大儀(大喪・大禮)の諸儀式は何を法的制度的根據として行はれるか。具體的に示されたい。
 2 前例に倣うとする場合は、いつの例によるか具體的に示されたい。
三 大儀等の責任は何人にあるか。主催者・責任官廳等明確に示されたい。
四 大儀等の經費は國の資擔であるか。その豫算項目を具體的に示されたい。
五 大喪使・大禮使その他の組織は置かれるか。
六 神器繼承の儀は國の責任に於て行はれる公事と解してよいか。
七 大嘗祭の儀は、古例通り公事として行はれるか特に示されたい。
八 即位の禮・大嘗祭等は從來京都に於て行はれたが、今後は如何。明答されたい。
九 大喪の儀は傳統的に夜間に行はれるべきものであつたが今後は如何。その時刻を示されたい。
十 右に於て葬列は缺くべからざるものであるが之は前例通りに行はれるか。其の規模等内容を明らかにされたい。
十一 御靈柩は如何なされるか。轜車及び葱花輦を使用されるのか。その樣式を明示されたい。
十二 儀仗隊・禮弔砲はなされるか。その編成・樣式を示されたい。
十三 践祚の儀を抜きにしては皇位の繼承はあり得ないと解されるが、之は行はれるか。
十四 右皇位繼承前後にかかはる一連の禮式における裝束は如何にされるか。又その席次は如何にされるか。それらを決定する機關・手續等を示されたい。
十五 警護・警備の態勢について示されたい。
十六 國民が齊く之を弔祝するための措置は如何。例へば、服喪・祝日等についての用意あれば之を示されたい。
 右質問する。

天皇及び天皇制に関する質問主意書

昭和61年4月28日提出
質問第20号

 天皇及び天皇制に関する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和61年4月28日

提出者  三浦 久

          衆議院議長 坂田道太 殿

天皇及び天皇制に関する質問主意書

 中曽根内閣は、今年が「天皇在位60年」に当たるとして、4月二19日に政府主催の「記念式典」を行うのを始め、さまざまな形での天皇と天皇制美化のキャンペーンを繰り広げている。
 中曽根総理は、去る1月30日の衆議院本会議における日本共産党・不破哲三議員の代表質問に対し、「天皇陛下の御在位60年ということ、あわせて、昨年7月13日には、歴代天皇中最長寿をお迎えなさつたということは、まことに慶賀にたえない次第であります。この天皇陛下の御在位60年、御長寿をお祝いするというものは、これは自然な感情でありまして、天皇は元来、平和主義者であられたということは、皆さんも御存じのとおりでございます。別に政治的意図などは毛頭ないので、この自然の喜びの発露をそのまま行おうというので、疑う方が不自然ではないかと思うのであります」と答弁した。
 さらに中曽根総理は、「天皇在位60年」を「祝賀」する理由として、天皇は元来「平和主義者」であり、「戦争を回避するために全面的にも努力をされた」(衆議院予算委員会、3月8日)こと、「(天皇は)立憲君主制のもとにありまして、総理大臣の輔弼することについては、大体君臨すれども統治せずという原則でいかれた」(同)こと、「二千年近いこの伝統と文化を持つておる日本、及び天皇を中心に生きてきた日本のこの歴史」(同)などを挙げている。
 これらはすべて、歴史の事実に反して、天皇の、侵略戦争と暗黒政治に対する明白な責任を免罪したうえ、もともと憲法の「主権在民」の原則とは根本的に矛盾する天皇と天皇制を不当に美化するものである。日本共産党は、この見地から既に、「天皇在位60年」は絶対に「祝賀」の対象とすべきものでないことを指摘し、その中止を政府に申し入れてきたところである。以下、その立場から、天皇と天皇制の問題について質問する。

一 天皇の戦争責任について
  1931年以来の15年戦争に対する天皇の責任は、歴史の事実に照らして明瞭である。数例を挙げれば、以下のとおりである。
  天皇は、1931年に始まる日本の中国侵略戦争の期間中、侵略軍を鼓舞激励した。1931年、日本軍が中国の東北地方に侵略を開始したいわゆる「満州事変」直後に天皇は、「現下ノ情勢ハ朕カ軍隊ノ精強ニ待ツコト愈々切ナルモノアリ汝将卒益々奮励以テ朕カ信倚ニ対ヘムコトヲ期セヨ」とする「勅語」(1931年11月14日)を発している。中国に対する全面侵略を開始した1937年には、「中華民国深ク帝国ノ真意ヲ解セス濫ニ事ヲ構へ遂ニ今次ノ事変ヲ見ルニ至ル朕之ヲ憾トス今ヤ朕カ軍人ハ百艱ヲ排シテ其ノ忠勇ヲ致シツツアリ是レ一ニ中華民国ノ反省ヲ促シ速ニ東亜ノ平和ヲ確立セムトスルニ外ナラス」(9月4日の勅語)と述べ、日本が起こした侵略戦争の責任を中国に転嫁しながら、中国を恫喝している。
  中国侵略で予定どおりの戦果が挙がらず、戦争が長期化したとき、天皇は戦争勃発時の杉山陸軍大臣に対し、「予定通リ出来ルト思フカ、オ前ノ大臣ノ時ニ将介石ハ直グ参ルト云フタガ未ダヤレヌデハナイカ」と述べ、「絶対ニ勝テルカ」(「杉山メモ」(上))と質問している。
  中国に対する侵略戦争は、1941年、アメリカ、イギリスに対する戦争へと発展したが、この太平洋戦争を決断し、戦争を宣言したのは、天皇そのものであり他のいかなる人物でも国家機関でもなかつた。
  天皇の動向をよく知り得る立場にいた当時の内閣書記官長・富田健治氏はその著書「敗戦日本の内側 ― 近衛公の思い出」で、天皇が太平洋戦争開始論に踏み込んでいく経過について、次のように述べている。
  「自分(近衛)が総理大臣として陛下に今日、開戦に不利なることを申し上げると、それに賛成されていたのに、明日御前に出ると「昨日あんなにおまえは言っていたが、それ程心配することもないよ」と仰せられて、少し戦争の方へ寄って行かれる。又次回にはもつと戦争論の方に寄っておられる。つまり陸海の統帥部の人達が意見がはいって、軍のことは総理大臣には解らない。自分の方が詳しいという御心持のように思われた。従って、統帥について何ら権限のない総理大臣として、唯一の頼みの綱の陛下がこれではとても頑張りようがない」
  太平洋戦争遂行の基本政策である「国策」は、天皇の臨席する御前会議で決定された。1941年7月2日の会議で、「南方進出の歩を進め又情勢の推移に応じ北方問題を解決す」るという「帝国国策要綱」を決定している。9月6日の会議は、期限つき開戦を決定した「帝国国策遂行要綱」を決定し、11月5日の会議は、対米戦を決意した「要綱」を決定している。そして12月1日の会議は、対米英オランダ開戦を正式に国家意志として決定した。
  これらすべての決定の最終決断をくだしたのは天皇である。開戦時の国務大臣、鈴木貞一は、次のように述べている。
  「戦争か、戦争をやめるかという時期の決断というものは、それは流れに逆ってピシャッとやることは、これはもう余程の力でなくてはならない、その力はね、日本には陛下以外にないんです」(勝田龍夫「重臣たちの昭和史」(下))
  戦争を長引かせたのも天皇の責任である。天皇は、終戦に当たつて、和平交渉を急ぐべきであるとの周囲の意見に対して、「モウ一度戦果ヲ挙ゲテカラデナイト中々話ハ難シイト思フ」(「木戸幸一関係文書」)として、戦争継続の立場を表明した。また、1945年8月14日の「御前会議」では、ポツダム宣言受諾の理由について、「国体ニ就テハ敵モ認メテ居ルト思フ。毛頭不安ナシ。敵ノ保障占領ニ関シテハ一抹の不安ガナイデモナイガ、戦争を継続スレバ国体モ国家ノ将来モナクナル。即チ、モトモ子モナクナル」(「敗戦の記録」)と、終戦の決定(総理等のいういわゆる「御聖断」)が、絶対主義的天皇制を維持するためであることを明言している。
  これらの事実は、天皇が、「平和主義者」などではなく、その地位からいつても実際に果たした役割からいつても、15年に及ぶ侵略戦争の最大、最高の責任者であつたことを疑問の余地なく立証している。
  中曽根総理が天皇を「平和主義者」だとする根拠はなにか。
二 「君臨すれども統治せず」論について
  戦前の天皇と天皇制を「君臨すれども統治せず」などと特徴付ける中曽根総理の見解は、そもそもこれまで質問してきた天皇の戦争責任の問題に照らしても明確に事実に反するものであるとともに、天皇の戦争責任を免罪するものである。
  天皇の戦争責任問題以外にも、戦前の天皇に与えられていた絶対的権力は、総理の見解に根拠がないことを示している。
  戦前の天皇制はいかなる意味でも「立憲君主制」ではなく、国家主権はもちろん、国務大臣の任免権、軍の統帥権、宣戦・講和の布告、条約締結権、立法権、議会の召集・衆議院解散権、戒厳などの権限を全面的に掌握した文字どおりの絶対主義的天皇制であつた。
  天皇は、この権力を用いて、天皇が必要と考えた場合には、自らの政治意思を貫徹してきた。戦争以外の若干の諸事実を挙げると次のとおりである。
  二・二六事件当時(1936年)の内閣総理大臣であつた岡田啓介は、天皇の執務態度について、「陛下は内閣から奏上する場合、御同意の節は「そう」とはっきり御返事なさるが、御同意でないときは黙っていらっしゃる。差しあげた書類に対しては、御同意でない折はしばらくお手元にお留めおきになることもある」(回顧録)として、このような天皇の意思表示の仕方に従つて行動するのが「輔弼」者としての大臣の条件であつたと述べている。さらに、天皇の側近中の側近であつた木戸幸一は、戦後(1964年)、法務省の質問に対して、「立前として天皇は国務大臣の輔弼によって国政をなさるのではあるが、時には、強い御意見を述べられることもある。(中略)天皇が御納得されない場合は、概ねの場合問題はそのままサスペンドされて決定が延ばされるか内閣の方が考え直すのを例とした」(「木戸幸1日記」)と証言している。
  また、次の事実は極めて重要である。
  戦前の治安維持法は、国民から一切の自由を奪い、天皇制支配を支える主柱となつたものであり、1945年のポツダム宣言の受諾に伴う一連の措置によつて当然、廃止されたものである。この治安維持法案は、過激社会運動取締法という名で1922年に議会に提出されたが、反対運動にあつて審議未了・廃案となつた。ところが1923年9月、現天皇裕仁が大正天皇の摂政として発した緊急勅令「治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件」(治安維持令)を公布した。これが12月に臨時議会で追認され、1925年に治安維持法が制定された。
  また、同法は1928年、「国体変革」すなわち「君主制の廃止」「絶対主義的天皇制の変革」を掲げる者に死刑を含む重罰を科すべく改悪されたが、これもまた、天皇の発する緊急勅令によつて行われたのであつた。このような野蛮な弾圧法を自らの意思で制定し得る権能を持ち、また実際に頻繁にそれを行使した者を、「君臨すれども統治せず」などといえないことは明白である。
  中曽根総理は、これらの諸事実を「君臨」もし、「統治」もした事実として認めるかどうか、明確に答弁されたい。
三 「天皇は国民の中心」論について
  「天皇は二千年間、国の中心」であつたなどとする見解は、歴史学上、明確に否定された神話である。明治以前において、天皇が実際に「政治の中心」にあつた時期がごく短期間であることは、歴史学上の常識である。明治維新前後には、天皇の存在すら多くの国民に知られていなかつたのである。
  1868年の九州鎮撫総督の諭書が「此日本という御国には、天照皇大神宮様から御つぎ遊ばされたところの天子様というものがござって、是が昔からちっとも変ったことのない御主人様ぢや……」と述べているように、天皇の存在それ自体を民衆に教えこませなければならなかつた。
  また、天皇制政府が多くの庶民の不信と不満を買つていたことも、例えば次のような、政府にあてられた「報告書」から知られるところである。
  「近来の事情を洞察してみると、天下の人望は以前に異なり、道路の浮言ではあるが、王政は幕政に及ばず、薩長は徳川氏に劣るなどといわれているやに承り、誠に憤懣やるかたなし」
  「今の政治のありさまではとても治世はおぼつかなく、窮民どもの暮らしはたちゆかない。旧幕政のほうがよかったというものが今や七分、残りの三分がわずかに御一新の政道をよいといっているに過ぎない」
  さらに、明治維新後、神話に基づく「紀元節」を設定し「天皇は天子」「万世一系」なる宣伝が行われたが、これは絶対主義的天皇制の確立と徹底、強化のために明治政府の必要によつて急きよ作り出された特殊なイデオロギーに過ぎず、当時既にその反動的・非科学的本質を見抜く次のような見解があることも史料で明らかである。
  「(天皇が天子なら)然ラバ日本挙国ノ人皆ナ天子ノ子ナルヤ、阿爺モ又天子ノ子ニシテ、阿翁ノ父ニハ非ルヤ、笑フ可キ哉」(「東京開化繁昌誌」)
  中曽根総理は、いかなる事実と科学的根拠をもつて、「天皇は二千年間、国の中心」と国会で答弁したのか、所見を求める。
四 天皇批判に対する総理の誹謗について
  中曽根総理は、天皇と「天皇在位60年式典」をめぐる問題で、3月8日、衆議院予算委員会での日本共産党の正森成二議員の質疑に対して、天皇に「あえて異を立てるというものは、国家を転覆するという気持ちを持つておる人でないと出てこないのではないかとすら私は疑う」と答えている。
  天皇と天皇制を批判するものにこのような誹謗を加えること自体、戦前の治安維持法同様の発想にほかならないと思うが、どうか。また、中曽根総理の論理では、今日の日本も戦前同様に、「主権は天皇にあり」ということになるが、どうか。答弁を求める。
  さらに、マスコミ各社の世論調査によつても、天皇制を「廃止するほうがよい」との回答は相当数にのぼるが、このような回答者は「国家を転覆するという気持ちを持つておる人」と総理は考えるのか。
  また、総理は、「天皇在位60年」を祝わないのは「不自然」と述べているが、4月7日付「朝日」の世論調査によれば、「天皇在位60年式典」に賛成の回答は、四一%に過ぎず、「天皇在位60年記念式典は必要ない」とする回答が二七%、「戦時中のことを思うと好ましくない」が六%、「自分には関係ない」が二一%となつている。総理は、半数以上の日本の国民は「不自然」な人間であると考えるのか。また、総理の論理に従えば、「天皇在位60年」を積極的に「祝賀」しないものは、天皇に「異を立てる」ことになり、結局のところ「国家転覆」の気持ちを持つていることにならざるを得なくなるが、どうか。
五 いわゆる「皇室外交」について
  天皇の「名代」としての皇太子の訪韓など、いわゆる「皇室外交」が計画されている。またこれまでも、天皇・皇室自身の意思をも盛り込んだ「皇室外交」が行われ、その際天皇はしばしば政治的な言動を行つてきた。これらは、憲法の天皇に関する条項に照らして容認できないものである。
  我が党は、既に政府及び宮内庁に対し皇太子訪韓中止を申し入れた。宮内庁は4月二16日、皇太子訪韓を含め天皇、皇室の外国訪問は、政府が決定することだと回答してきた。そこで政府に対し、いわゆる「皇室外交」なるものについて見解をただす。
  戦前の天皇は、「国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬ス」(第4条)、「戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」(第13条)とされ、国家元首として対外的代表であるとともに、外交権の主体であつた。
  しかし現憲法は、天皇制を「象徴」の名で温存するという「主権在民」原則と矛盾した側面を残しているが、天皇の地位を「主権の存する日本国民の総意に基く」(第1条)ものにとどめるとともに、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」(第4条第一項)とし、天皇の対外代表権と外交大権を明確に否定した。また、天皇の国事行為としての対外関係に関する行為も、「全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること」(第7条第5号)、「批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること」(同条第8号)、「外国の大使及び公使を接受すること」(同条第9号)という形式的な行為に厳格に限定している。しかも、天皇がこれらの行為を実際に行う際には「内閣の助言と承認」を受けなければならない(第3条)。このように現憲法は、天皇が公的で政治的な意味をもつ外国訪問を含む対外関係に関する行為を行うことを明確に禁止している。しかるに、憲法第1条の「象徴の地位からにじみ出る公的行為」などとして、天皇による「皇室外交」が展開されてきた。
  しかも天皇自身、このような「皇室外交」の際に頻繁に政治的発言を行つてきた。1975年の訪米に際して、天皇は、さきの侵略戦争について、「開戦時には閣議決定があり、私はその決定を覆すことはできなかつた」などと発言した。これはたんに政治的な発言だというにとどまらず、歴史的事実に反して自らの戦争責任を回避するものである。また天皇は、この訪米直後の記者会見で広島・長崎への原爆投下は「やむを得ないこと」とさえ述べている。これ自体アメリカの野蛮な原爆投下を是認した非人道的な発言であるとともに、許されない政治的発言であることは明白である。
  さらに、全斗煥大統領の訪日の際には、「大統領閣下の卓越したご指導の下に貴国が政治、経済、文化、社会等の各分野において目覚しい発展を遂げていることは、国際社会から高い評価を受けております」などと、全斗煥政権を礼賛する政治的発言を行つている。
  全斗煥政権は、軍事クーデターによつて生まれた軍事ファッショ政権であり、韓国国民からもその正統性を疑われている政権である。また我が国においても、南北に分断された朝鮮半島の一方の韓国政府を唯一合法政府とする日本政府の対朝鮮政策をめぐつても強い批判があり、議論も分かれている。こうした状況のもとでの天皇のこの発言は、「国政関与」を禁じた憲法にまつこうから違反する二重、三重の政治問題への介入である。
  以下、こうしたいわゆる「皇室外交」について質問する。
 1 天皇自身のこのように明白な政治的発言が、天皇は「国政に関する権能を有しない」とした憲法第4条に違反することは明らかではないか。
 2 天皇の「名代」による皇太子の訪韓が計画されている。皇太子による「皇室外交」は、「日米修好百年」を記念しての訪米(1960年)以降二十回余に及ぶが、今回の訪韓は、とりわけ、全斗煥政権を礼賛した天皇の「名代」として行われる。韓国内でもこの皇太子訪問に反対する大きな世論がおこつている。計画されている皇太子の訪韓は、我が国の対朝鮮政策と韓国内の政治問題への介入であり、極めて重大である。
   中曽根内閣は、こうした我が国及び韓国内での皇太子訪韓に対する強い反対論があつても、これを強行するのか。
 右質問する。

朝儀復活に関する質問主意書

昭和46年5月7日提出
質問第8号

 朝儀復活に関する質問主意書

右の質問主意書を提出する。

  昭和46年5月7日

提出者  藤波孝生

          衆議院議長 船田 中 殿

朝儀復活に関する質問主意書

 天皇陛下今秋の御渡欧に際し、剣璽御動座の儀に関し、4月二17日付で、有志青年から宮内当局を経て御願書が出されている。これは、皇室の尊貴なる伝統的朝儀の復活を願う忠良の民の声と信ずるが、次の諸点につき政府の見解を伺いたい。

一 当局は、この文書をいかに取り扱うつもりであるか。
二 剣璽御動座に関する朝儀は、昭和21年以来御中絶になつたと聞くが、それはいかなる理由に基づくものであつたか。
三 天皇陛下は、御渡欧前に皇祖の神宮へ行幸、御親謁なされるものと拝察されるが、当局は、この時からこの朝儀復活をなす意思はないか。
四 一部の民間の説に、現在の宮内庁は、職員不足のため、この朝儀復活ができないと称する者がある。しかし現在の全職員が剣璽捧持以上の緊要な御つとめをしているとは到底信じ難い。もしも、今日復活し難い理由があるとすれば、それは何か。
五 万一、今年中に復活し難い事情があるとしても、将来の復活を考えているか、どうか。この万世一系の伝統的朝儀の復活を希望しないとすれば、それはいかなる理由に基づくかを明示されたい。
 右質問する。

皇室典範改正案の提出に関する質問主意書

平成18年3月15日提出
質問第150号

皇室典範改正案の提出に関する質問主意書

提出者  高井美穂

皇室典範改正案の提出に関する質問主意書

 小泉純一郎内閣総理大臣は本年1月20日の衆議院本会議での施政方針演説で「皇位が将来にわたり安定的に継承されるよう、有識者会議の報告に沿って、皇室典範の改正案を提出します」など、今国会での皇室典範改正案提出を言明していると承知している。しかし、その後皇室におかれてのご慶事など状況の変化も起きている。
 そこで、以下のとおり質問する。

一 政府は、皇室典範改正案を今国会に提出する方針を変えていないのか。今国会に提出するとすれば、いつ提出するのか。
二 小泉総理大臣は本年2月7日の衆議院予算委員会で、民主党の岡田克也委員の質問に対し「私は、法案を出して慎重に審議していただければ、今国会で十分大方の賛同を得られるような状況になっていくと思っております。でありますので、法案を提出いたしましたならば、今国会中に、皆さんの御協力を得て成立できるように努力したいと思っております」と答弁しているが、この方針に変わりはないのか。
三 状況の変化を鑑みて、皇室典範改正案を今国会に提出しないことはありうるのか。また、提出しないとすれば、いつ、どのような形で政府はその方針を国民の前に明らかにするのか。
 右質問する。

皇室典範改正案の提出に関する再質問主意書

平成18年6月15日提出
質問第379号

皇室典範改正案の提出に関する再質問主意書

提出者  高井美穂

皇室典範改正案の提出に関する再質問主意書

 本年3月15日提出の質問第150号「皇室典範改正案の提出に関する質問主意書」で同法案の今国会提出の方針を確認したところ、政府は「皇室典範の改正について、この度の文仁親王妃紀子殿下の御懐妊という御慶事も踏まえ、取り組んでいくこととしている」と答弁している。しかし、今国会の会期末を迎えても政府は同法案提出の手続きを取っていない。
 そこで、以下のとおり再度質問する。

一 政府は、皇室典範改正案を今国会に提出しないことをいつ判断し、どのような形で正式に表明したのか。簡明に回答願いたい。
二 小泉純一郎内閣総理大臣は本年1月20日の衆議院本会議での施政方針演説で「皇位が将来にわたり安定的に継承されるよう、有識者会議の報告に沿って、皇室典範の改正案を提出します」と明言している。その後皇室におかれてのご慶事など状況の変化は十分承知しているが、かりにもわが国の総理大臣が、国権の最高機関の本会議場で明言した同法案提出の方針を変更するなら、国民の前で自らその理由を説明する責任があると考えるが、政府の見解を誠実に示されたい。
 右質問する。

天皇陛下御在位二十周年に関する質問主意書

平成22年2月3日提出
質問第70号

天皇陛下御在位二十周年に関する質問主意書

提出者  木村太郎

天皇陛下御在位二十周年に関する質問主意書

 昨年は天皇陛下御在位二十周年、また、天皇皇后両陛下ご成婚五十周年のお祝いの年となった。国民の皆様と共に、皇室のご繁栄をお祈りするものであります。
 去る11月12日、政府主催によるお祝いの式典が挙行され、また、同日、国民祭典も開催され、私自身も感動致しました。この喜ばしい節目にあたっての政府主催による式典において、祝辞を述べられた方々のご挨拶やお祝いの演奏や歌、また杉並少年合唱団など、とても心のこもった素晴らしい式典でした。
 しかし、政府の姿勢や閣僚の対応に誠に残念に感じたことがいくつかあった。このことを踏まえ、次の事項について質問する。

一 鳩山内閣として、天皇陛下御在位二十周年をどのように捉えていたのか。
二 式典が進むにつれ、開会の言葉を述べた実行委員会副委員長である菅副総理は、天皇陛下のご臨席で、首を何度も何度もこっくりこっくりとし、居眠りしていた。これは、式典に臨む副総理の姿勢としていかがなものかと考えるが、鳩山内閣の見解を問う。
三 同じく壇上で、陛下の後方に座っていた松野官房副長官は、両足を大きく広げ座っており、頭・背中を後ろに仰け反り、数回、これまた居眠りをして隣の席の松井副長官から注意を受けていた。これも、式典に臨む姿勢としていかがなものかと考えるが、鳩山内閣の見解を問う。
四 式典の結びに天皇陛下の御前にて、鳩山総理の御発声で万歳三唱をしたが、手のひらを天皇陛下側に向け、両腕も真っ直ぐに伸ばしておらず、いわゆる降参を意味するようなジェスチャーのように見られ、正式な万歳の作法とは違うように見受けられた。日本国の総理大臣として、万歳の仕方をしっかりと身につけておくべきと考えるが、その作法をご存知なかったのか、伺いたい。
五 式典は、十四時から始まり十五時には閉式し、十五時五分には天皇皇后両陛下が式典会場をご出発される予定と、式典前に司会者から、会場に参列した私どもに知らせがあった。しかし、結局式典は二十分近く遅れて閉式した。周辺の道路の規制など、色々準備されていたと思うが、二~三分の誤差ならまだしも、天皇陛下をお祝いする式典において、二十分もの誤差が生じること自体、式典を準備した実行委員会委員長として鳩山総理は、事の重要性をどう捉えていたのか。あまりにもお粗末なタイムスケジュールを作っていたのではないか。反省すべき点があったと考えるがいかがか。
六 また同日、夕方から社民党、共産党を除く超党派の奉祝議員連盟が民間の団体と共に主催した「国民祝賀の式典」が行われたが、この席に、衆議院・参議院両院の議長(二人とも民主党出身)が欠席していた。この姿勢も民主党は、かつて天皇制に批判的な旧社民党と合併したものであって、奇しくも両議長とも旧社会党の所属であったことによるものと考えられる。
 以上の様な民主党の皇室に対する不見識な態度は、鳩山内閣が発足時、各大臣の就任会見の際、半数以上の大臣が国旗に一礼もせず会見を始めたことにも表れている。同様に昨年8月8日、鹿児島県霧島市で開かれた民主党の会合で、民主党の党旗を用意できず、日の丸の国旗二枚を切り裂き、応急的に民主党の党旗に見せた旗を作り、党の会合を開催している。このような民主党の極めて無礼な態度に、鳩山総理をはじめ鳩山内閣は、皇室に対する考え方と、また、国旗・国歌法が制定されている現在、我が国の国旗や国歌に対し、どのような認識を持っているのか、改めて伺いたい。
 右質問する。

宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する質問主意書

平成22年6月3日提出
質問第535号

宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する質問主意書

提出者  吉井英勝

宮内庁に管理されている古墳の祭祀と調査に関する質問主意書

 宮内庁によって皇室の祖先の墓とされ、陵墓(陵墓参考地含む、以下同じ)として管理されている古墳(以下、陵墓と略)について、宮内庁は「陵墓の保全工事に伴う調査の際の見学の実施や調査結果の公表等に努めている」というが、一般市民による見学は全く不可能である。たとえ研究者であっても限定的かつ、ごく少人数の立ち入りが「許可」されているにすぎず、その範囲も墳丘裾の管理用巡回路までにとどまり、墳丘全体の詳細な形状や規模等を外形的にも把握、確認することすら不可能である。この実態は、わが国のみならず東アジア全体の歴史や外交の様相等の解明にとっての妨げとなっている。宮内庁によれば、陵墓は皇室によって祭祀が継続して行われている「生きた墓」で、「静安と尊厳の保持が最も重要」であり、発掘や立ち入りは「厳に慎むべきこと」であるという。
 よって、次のとおり質問する。

(一) 陵墓については「現に皇室において祭祀が継続して行われ、静安と尊厳の保持が最も重要である」という政府見解はいつ作られたものか。また、「生きた墓」とは、いかなる概念か。具体的に説明されたい。
(二) 陵墓には宮内庁が立ち入り等を禁じる意思を示した看板が置かれている。この立ち入り等を禁じる看板はいつから置かれているのか。
(三) 陵墓は国有財産法上、皇室用財産として宮内庁が管理しているものと思うが、学術目的での自由な立ち入りまでも禁止する法的根拠はどこにあるのか。自由に陵墓に立ち入ったり墳丘に上ったりすることは、法的に禁止されているのか。
 宮内庁が陵墓の管理上、研究者をはじめ国民が陵墓に立ち入ることすら禁じる権原はどこにあるのか。
(四) 陵墓の調査は、宮内庁職員によるものであれば静安と尊厳が保持され、それ以外の研究者によるものであれば静安と尊厳が保持されないのか。そうであれば、その理由を詳細に答えられたい。
(五) 昨年、私が提出した質問主意書(2009年6月二19日提出の質問第611号)において、皇室の起源と実在が不確かな皇室の祖先について見解を求めた。これに対し「宮内庁としては、古代の皇室の歴史については、歴史学者の間でも諸説あるものと承知している」と答え、明確な見解を示すことができなかった。起源や存在について、政府自身の見解を答えることができない者が葬られているのなら、その埋葬地である古墳や出土品を宮内庁が管理することは不適当ではないか。
 また、政府の見解として起源や存在を明らかにできない人物が埋葬されているという土地に対し、祭祀や管理の費用を国費から支出する根拠は何か。
(六) 陵墓においては皇室によって、宮内庁が被葬者と定めた者の没後百年ごとに式年祭等の祭祀が行われているが、これは皇室祭祀令に基づくものなのか。皇室祭祀令は日本国憲法施行日の前日に廃止されている。皇室祭祀令でなければ式年祭等の祭祀は何に基づいて行われているのか。明確に示されたい。
(七) 陵墓における祭祀は、皇室の私的な行為とされている。皇室の私的な行為の対象としている陵墓の管理に国費を充て、それに国家公務員である宮内庁職員が携わることは、政教分離の原則を明確に定めた憲法といかなる関係にあるのか。陵墓の管理に要する費用として毎年、何にいくら支出しているのか。直近十年間について、総額と内訳明細を明らかにされたい。
(八) 本年2月13日、大阪府堺市の田出井山古墳で「反正天皇の千六百年式年祭」が行われた。また、4月1日には、大阪府羽曳野市の誉田御廟山古墳で「応神天皇の千七百年式年祭」が行われた。この式年祭の主催者は誰か。
(九) 質問主意書(2009年7月9日提出の質問第657号)で、皇室による陵墓の祭祀の起源について質問したが、「宮内庁としては、陵墓における祭祀は、皇室の伝統に基づくものとして古くから行われているものと承知している」という見解を示した。反正天皇の式年祭も応神天皇の式年祭も、何年から皇室の伝統に基づいて行われてきたのか。これまでの式年祭の経緯を詳細に示されたい。
(十) 今年の2月13日が反正天皇の千六百年の式年祭の日、また4月1日が応神天皇の千七百年の式年祭の日に当たると定めた根拠は何で、誰が定めたのか。
(十一) 二つの式年祭には参列者として、複数の公職者が参加している。二つの式年祭に参列した公職者の氏名と所属等をすべて明らかにされたい。また、皇室の私的な祭祀に公職者が参列することについて、政教分離の原則を定めた憲法との関係をどのように考えているのか。
(十二) 二つの式年祭の内容、手順はどのようなものであったか。また、参列者に対し、男性には「モーニングコート(ベストは黒)・紋付羽織袴」を、女性には「ロングドレス(ローブモンタント)、ディドレス(絹又は絹風のワンピース、アンサンブル等)・白襟紋付(色留袖、訪問着)」等の服装を求めている根拠は何か。
(十三) 宮内庁による陵墓の治定の誤りについて、先の二つの質問主意書と本年2月二15日の衆議院予算委員会第一分科会の質疑で質した。分科会質疑の中で平野博文官房長官は「では間違っているのかどうか。ここは、少なくとも宮内庁において書陵部長がしっかりとスタッフを抱えてそのことについてきちっとされているというふうに私は信じているところでございます」と答弁しているが、この官房長官の信頼、信用は正しいのか。
 宮内庁書陵部陵墓課には考古学を専攻した陵墓調査官をはじめ研究職職員が配置されているが、これら研究職職員は、
  ① 五世紀半ばに築造されたと考えられる大阪府茨木市の太田茶臼山古墳に、六世紀前半に没したといわれる継体天皇が葬られていること
  ② 三世紀後半から四世紀初めに築造されたと考えられる奈良県天理市の西殿塚古墳に、六世紀の継体天皇の妃が葬られていること
  ③ 五世紀前半に築造されたと考えられる奈良県奈良市の市庭古墳に、九世紀の初頭に没した平城天皇が葬られていること
これらについて、どのように調査・研究をしているのか、明らかにされたい。
(十四) 最古級の前方後円墳と考えられている箸墓古墳(奈良県桜井市)には、宮内庁によると、ヤマトトトヒモモソヒメが葬られているという。また、ヤマトトトヒモモソヒメは孝霊天皇の娘であるという。ヤマトトトヒモモソヒメと孝霊天皇はいつ存在した人物かを、先の質問主意書(質問第611号)で問うたが、その答は「『日本書紀』等によれば、倭迹迹日百襲姫命は孝霊天皇の皇女とされているものと承知している」「宮内庁としては、古代の皇室の歴史については、歴史学者の間でも諸説あるものと承知している」というものであった。
 近年の研究成果から、箸墓古墳の築造時期は三世紀を下ることはないと考えられている。ヤマトトトヒモモソヒメが孝霊天皇の娘であるなら、孝霊天皇の墓地の時期は、箸墓古墳よりも古いかほぼ同時期であるはずである。宮内庁によって孝霊天皇が葬られているとされている「片丘馬坂陵」(奈良県北葛城郡王寺町)はいつ築かれたのか。またそれは箸墓古墳より古い時代、弥生時代の墓地なのか。箸墓古墳と同じ時期の古墳なのか。学説でなく、宮内庁の見解を明確に答えられたい。あわせて、孝霊天皇片丘馬坂陵の配置を分かりやすく明示されたい。
(十五) 宮内庁による陵墓の治定は幕末から二十世紀初頭までの間に、「万世一系の天皇」をうたった帝国憲法下の「皇統」を視覚化するために行われた。現在の宮内庁は、被葬者の治定の正否についての検証を行っているのか。宮内庁には、かつての陵墓治定の正否についての検証を禁じている内規や規程等があるのか。また、宮内庁には、陵墓の治定について、研究成果に基づいてこれを改めることを禁じる内規や規程等があるのか。
(十六) 本年2月二15日の衆議院予算委員会第一分科会の質疑において、「陵墓の立入りの取扱方針」の中で、書陵部長が立ち入りを許可する者の対象に国会議員が含まれない問題を取り上げ、国会で国有財産法上の皇室用財産を質疑する国会議員が陵墓の立ち入りの許可対象外となっている事態を是正するよう求めた。答弁に立った平野官房長官は「学術的観点から、今先生御指摘のところについての範囲がどこまでなのか、国会議員といっても、専門家の方もおられるわけでしょうし、そういう観点からどうあるべきかということについては研究してみたい、このように私は思います」と発言した。研究の結果、国会議員は立ち入りの対象に含まれるようになったか。
(十七) 大阪府の誉田御廟山古墳の外濠と外堤の一部は「応神天皇陵古墳外濠外堤」という名称で国指定の史跡に指定されているが、この古墳の被葬者は誰なのか、確実に判明しているのか。文化庁の見解を問う。判明しているとすれば、いつ判明したのか。
(十八) 二回の質問主意書(質問第611号、質問第657号)で、誉田御廟山古墳の被葬者が明らかでない以上、正しい歴史認識を広めるためにも史跡の名称を「誉田御廟山古墳外濠外堤」へと変更するよう求めたが、答弁書では「地域で親しまれている名称など、当該史跡を最も適切に指すものを名称としており、名称を変更する必要はないと考える」との旨の見解を示した。誉田御廟山古墳は宮内庁が応神天皇陵として管理していることから、文化庁は史跡の名称を変更することができないのか。
 一般的に、史跡の名称を変更する必要が生じるのはどういう場合か。
(十九) 「応神天皇陵古墳外濠外堤」という名前で史跡に指定されている範囲は、誉田御廟山古墳の一部にすぎず、史跡指定地範囲外にもこの古墳の外濠や外堤が埋没した状態で広がっていると思うが、なぜ外濠と外堤全域を史跡に指定することができないのか。史跡に指定しないのは、外濠や外堤が存在しないからなのか。
(二十) 仮に誉田御廟山古墳の外濠と外堤の範囲が明確でないのならば、範囲を明確にする必要があるのではないか。範囲を明確化せず史跡に指定しなくても、原状のままでの保存と保護は十分になされているのか。
 また、誉田御廟山古墳全域における既往の発掘調査件数と遺構検出の件数、そのうち原状保存されている件数は何件か。あわせて、調査箇所、遺構検出箇所、そのうち原状保存箇所の配置を分かりやすく明示されたい。
(二十一) 奈良県広陵町と河合町にまたがる馬見古墳群を構成する古墳の一つに全長約二〇〇メートルの前方後円墳・新木山古墳(宮内庁によれば三吉陵墓参考地)がある。今年度、この墳丘は宮内庁によって調査されると聞いているが、調査目的は何で、どのような調査を行うのか。
(二十二) 新木山古墳の被葬者は誰なのか。また、それは、いつどのような調査で判明したのか。被葬者が没したのはいつのことか。古墳の築造時期は、考古学的見地からいつ頃と考えられているのか。
(二十三) 2008年、大阪府堺市の百舌鳥御廟山古墳において、宮内庁と堺市教育委員会によって「同時」調査が行われた。この古墳は墳丘部分のみが陵墓参考地として宮内庁に管理されている。堺市教育委員会による発掘調査部分は、一般市民にも公開された。しかし、宮内庁による調査部分は、「静安と尊厳の保持の観点」を盾にして宮内庁が公開しなかった。それでも「同時」調査の公開であったため、「これまでは周濠の外から眺めるだけで、隔絶した閉鎖空間に置かれていた陵墓の発掘現場を市民も間近に見学できたことは画期的な出来事だった」と評価する専門家の意見もある。
 新木山古墳は百舌鳥御廟山古墳と同様に、墳丘部分だけが宮内庁の管理部分で、周濠や外堤部分は民有地である。新木山古墳の調査も、堺市の百舌鳥御廟山古墳の調査と同様に、宮内庁と地元教育委員会によって同時に調査を行い、調査結果を市民に公開すべきでないか。
(二十四) 馬見古墳群には、宮内庁によって陵墓参考地として管理されている前方後方墳・新山古墳がある。新山古墳の被葬者は誰なのか。また、それは、いつどのような調査で判明したのか。被葬者が没したのはいつのことか。古墳の築造時期は考古学的見地から、いつ頃と考えられているのか。
(二十五) 新山古墳からは1885年、後方部の竪穴式石室から勾玉や管玉等とともに直弧文鏡等の大量の銅鏡が出土しており、これら出土品は現在宮内庁が所蔵している。古墳から大量の銅鏡等の副葬品が発見されれば、その古墳は皇室関係者の墓地となり、宮内庁が管理するのか。
(二十六) 陵墓の副葬品に関し、1972年4月二16日の参議院予算委員会第一分科会で、瓜生順良宮内庁次長は「副葬品とかいうのは、御葬る御遺体と一体となっておりますものについては、これは皇室のものであるというふうに考えております」と答弁している。このことは「陵墓の被葬者の副葬品は皇室の私有財産である」と解釈してよいか。
(二十七) 宮内庁が陵墓として管理している古墳から出土した銅鏡をはじめとする副葬品は、宮内庁が宮廷費を充て管理していると思うが、副葬品は皇室の私有財産であるという解釈のもとで、皇室の私的経費に充てる内廷費でなく、国有物品として宮廷費を充て管理しているのはなぜか。
(二十八) 静岡県沼津市では昨年、辻畑古墳の発掘調査が行われた。調査の結果、三世紀末までには築造された前方後方墳で、東日本では最古級のものと考えられることが判明した。辻畑古墳は、宮内庁が陵墓として管理している箸墓古墳ともほぼ同じ時期のものである。しかし、この辻畑古墳は市道建設に伴って破壊される可能性があると聞いている。古墳の築造時期等、学術的観点からの重要性を鑑みれば現状保存すべきものと考えるが、辻畑古墳は現状保存されないのか。保存されないとすれば、その理由はなぜか。
 右質問する。

学術文化遺産の戦後処理問題解決に関する再質問主意書

平成22年6月14日提出
質問第586号

学術文化遺産の戦後処理問題解決に関する再質問主意書

提出者  吉井英勝

学術文化遺産の戦後処理問題解決に関する再質問主意書

 本年1月18日に提出した質問主意書(質問第1号)で、戦前の日本が植民地支配をしていた当時、諸外国・諸地域から正当な手続きを経ずに持ち帰った文化的遺産があり、その実態を明らかにすることを求めた。あわせて、公開や返還を進めることが学術文化分野の戦後処理問題の解決につながることを示し、返還についての政府の見解を質した。ところが政府は問題に正面から全く向き合うこともせず、「お答えすることは困難である」という答弁書を閣議決定した。
 よって、次のとおり質問する。

(一) 植民地統治下に日本国内に持ち込まれた文化的遺産の所在、点数などの実態調査は、政府として行う必要はないという認識か。
(二) 戦前の東京帝国大学、京都帝国大学を中心として、朝鮮半島で遺跡等の調査が行われている。この時に出土した資料は日本国内に持ち込まれていないのか。また、そのまま日本国内に残っているものはあるのか、ないのか。残っているものがあれば、その名称と所在を出土場所等とあわせて示されたい。「調査に時間を要する」「修正作業が膨大」等の場合は、主なものを示されたい。
(三) 東京大学、京都大学に残っている資料があるとすれば、なぜ所蔵し続けてよいのか。返還する必要はないのか。
(四) 朝鮮総督府は、日本が「韓国併合」した朝鮮を支配するために置いた機関である。朝鮮総督府および朝鮮総督府博物館は遺跡等の調査を行っていると思うが、その具体的な内容(調査代表者、調査対象、主な出土資料、資料所蔵の場所等)を明らかにされたい。
(五) 文部科学省が私に提出した資料によれば、東京国立博物館は、新羅の有力者の墓と考えられる梁山夫婦塚(慶尚南道梁山郡梁山面)から出土した冠をはじめ、百七十五件の資料を収蔵していることになっている。これらはどのような経緯で日本に持ち込まれたのか。詳細に答えられたい。
(六) 梁山夫婦塚出土品以外に、東京国立博物館が所蔵する資料のうち、朝鮮総督府統治時代に朝鮮半島で収集し日本に持ち込まれたものはないのか。明らかにされたい。「調査に時間を要する」「修正作業が膨大」等の場合は、主なものを示されたい。
(七) 梁山夫婦塚出土品を含め東京国立博物館が所蔵する資料のうち、朝鮮総督府が関わったこれらの資料は現在すべて公開され、外国人を含め来館者が誰でも自由に見ることができるようになっているのか。自由に見ることができないのであれば、その根拠となっている法令等を示されたい。
(八) 梁山夫婦塚出土品を含め東京国立博物館が所蔵する資料のうち、朝鮮総督府が関わった資料は返還する必要はないのか。必要がないとすれば、その理由を明らかにされたい。
(九) 東京大学は、十四世紀から十九世紀までの朝鮮王朝の公式記録で、歴代国王の業績を記録した「朝鮮王朝実録」四十七冊を2006年7月14日にソウル大学に引き渡したと聞く。これは「返却」ではなく、「引き渡し」なのか。
 東京大学にあった朝鮮王朝実録は、どのような経緯で持ち込まれたのか明らかにされたい。また、なぜ引き渡すことになったのか、その経緯と理由を明らかにされたい。
(十) 宮内庁書陵部には、李氏朝鮮時代の王室の行事や儀式を表した「朝鮮王室儀軌」が所蔵されている。朝鮮王室儀軌が日本に持ち込まれたのはいつで、なぜ持ち込まれたのか。理由と経緯を明らかにされたい。また、現在なぜ宮内庁が所蔵しているのか。
(十一) 朝鮮王室儀軌の日本への持ち込みに際し、朝鮮総督府はどのように関与したのか。詳細に示されたい。
(十二) 朝鮮王室儀軌を含め、朝鮮総督府が関わって持ち込まれ、宮内庁が所蔵しているものは何件、何冊あるのか。表題とともに示されたい。また、朝鮮王室儀軌等のこれら資料は、自由に閲覧ができるのか。自由な閲覧ができないとすれば、その理由は何か。
(十三) 1895年、日本の軍人らに殺害された朝鮮国王の妃・閔妃(諡号は明成皇后)の国葬を記録した儀軌の表題は何か。
(十四) 第三代の韓国統監に就任した寺内正毅は、朝鮮王室(資料によっては韓国皇室)をどのように処遇しようとし、その結果どうなったか。
(十五) 「李王職」とは当時の宮内省の管轄下に置かれていたのか。また、李王職とは具体的にどういう職務を行い、いつからいつまで存在したのか。年月日を西暦で示されたい。
(十六) 李王職の職務には朝鮮王室儀軌を含め、朝鮮王室の財産(文化的遺産を含む)の管理が入っていたのか。管理財産の主なものにはどういうものが入っていたのか。
(十七) 李王職職員はどこに居住し、どこで働いていたのか。住所・所在地を明らかにされたい。
 また、勅奏任官の出張については、李王職長官から宮内大臣に朝鮮総督府の総督を経由して行うこととされていたと思うが、どのような手続きがとられたのか。
(十八) 終戦時に、李王職はどのように扱われたのか。また、李王職が管理していた財産は、日本政府によってすべて韓国側へ返還されたのか。
(十九) 李王職に関する文書は、現在どこに保存・保管されているのか。
 右質問する。

陵墓に治定されている古墳の祭祀に関する質問主意書

平成22年8月4日提出
質問第38号

陵墓に治定されている古墳の祭祀に関する質問主意書

提出者  吉井英勝

陵墓に治定されている古墳の祭祀に関する質問主意書

 皇室の先祖や皇室関係者が葬られているという理由で、戦前に陵墓(陵墓参考地を含む。以下、この質問において陵墓と略)に治定し、現在も宮内庁が管理している古墳が多数ある。陵墓では皇室によって式年祭等の祭祀が行われているが、皇室の私的な祭祀に宮内庁職員やそれ以外の国家公務員と地方公務員も参列している。具体例として本年2月13日の大阪府堺市の田出井山古墳(宮内庁によれば反正天皇陵)と、本年4月1日の大阪府羽曳野市の誉田御廟山古墳(同じく応神天皇陵)での式年祭を取り上げた。これについて本年6月14日に提出した質問主意書で、憲法が定めた政教分離の原則との関係を問うたが、これに対する答弁書は「国家公務員の参列については儀礼的なもので憲法上の問題があるとは考えていない」、「地方公務員の参列については答弁する立場にない」旨のものであった。
 よって、次のとおり質問する。

(一) 宮内庁によれば、「陵墓における祭祀は、皇室の伝統に基づくものとして古くから行われているもの」とあるが(2009年7月17日閣議決定の答弁書)、「古くから」とは具体的にいつからか。また、今に至るまですべての古墳時代の陵墓で、祭祀は途切れることなく連綿と続けられてきたのか。証拠を示して明らかにされたい。
(二) 宮内庁は、箸墓古墳には孝霊天皇の娘であるヤマトトトヒモモソヒメが葬られていると定め、「大市墓」という名前の陵墓として管理している。宮内庁は、孝霊天皇の皇女であるヤマトトトヒモモソヒメの没年や箸墓古墳の築造年代については、日本書紀に記述がないという。ヤマトトトヒモモソヒメの父である孝霊天皇が葬られたのは日本書紀による孝元天皇六年で、それは紀元前209年に相当するという見解を示している(2010年6月二12日閣議決定の答弁書)。一方で文化庁は、箸墓古墳の築造時期について三世紀の中頃から後半と考えられるという見解を述べている(2009年2月20日、衆議院予算委員会第四分科会)。
 これは、孝霊天皇は紀元前209年に死没し、その娘であるヤマトトトヒモモソヒメは箸墓古墳が築かれる三世紀半ばから後半まで、四百年から五百年近く生存していたことを意味しているのか。
(三) 宮内庁は「陵墓や陵墓参考地については、現に皇室において祭祀が継続して行われ、皇室と国民の追慕尊崇の対象となっているので、静安と尊厳の保持が最も重要なことである」(2009年7月6日閣議決定の答弁書)と示しているが、「祭祀が継続して行われ追慕尊崇の対象なので、静安と尊厳の保持が最も重要である」と考える理由を分かりやすく答えられたい。
(四) 文化庁によれば、「古墳の被葬者が発掘調査で判明することは非常にまれ」という見解である(2009年6月二14日、衆議院内閣委員会)。宮内庁が「古代高塚式の陵墓又は陵墓参考地」として管理している百二十一の古墳の各々について、そこに皇室の先祖が葬られていることの証拠を明示されたい。
(五) 宮内庁が「古代高塚式の陵墓又は陵墓参考地」として管理している百二十一の古墳の各々について、陵墓の名称・考古学上の名称・被葬者名(ルビ付)・所在地・治定年月日(西暦による)を分かりやすく示されたい。
(六) 陵墓の環境の静安と被葬者の尊厳の保持と、陵墓の墳丘最下段テラスよりも上に登る学術調査とは、学術調査がいかなる内容のものでも両立することができないという考えか。
(七) 宮内庁職員であれば、管理のために陵墓の墳丘最下段テラスよりも上に登っても静安と尊厳を保持することができ、宮内庁職員でなければ、墳丘最下段テラスよりも上に登って墳丘表面の観察をするだけでも静安と尊厳の保持ができないという明確な理由を、それぞれ示されたい。
(八) 宮内庁職員が陵墓の墳丘最下段テラスよりも上に登る場合は、どういう手続きを経ているのか。また、登る場合には何らかの祭祀を行っているのか。
(九) 宮内庁が提出した資料によれば、堺市の田出井山古墳(宮内庁によれば反正天皇陵)と羽曳野市の誉田御廟山古墳(同じく応神天皇陵)での式年祭の次第について次のようにある。
 午前九時三十分、陵所を装飾する。
 同 十時、勅使が参進して本位に就く。
 次に神饌を供する。
  この間、楽を奏する。
 次に掌典が祝詞を奏する。
 次に幣物を供する。
 次に勅使が拝礼の上、御祭文を奏する。
 次に幣物及び神饌を撤する。
 この間、楽を奏する。
 次に各退下する。
     〇
 皇族、公務員、有位者及び有勲者並びに縁故者、門跡寺院の住職及び尼門跡寺院の住職が参列する場合は、勅使参進の前に着床し、御祭文奏上の後に拝礼する。
 宮内庁によれば、陵墓における祭祀が神道の形式によるものか否かを答えることは困難である(2009年7月17日閣議決定の答弁書)とのことだが、陵墓の拝所には鳥居が置かれている。また、陵墓の式年祭では次第のように、神饌を供し、掌典が祝詞を奏し、幣物を供する。鳥居の設置やこれらの行為と神道とは、どういう関係があるのか。全く関係がないのか。
(十) 「陵所を装飾する」、「神饌を供する」、「楽を奏する」、「幣物を供する」、「幣物及び神饌を撤する」主体はそれぞれ誰か。
(十一) 勅使、掌典、「陵所を装飾する」者、「神饌を供する」者、「楽を奏する」者、「幣物を供する」者、「幣物及び神饌を撤する」者は、それぞれ公務員か否か。公務員でなければ、どういう立場の者か。
(十二) 鳥居を含めた陵墓の拝所は国有財産か。その管理は誰が行っているのか。
(十三) 本年6月二12日閣議決定の答弁書では「国家公務員による参列は、陵墓において皇室が祖先を弔う目的で行う行事に際し、平素から陵墓の管理等に携わる者が儀礼的に行ったものであり、憲法上の問題があるとは考えていない」とあるが、「管理等」の「等」とは何を示しているのか。その内容を具体的に明らかにされたい。
(十四) 儀礼的であれば、皇室の宗教的行為である祭祀に参列しても憲法上の問題がないのか。儀礼的なものと、そうでないものとの違いはどこにあるのか。明確に答えられたい。
(十五) 田出井山古墳と誉田御廟山古墳での国家公務員の式年祭への参列が、儀礼的であったという根拠を明示されたい。
(十六) 本年6月二12日閣議決定の答弁書では「地方公務員による参列については、お答えする立場にない」とあるが、なぜ答える立場にないのか。答える立場にある者は誰か。
(十七) 宮内庁が提出した資料によれば、田出井山古墳での「反正天皇の千六百年式年祭」と誉田御廟山古墳での「応神天皇の千七百年式年祭」について、以下に掲げる公務員に対し、宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所長名で「反正天皇山陵千六百年式年祭の儀」と「応神天皇山陵千七百年式年祭の儀」の執行と参列の案内を送っている。これらの公務員を送り先として選んだ基準や根拠は何で、誰が選んだのか。
〔反正天皇の千六百年式年祭〕
 大阪地方裁判所所長  大阪家庭裁判所所長  大阪地方検察庁検事正  大阪地方検察庁事務局長大阪地方検察庁堺支部長  大阪法務局堺支局長  国土交通省近畿地方整備局局長  国土交通省近畿整備局河川部長  国土交通省近畿地方整備局大和川河川事務所長  大阪府知事  大阪府府議会議長  大阪府府議会副議長  大阪府教育委員会委員長  大阪府教育長  大阪府警本部本部長  大阪府堺警察署署長  大阪府鳳土木事務所所長  大阪府立三国ヶ丘高等学校校長  堺市長  堺市市議会議長  堺市市議会副議長  堺市副市長  堺市教育委員会委員長  堺市教育長  堺市博物館長  堺市市長公室室長  堺市市長公室理事  堺市建築局長  堺市消防局長  堺市堺消防署署長  堺区長  堺市立三国ヶ丘小学校校長  堺市立三国ヶ丘中学校校長 宮内庁京都事務所所長  宮内庁京都事務所次長  宮内庁京都事務所庶務課長  宮内庁京都事務所管理課長  宮内庁京都事務所工務課長  宮内庁京都事務所林園課長  宮内庁正倉院事務所所長  宮内庁正倉院事務所庶務課長  宮内庁正倉院事務所保存課長  桃山陵墓監区事務所所長 桃山陵墓監区事務所職員代表  畝傍陵墓監区事務所所長  畝傍陵墓監区事務所職員代表  月輪陵墓監区事務所所長  月輪陵墓監区事務所職員代表  皇宮警察京都護衛署署長  皇宮警察京都護衛署副署長  宮内庁次長  書陵部代表
〔応神天皇の千七百年式年祭〕
 大阪地方裁判所所長  大阪家庭裁判所所長  大阪地方検察庁検事正  大阪地方検察庁事務局長大阪地方検察庁堺支部長  羽曳野区検察庁副検事  大阪法務局富田林支局長  国土交通省近畿整備局長  国土交通省近畿整備局河川部長  国土交通省近畿整備局大和川河川事務所長  大阪府知事  大阪府府議会議長  大阪府府議会副議長  大阪府教育委員長  大阪府教育長  大阪府警察本部長  羽曳野警察署長  大阪府富田林土木事務所長  羽曳野市長  羽曳野市議会議長  羽曳野市議会副議長  羽曳野市副市長  羽曳野市教育委員長  羽曳野市教育長  羽曳野市市長公室長  柏原羽曳野藤井寺消防組合消防局長  羽曳野市立古市小学校長  羽曳野市立誉田中学校長  宮内庁京都事務所所長  宮内庁京都事務所次長  宮内庁京都事務所庶務課長宮内庁京都事務所管理課長  宮内庁京都事務所工務課長  宮内庁京都事務所林園課長  宮内庁正倉院事務所所長  宮内庁正倉院事務所庶務課長  宮内庁正倉院事務所保存課長  桃山陵墓監区事務所所長  桃山陵墓監区事務所職員代表  畝傍陵墓監区事務所所長  畝傍陵墓監区事務所職員代表  月輪陵墓監区事務所所長  月輪陵墓監区事務所職員代表  皇宮警察京都護衛署署長皇宮警察京都護衛署副署長  宮内庁次長  書陵部代表
(十八) これら祭祀(式年祭)の執行と参列の案内を送った相手は、平素から陵墓の管理等に具体的にどのように携わっているのか。各々について具体的に答えられたい。
(十九) 皇室による陵墓の祭祀について、皇室以外の公務員に対し、なぜ祭祀の執行と参列の案内を送る必要があるのか。また、案内送付の決裁は誰が行ったのか。
 右質問する。